「花が咲き乱れ果実がたわわに実る夢の島、神様にいつでも逢える島。働かなくてもいいし、猛獣や虫もいない。そんな天国にいちばん近い島が地球の遥か南にあるという….」
これは、1980年代に日本でヒットした映画の中で描かれた、南太平洋のフランス領ニューカレドニアに対する描写だ。これ以降、今でも観光サイト上にこのフレーズの引用を見かける度に、日本にからみたニューカレドニアという国の姿は、いまだに当時のイメージから更新されていないのでは、とも思わされる。
80年代当時、日本でヒットした映画の影響で、ニューカレドニア観光ブームが起こった。ただ皮肉なことに、当時のニューカレドニアでは、そのブームの時期と並行する形で1985年以降、フランスの植民地支配に対する独立運動が激化し、一部では危険な雰囲気の地域もあった。だがそういった政治的な部分は映画には一切描かれておらず、映画の制作側は批判も浴びたという。
かつてそんな出来事があったニューカレドニアで、今年2024年5月にも暴動が起こったというニュースを何度か目にした。
ニューカレドニアは1853年以降フランスの支配下にあり、現在ではフランスの海外領土となっているが、先住民のカナックらを中心に独立の動きが続いている。そして今回の暴動の発端は、2021年12月に行われたニューカレドニア独立の是非を問う住民投票まで遡る。この投票では選挙のやり方に不満をもった独立派がボイコットしたことでニューカレドニアのフランス残留が決まった。
その後、仏議会がニューカレドニアの選挙ルールを変える憲法改正案を可決したことで、先住民の票の重みが減るという意見が高まりついに暴動に発展した、というような解説が、今年の暴動時に報道されていたニュースの主な内容だった。
しかし80年代の映画でもそうだったように、報道にも描かれない部分がある。その描かれない部分を現地の方から直接聞いてみたい、という思いから、実際に現地に住んでいる日本人移民ニューカレドニア在住日本人の2人に、暴動後の状況や現地での暮らしへの影響についてオンラインにて1人づつ順に伺ってみた。まず最初にお話を伺ったのは、首都であるヌメア市近郊でお土産販売店を営む高橋リサさんだ。
土産物店「AQUA」オーナー。
1967年生まれ。1984年から4年間、グアムに留学。1992年にニューカレドニアに移住。
1994年に同じくニューカレドニアで働いていた現在の主人と結婚。ダイビングインストラクター、免税店などの店員を経て、2001年に夫婦で土産物店「AQUA(アクア)」を開店し、現在アンスバタにあるラ・プロムナード・ショッピングセンター内で営業。
日本人観光客向けにヌメアの最新マップの配布、電源プラグの貸出、観光案内、ニューカレドニアの情報発信、日本からニューカレドニアの商品を買えるネットショップ、などのサービスを展開中。http://www.aqua-nc.com/
──暴動はご自身の店舗や現地のコミュニティにどのような影響を与えましたか?
私達夫婦は、ニューカレドニアの首都ヌメア市の南にあるアンスバタ湾に面したリゾートホテルが立ち並ぶ地区でAQUAというお土産店を経営しています。
なので暴動の影響により観光客が途絶えるのが大問題です。コロナの影響があり、日本人観光客は未だコロナ禍以前と比べて65%減の状態でしたが、そのタイミングでこの暴動が起きてしまいました。
ここまで暴動がひどくなるとは思っていなかったので、青天の霹靂でした。ニューカレドニアには長く住んでいますので、日本人の友人達とはSNSのグループチャットで情報交換をしています。暴動が起こった当時、被害状況や食料品やガソリンの供給に関する情報について、夜遅くまで情報交換していました。
暴動の影響は、住んでいる地域によって天と地の差があります。私が住むアンスバタ地区は暴動の影響を全く受けていない地域で、生活の面で怖い思いはしていません。危険な地域に住んでいる人は、いまだに夜中や明け方に暴動を起こしている人々と警官隊との衝突で起こる爆発音が近くで聞こえたりと、眠れない夜を過ごしている人もいます(2024年6月取材時)。
危険な地域は勿論、危険ではない地域に住んでいる住民も全員、現在は自分たちの地域を守るために自警団を作り、住人以外が入れないように道路にバリケードを作り自衛していました。
──暴動の影響を受ける中で、どのような対策を取ってお店を経営されていますか?
私達の店舗は暴動の影響を受けていない地域にあるので、経営に関してはいつもと同じです。ただ危険そうな人が店の近くに来たら、とりあえず鍵を閉めるようにしています。
現時点ではまだ夜間外出禁止令が出ているので、営業時間は短いです。また、同じショッピングセンター内でもグループチャットが出来て、お互いに情報交換をしています。暴動が始まった日から4日の間に、たくさんの商店や企業が強奪や放火の被害を受け、ATMが破壊されました。
──ニューカレドニアがフランスの海外領土であることについて、現地の人々はどのように感じているのでしょうか?
ニューカレドニアの先住民であるカナック人の一部は、自分たちの土地を返せと主張しています。ただ統治が始まったときから住んでいるフランス系移住者もいますし、日本にルーツを持つ人が現在も1万人以上住んでいます。
ニューカレドニアに住んでいる住人の殆どはルーツこそ違えど、殆どが仏国籍を持っている人達です。フランスに属している故の恩恵も沢山受けていますし、フランスの海外領土のままであって欲しいと思っている人も多くいます。今独立をすればどうなるか理解している人は、独立に反対しています。ただカナックの人々が多い地域ではそのような発言が出来ない雰囲気もあります。
今回の暴動は政治的な思想をもったものというよりは、一部の集団による暴動と言った方がいいかもしれません。住民投票に関するフランス本国での憲法改正が暴動に繋がってはいますが、今回の暴動の中心になったのは一部の過激思想を持ったグループにそそのかされた若者達が起こした暴動だと推測しています。
今回の暴動で7千人以上が失業しました。その半分以上がカナック人だと聞きます。失業した人は皆悲しみに暮れ、若者達と彼らをそそのかしたグループに対して怒りを感じているようです。
──今回の暴動は観光業にどのような影響を与えていますか?
すでに5月と6月の観光客は殆どがキャンセルとなりました。暴動のニュースを受けて、7月以降の方もキャンセルされた方が半分、迷っている方が半分といった感じです。
実際のところ、観光客が立ち寄る場所やツアーで行く場所に関しては一部を除いて、略奪や放火などの直接的な被害は受けていません。また、このような事態でニューカレドニア全土の景気が低迷している中で、私は観光業が必要だと考えています。少しでも早く、全ての商店や企業が元に戻り、観光客の数がコロナ前の観光客数に戻ることを目標としています。日本での「ニューカレドニア=危ない場所」というイメージが早く改善されると良いと思っています。
自然、海、どうぶつが大好きな柔道家。
所属:Collège de Kone, Collège de Paiamboue, Lycée Michel Rocard(ニューカレドニアの公立中学校および高等学校)、役職:日本語教師。
父の影響で始めた柔道に夢中になり、地元の花巻北高校、柔道の名門筑波大学に進学。大学時代に、世界中の柔道家と一緒に練習を重ねる中で、世界中で柔道をする夢を抱く。大学院時代にブラジルのファベーラで、柔道を通じた国際貢献をテーマに活動し、他にも世界中で柔道の指導と交流を行ってきた。その後、全日本柔道連盟事務局職員として、国際関係や柔道普及活動に携わる。その傍ら、大好きな海の暮らしに憧れ、ニューカレドニアへ移住。柔道と海のおかげで出会った人々と、心がわくわくで満たされることたちに導かれ、今に至る。
──ニューカレドニアで日本語教師として働くことになったきっかけは何ですか?
好きなことを追いかけていたら、自然とニューカレドニアにたどり着きました。柔道選手、また柔道指導者の駆け出し、そして全日本柔道連盟の事務局職員として活動する中で、ニューカレドニア柔道チームとの出会いがありました。それをきっかけに、綺麗なサンゴ礁に囲まれる小さな島の存在を知り、いつか行ってみたい場所に代わりました。
オリンピック後、全日本柔道連盟を退職し、観光で念願のニューカレドニアへ行きました。ニューカレドニアの美しい自然や人の温かさに魅了され、滞在2週間目にして、現地求人を検索し、現地中学校の日本人アシスタントの職に応募しました。7ヶ月間の雇用が実現し、それが終了した後にも、ニューカレドニアに滞在し続けたい思いが強く、そんな中で今の日本語教師の仕事に巡り合いました。
──ニュースの中には、移民と先住民の間に分断が起きているというような内容の報道も見受けられます。現地にいる千鶴さんの目にはその辺りに関する現地の様子はどう映っていますか?
現地に住む人々の間に亀裂が入り、辛い思いをしている方が多いと思います。一方で、現在私が住んでいるニューカレドニア北部(コネ)では、失業や道路の封鎖などに苦しむ人が多い一方で、建物の破壊や放火は少なく、むしろ人種や民族を越えたつながりを感じることも多くあります(2024年6月取材時)。
先住民の方々もとても優しくて、先住民の方々が暮らす村やご自宅に招待してくれたり、「あなたは日本人(外国人)なんだから気をつけてね」と声をかけてくれたり。私の大家さんは先住民の方とフランス系移民とのご夫婦なので、家にも先住民の方々がたくさん遊びにきます。そこで、一緒に料理をしたり、ニューカレドニアの民族衣装の作り方を教わったりなど、地域内の温かい交流があります。なので、報道だけをみて「ニューカレドニアは怖い」と思ってほしくない」という想いもあります。
──先日の暴動は、学校や教育現場にどのような影響を与えましたか?特に、日本語の授業における困難な点はありますか?
5月13日から始まった暴動を受けて、学校は5月14日から7月上旬まで完全閉鎖されていました。学校閉鎖中は、急に決まった閉鎖だったため、学校側も何も準備ができておらず、家庭や生徒とのコミュニケーション、そして教育の継続について、手探りで進めていた状況でした。
学校としては、学級担任が全家庭に連絡し、情報の把握に努めていました。また、生徒が家でも教育に触れ続けることができるような支援をするため、教材の配布はオンラインと紙媒体を併用していました。
日本語の授業においては、日本語を学び始めたばかりのニューカレドニアの生徒たちが、思うように授業を受けられず、教材もままならない状況の中で何かできないかと思い、日本語教材として、日本の友人たちの協力も得て、動画メッセージの定期的なオンライン配信を行うことにしました。学校閉鎖という背景において、人との関わりが薄れてしまう時期に、少しでも生徒とのコミュニケーションを取ること、日常生活の中に心が休まる時間を提供すること、そして日本語や日本文化に触れる機会を絶やさず提供することを目的としています。
約2ヶ月間の学校閉鎖を経て、7月上旬に学校が再開してからは、ニューカレドニアの現状に対して不安やショックを受けている生徒たち、そして放火被害や家族の失業など家庭状況が不安定な生徒たちへの心のケアが最優先されました。
──暴動開始後の生徒たちの状況や反応は?
長期間においてニューカレドニア各地で道路が閉鎖されていたため、実家に帰れていない生徒や、家族に会えないでいる生徒も多くいました。
また、放火や強盗の被害、経済状況や治安への懸念から、ニューカレドニアを離れる決断をした家族も多く、たくさんの生徒たちがニューカレドニア外へ転校しているという現状もあります。生徒たちは、今もなお、大きな心理的負担を抱えていると感じます。
学校閉鎖中にオンラインで配布した教材に対しては、数多くの生徒や保護者から「とても嬉しい。優しい応援のありがとう!」という反応がありました。Youtubeで発信した日本からのビデオメッセージは、現地で日本語教材として高い評価をいただき、ニューカレドニア教育委員会のWEBサイト、日本語教育サイトにも掲載されることになりました。
その後、ニューカレドニア内の様々な中学校でビデオメッセージを使用したという連絡もいただき、中学校の生徒皆さんが作ってくれたビデオメッセージにおいては、日本とニューカレドニア間のオンライン交流を計画する機会にもなりました。
改めて、メッセージを送ってくださった皆さんに感謝申し上げます。今後も、メッセージやビデオ交流などは広く募集しておりますので、ぜひニューカレドニアの生徒たちにメッセージを送っていただけたら嬉しいです。テキスト、手書きや動画など、フォーマットは問いません。
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国と国、民族と民族、地域住民と観光客。日々数えきれないニュースや情報に接している中で、どうしても「〇〇vs〇〇」などのわかりやすい二項対立の構図を脳内に描いて、安易に社会問題について理解しようとしてしまう自分がいる。そして今回のようにニュースに関わる当事者に直接話を聞く度に「世の中、そこまで単純じゃない」と毎回気づかされるのだ。
どんな場所にも、ニュースはもちろんのこと、SNSにすら現れない人の営みがある。そして今回インタビューした2人が語ってくれた内容も、報道されない現地の日常の一部だ。特に今回は、日本から遠く離れたニューカレドニアに、今もなお日本語を学び続けているたくさんの子供達がいることについて初めて意識した。
困難を乗り越えながら今も日本語を学んでいる現地の子供達に対して、ちょっとしたエールを日本語で送ってみてもいいという方がいたら、以下のメールアドレスにぜひ自由にメッセージを送ってみて欲しい。
Chizuru Sasaki Youtubeチャンネル宛メッセージ受付先
【参照サイト】ニューカレドニア観光局
【参照サイト】wikipedia「天国に一番近い島」
いしづか かずと
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