「道を普通に歩ける」数ヶ月の東南アジア滞在を経て戻った日本で改めて感動したこと

4年ぶりに、ほんの少し、たった数ヶ月だけ日本を出て海外(タイとベトナム)に滞在した。たったそれだけと思っていたけれど、久しぶりに戻った日本で改めて思い知ったことがたくさんあったのでここに記そうと思う。

まず感じたのは、「日本、住みやすいじゃないか!」だった。

ただ気の向くまま町をぶらぶらすることも、目的地を目指すことも、水道水を飲むことも、トイレを利用することも、その全てがなんともスムーズに行える。

それはつまり裏を返すと、海外滞在中に(わぁ、不便!)と感じた事実があったということ。記憶をさかのぼってみると、最初のそれはタイの南の町クラビに着いたときだった。

クラビの町には信号がひとつ、いやここ10年のあいだにもうひとつ増えていたから2つある。歩行者優先の横断歩道はあったかもしれないけれど、とにかく信号という確実に渡ることができる場所はたった2ヶ所しかない。信号がない時はどうするかというと、歩行者は左右を確認し、車やバイクが来ない隙に急ぎ足で渡るしかない。日本でも稀に発生することではあるが、毎回の移動がそれだと、なかなかに骨が折れる。

そしてタイのチェンマイに移動し、その状況は度を増した。なにしろ体感として交通量は倍以上だし、車やバイクの波は途切れることがない。私が滞在していたのはニマンヘミンからサンティタムのあいだ辺りのかなり便利な立地なのだけれど、この界隈にあった信号は3つ。そのうち2つは歩行者が渡るときに押すもので、渡り終わると信号がまだ青でも車は走り始める。いつだって信号を渡るのはスリリング、車道を渡るのはもっと真剣勝負なのだ。

加えてチェンマイでは、道を歩くためだけに別の問題もあった。それは、地面にボコボコと開いた大きな穴、だ。

日本は快適エッセイ

巨大ホール出現!|チェンマイ

穴はかなり大きく、犬も猫も、私たちでさえ人知れずボトンとそのなかに落ちる可能性がある。穴の下は、土砂の混ざったような色をした濁流が流れており、落ちたら流される。その穴を避けて歩くのもまた集中力を要した。穴の周りを囲ったり目立たせたりして、「穴がありますよ」と知らせてくれているものはまだいいが、ほとんどが突然の穴なのだった。チェンマイではとにかく歩きスマホは危険、足元を見て歩くべし。

それに加えて滞在中に始まった工事で、ことはさらに悪化した。かろうじてあった歩道らしき道が、掘り返されてどこもかしこも文字通りボコボコになってしまったのだ。それも大通りの歩道が両側とも!仕方がないから歩行者は車道を歩く羽目になるのだけれど、これもなかなかにストレスとなる。

日本は快適エッセイ

一歩を進める場所を見極めて|チェンマイ

さらに次に滞在したベトナムのダナンはもっとすごかった。何がすごいって、圧倒的なバイクの量!ダナンにしばらく暮らす日本人は「車が走りだしたのもここ10年ほどだから、それまでは全部がバイクだった!」と笑っている。このバイクの迫力たるや…!しかも彼らは、歩行者に触れそうな距離を猛スピードで駆け抜けていく。

カフェの入り口もこのとおり|ダナン

もちろん道はボコボコだし、かと思えば雑草が野性味たっぷりに咲き乱れていて歩道をふさいでいるところもある。信号はもちろん数えるくらいしかなく、信号というシステムに慣れていない現地人たちは、たとえ歩行者側が青でも突っ込んでくる可能性があるから、信号の色にかかわらず一歩先を確認して歩く必要がある。

かろうじてある歩道|ダナン

「道を歩く」のも「道を渡る」のも日々のことだから、余計にもう少しスムーズにできればいいなと切実に願う。滞在先の部屋を借りる際も、信号を渡らずに行ける場所をシミュレーションしたほどだ。今では笑ってしまうけれど、その時はいたって本気で考えていた。

加えてあったのが水問題。東南アジア諸国などにおいて、水道水が飲用不可なのは、よく知られた事実かもしれないけれど、トイレの紙を流せないということも付け加えておきたい。使用済みのトイレットペーパーは、排水設備が整っておらず下水管を詰まらせてしまうなどの理由から、水には流さず、トイレの横にある簡易なゴミ箱にじゃんじゃん放り込むシステム。これは割とすぐに慣れたけれど、衛生的な懸念は頭の片隅に付きまとった。

そして数ヶ月間のタイ・ベトナム生活を経て日本の地を踏んですぐ、冒頭の通り私は感動した。

道が平らであるということは、歩道が歩行者のために整備されているということは、水道水が口に入っても飲み込んでも問題ないということは、トイレに使用済みのトイレットペーパーを流せるということは、なんと素晴らしく快適なのだろう!さらに日本のトイレの清潔さは、世界トップクラスを誇り、しかも無料で利用できる。

過去に世界一周旅をしていた頃、インドやネパール、中東などを旅した後に戻った日本で、この感動と感謝を細胞レベルにしみ込ませたはずなのに…。人間は慣れ、忘れていく生き物なのだ。数年も経てば忘れてしまい、今回また新鮮な気持ちで感動している。

ただ一方で、私たちが生きていく上では、利便性や快適さ以外に大切にしたい価値もある。

それは、言葉は通じない地元の人と一瞬心を通わせることができたときの喜びであったり、日々(生きているなぁ!)と感じられる臨場感であったり、自分にしかできない経験をすることであったり、現地の料理に舌鼓を打つことだったり、さまざまだ。

今回、気づきを共有するために訪れた土地の不便な部分を紹介したけれど、言うまでもなくタイ・チェンマイもベトナム・ダナンも、美しかった。ダナンはそこに躍動感が加わる。

旅やノマドを繰り返す人は日本のよさは理解しつつも、それ以外に求めるものが各々あって、便利で快適な日本からまた異国の地を目指すのだろうと思う。穴が開いていようが道がボコボコであろうが、チェンマイやダナンの虜になり、繰り返し何度も訪れる人は後を絶たないし、私もそのひとりになるのだろう。

それでもやっぱり日本の住みやすさは称賛に価するし、この地が私にとっていつでも帰って来られる場所であること、旅やノマド暮らしからの休息スポットであることは、幸せなことだと心から思う。

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mia

旅するように暮らす自然派ライター|バックパックに暮らしの全てを詰め込み世界一周。4年に渡る旅の後、オーストラリアに移住し約7年暮らす。移動の多い人生で、気付けばゆるめのミニマリストになっていました。ライターとして旅行誌や情報誌、WEBマガジンで執筆。経験をもとに、旅をちょっぴりエコにするヒントをお届けします。