※本記事は、ハーチ株式会社が運営する「IDEASFORGOOD」からの転載記事となります。
「夏のサントリーニ島のビーチにいると、パリのレピュブリック広場でデモに参加している方がマシだと思えてくる」
「8月のミコノス島でテラス席を確保するより、パリの保育園で空き枠を見つける方が簡単である」
「サントリーニ島?“休暇のあとに、もう一度休暇が必要になる”ような休暇だ」
そんな皮肉めいたキャッチコピーが、2025年6月、パリの地下鉄駅に登場し、多くの人々の足を止めた。一見ユーモラスに見えるこれらの言葉は、過密化した観光地のストレスや、旅が「癒し」ではなく「消耗」になりつつある現実を鋭く描いている。
このキャンペーンを仕掛けたのは、フランスの旅行ブランド「Evaneos(エヴァネオス)」である。ギリシャの人気観光地・サントリーニ島とミコノス島は、フランス人にとっても定番中の定番といえる旅先。Evaneosは今夏、これらの目的地を自社の商品ラインナップから外すという、業界の常識を覆すような決断を下したのだ(※1)。
Evaneosが掲げる理念は明快。旅は、現地の人々と「共に築くもの」であり、単なる消費ではなく、関係性の中でこそ価値が生まれるとしている。同社の商品はすべて、現地在住のトラベルエージェントと協働でつくられており、地域文化への配慮とともに、地域経済への利益還元を構造的に組み込んでいるのも特徴だ。

筆者撮影
「売れる場所」をあえて外すという選択
この取り組みは、短期的な売上を犠牲にしてでも、観光地や地域社会の持続可能性を優先するという同社の強い意志を示している。観光は、誰のためのものなのか。Evaneosはその問いを、広告という形で世界に投げかけたのだ。
キャンペーンは、広告だけでは終わらない。同社は、コンサルティング会社Roland Bergerと共同で開発した「オーバーツーリズム・インデックス」を活用し、世界70の観光地における観光圧(Tourism Pressure)を定量的に可視化している。このインデックスでは、「年間観光客数/居住者数」や「観光収容力」などの指標をもとに、都市・自然・島・海岸などのカテゴリに分けて評価が行われている。

Image via Index du surtourisme
たとえば、アイスランド南部のヴィーク(Vík)や、イタリアのチンクエ・テッレ、フランスのモン・サン・ミッシェルといった人気観光地は、いずれも“非常に高い観光圧力”があると評価されている。一方、ポルトガルのアレンテージョ地方やアンダルシアの内陸部などは、観光の「分散先」として推奨される中〜低圧地域とされる。
Evaneosは、このインデックスを通じて単に「混雑を避けよう」と呼びかけているのではなく、旅行者の意思決定そのものを構造的に変えようとしている。旅の選択肢を、人気順ではなく負荷の少なさや地域との相互利益という基準で再構成する試みは、観光業界におけるインフラの再設計ともいえる。
南欧で広がる「観光の脱成長」運動と、新しいプレイスブランディングの兆し
Evaneosの試みは、観光をめぐるヨーロッパ南部の社会運動とも連動している。スペイン、ポルトガル、イタリア、クロアチアなどでは、観光によって生活の質が損なわれていると感じる住民たちが立ち上がり、「観光の脱成長(Degrowth of Tourism)」を掲げる抗議が広がっている(※2)。2025年6月には、バルセロナを含む南欧12都市で同時にデモが実施され、観光業への過度な依存によって地域の暮らしや経済の多様性が損なわれる状態を指す「観光モノカルチャー」に依存した都市開発への疑問が突きつけられた。
こうした変化は、単なる抗議や倫理的選択を超えた、構造的な転換を示していると言えるかもしれない。これまでの観光政策や地域ブランディングにおいては、観光客数や宿泊者数の増加が成功の指標とされてきた。しかし今、むしろ人の流入を制限し、地域社会の許容量(carrying capacity)に合わせた観光のあり方を再設計することこそが、地域の魅力と快適性、そして住民のウェルビーイングを守る手段として見直されている(※3)。
Evaneosによる「人気観光地の提供停止」は、この転換を象徴するものである。観光の規模を競うのではなく、質や関係性に重きを置くアプローチ。これは、今後の地域戦略にとっても重要である。
旅とは、ただ日常から逃れることではない。それは、誰かが暮らす場所にそっと身を置き、風景だけでなく、その土地に根ざした時間や声と出会うこと。そうした関係の中で、自分のまなざしや価値観が少しずつ揺さぶられていく、その営みこそが旅の本質ではないだろうか。「旅の価値=人数」ではなく、「旅の価値=関係性と尊重」。世界のいくつかの場所では、すでにその転換が始まっている。
※1 Evaneos
※2 The movement against overtourism is sweeping Southern Europe
※3 Climate crisis as a business opportunity: Using degrowth to defamiliar
【参照サイト】Evaneos


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