多民族国家のマレーシアで「みんな違うのが当たり前」だと気づかされた話

外国人を見かけることすらない日本の田舎で生まれ育った筆者は、周囲の人たちがみな日本人であること、耳に入る言語が日本語であることが当たり前だった。

全員同じような肌の色をしていて、同じ日本語を話す。そのような環境で、「多様性」を意識する機会はあまり多くなかったかもしれない。

そんな筆者が、多様性を強く意識した場所がマレーシアのクアラルンプールだ。

クアラルンプール

2023年2月、マレーシアのクアラルンプールへ初めて降り立った。

飛行機を降りた瞬間に感じる、じめっとした南国の熱気。この熱気は東南アジアのいろいろな国に共通しているが、クアラルンプールの空港に着いたときには、ほかの国とはどこか違った「なんだかアジアっぽくない」雰囲気を感じたのを覚えている。

空港からタクシーで街へ出て、その違和感の正体がわかった。「いろんな国の人がいる」のだ。

マレーシアの街中

実際は、本当に“いろんな国”の人がいたわけではない。飲食店でのんびりと働く従業員や、会社帰りの少しフォーマルな格好をした会社員。街で見かける人たちの多くはマレーシア人だったと思うが、格好や言語が民族によって違っていたのだ。

ヒジャブと呼ばれるイスラムの被り物を着用した「マレー系」に、キラキラと輝くインドの民族衣装を着た「インド系」、中国語を話す「中華系」など、同じマレーシア人でも、それぞれの民族で見た目や言語が大きく異なっている。

訪れる前から、マレーシアは多民族国家だと理解はしていた。しかし、聞くと見るのとでは驚きが全く違う。クアラルンプールという街は、私にはどこかテーマパークのような少し非現実的な光景に映った。

クアラルンプールのチャイナタウン

中華系の人たちが多く集まるチャイナタウンでは、ローカルの飲食店に入ると当たり前のように中国語で話しかけられた。

「もしかして私のことを同じ中華系だと思ったのかな?」とも思ったが、店主のおじさんはインド系の家族にも中国語で話しかけていた。

そのインド系の家族は店主の中国語に対して英語で返答し、店主はまた中国語で返していた。この街は、言語が違ってももしかしたらフィーリングでコミュニケーションが取れる場所のかもしれない…と感心したのを覚えている。

クアラルンプールのインド人街

ブリックフィールズというインド人街に足を運べば、本当にここはマレーシアなのかと疑いたくなるほど、小さくまとまったインドの世界が広がっていた。このリトル・インディアでは、すれ違う人たちの多くがインド系で、立ち並ぶ飲食店のほとんどがインド料理屋だ。

先ほどのチャイナタウンからこのインド人街までは、LRTという電車を使えばたったの1駅。たった1駅移動するだけで、まるで違う国へ来たかのように雰囲気がガラッと変わる。

クアラルンプールのモスク

中華系にインド系などさまざまな民族が生活しているが、マレーシアの国教はイスラム教で、国民の約7割がマレー系の民族でイスラム教を信仰するムスリムだ。

そのため、毎日決まった時間になると、アザーンという礼拝の呼びかけがスピーカーで街中に流れる。イスラム教の礼拝堂であるモスクを訪れると、ヒジャブを着用した人たちがたくさんいて、そこにはチャイナタウンやインド人街とはまた違ったイスラムの厳かな空気が流れていた。

クアラルンプール 海

さまざまな言語や文化が入り乱れる、マレーシアのクアラルンプール。

初めて訪れた多民族国家を見て、言語や見た目、宗教が違う人々が当たり前に同居し、機能している社会に、深く考えさせられた。

今でこそ海外は身近な存在になったが、海外に行ったこともなければ、外国人も見たことがなかった小さな頃の筆者は「みんな同じ」であることが当たり前であり、「みんなと違う」ことは何か良くないことのようにも感じていた。

中国語やマレー語、ヒンディー語が入り乱れるクアラルンプールのフードコートをぼーっと眺める。

自分にとっての常識が、他人にとっての常識だとは限らないこと。自分にとっての普通を、他人に押し付けないこと。そして、違いを受け入れる心が大切なのだなと、気づかされた旅だった。

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佐藤 ひより

フリーライター。数時間に1本しか電車が走らない田舎に生まれたこともあり、その反動で都会や海外など外の世界に興味を持つ。大学時代にインドネシア語を学び、それからバリの虜になり今ではよく通うように。海外や日本各地を旅しながらその土地の人の価値観に触れること、美しい自然を見て心が震える体験をすることが好きです。