あなたにとって水はどんな存在だろう? 水はあなたにとって飲み水? それともお風呂の水や料理の水? それとも水は単にあなたにとって資源だろうか?
生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学政策プラットフォーム(IPBES)が発表した世界統計によれば、自然を資産や資源、あるいは目的のための手段として捉える「道具的価値」の視点を採用した研究が全体の74%を占めていた。それに対して、人間と自然の間に相互の関係があり、家族のような意味を持ち、相互にコミュニケーションを取ることができるという視点を持つ研究は、わずか6%にとどまった。

IPBESの第9回総会(2022年7月、ドイツ・ボン)で承認された
「自然の多様な価値および評価手法に関する評価報告」図の日本語訳(Image via Sustainacraft)
世界の多くの研究者たちが、人は自然を手段として考え、管理する対象として考え研究をしていることがわかる。 近代の思想は、近代化と科学革命が進む中で、 人間と自然の関係性が分離し、 人間は自然を客体としてみなし、そして分析し、管理し、コントロールできる対象としてみなしてきた。
このような自然を物や資源としてしか思考することができなくなってしまうような考え方は私たちと水との関係性にも及び、私たちは多くの水問題を抱えている。
例えば、私たちが大規模な灌漑や商業開発によって大量に水を利用した後には、たくさんの化学物質や農薬、重金属、油を水に流し河川や海はゴミ収容所と化している。このような水利用の質の悪化も原因の一部となり、水汚染と水不足が進んでいる。
WHO(世界保健機関)とUNICEF(国連児童基金)が共同で作成した「2000-2020年 家庭の飲料水、衛生、衛生習慣に関する進捗報告(Progress on Household Drinking Water, Sanitation and Hygiene 2000-2020)」の世界全体の調査によると、22億人が安全な飲料水を利用できず、36億人が衛生設備を持たない状況で、毎年約48万人が水関連疾患で命を落としている。特にサハラ以南アフリカや南アジアの農村部で深刻な状況である。
このような自然を道具としてみなしてしまう考え方を転換するにはどうしたらいいか。
この問いを考える上で、土着の先住民族の文化では、自然や水は生きた存在として捉えられてきたことが鍵になりそうだ。
例えば、ペルーやボリビアでは、山や水を生きた存在として捉え、大地の精霊として「パチャママ」という大地母神を信仰している。中部アンデス地域全域に存在する精霊パチャママは、地中に棲む文字通りの大地母神である。
パチャママには二人の子供がいて、ボリビアにおいては名前を「アチャチーラ、アウィーチャ」と呼ばれ、ペルーでは「アプー、アウキ」と呼ばれる。これらは山の神の夫婦のことである。水の神々は蛇の神ヤクママ やアマルとしてアンデスの地で広く信仰されてきた。

これらの神々は人間が直接コンタクトできる存在で、特に超自然的存在と交信しながら、共同体の守護者となるのがシャーマンである。ボリビアではシャーマンは「ヤティリ」と呼ばれ、ペルーでは「パコ」と呼ばれるが、彼らは病気の治療から豊穣の祈願まで、山や水の精霊の力を借りることによって解決している。
シャーマンは儀式を行うとき、必ずメサを大地母神パチャママと山の精霊、アプーやアチャチーラや水の神ヤクママに捧げる。儀式の体系の中心になるのがメサである。メサは大自然の創造主に宛てた人間のメッセージで、メサを製作することで人間は自然と対話する具体的な手段を獲得する。厳しい自然環境に生きた古代アンデスの人々は自然の恵みが有限であることを知っており、自然は人間に多大な恩恵を与えてくれるが、人間はその恩恵に無条件で甘えるのではなく、自然界の循環の仕組みをよく理解し、恩恵を与えてくれる自然に感謝し、敬い、それに見合う償いをしてきた。
参考に補足すると、パチャママやヤクママなどの神々はアンデスの伝統的な自然信仰の神々である。パチャママは、アンデスの先住民によって「母なる大地」として崇められる女神であり、生命の創造と維持を司る存在である。彼女は単なる大地ではなく、宇宙や時間・空間を含む「パチャ」の概念と結びつき、自然界のあらゆる生命の母として位置づけられている。8月1日は「パチャママの日」とされ、この日を中心に、アンデスの人々は供物を捧げ、大地の恵みに感謝し、新たな農耕と牧畜の年の始まりを祝う。

母なる大地の女神パチャママ image via The Midori Press
一方ヤクママは、アンデスの先住民信仰における「水の母」とされる女神であり、川、湖、湧水、雨と結びつく神聖な存在である。ケチュア語で「ヤク(Yaku)」は水、「ママ(Mama)」は母を意味し、生命を育む水の源として崇拝される。ヤクママは、農業や牧畜にとって不可欠な水を司り、パチャママと深い関係を持つ。
また、ヤクママはしばしば大蛇の姿で表されることがあり、川や湖の精霊として信仰される。大蛇は水の流れや大地のエネルギーを現し、水の神秘的な力を具現化する存在とされる。アンデスの伝統では、蛇は知恵と変容の象徴でもあり、ヤクママの守護者または化身として描かれることがある。

大蛇の姿の水の神、ヤクママ image via elriofilm.com
私はクスコから南に3時間ほどバスで南下したシクアニという場所で水のセレモニーに参加した。マチュピチュまで続くウルバンバ川上流でのセレモニーであり、彼らはこの川のことを「Willkamayu(ウィルマカユ)」(神聖な川)と呼んでいる。Willkamayuは、空にある天の川(ミルキーウェイ)と鏡のように対になっている神聖な川と見なされている。アンデスの宇宙観によれば、水は地の川と天の川の間をヤカナという黒いラマが水を天の川へ運び、アマルという水を象徴する神聖な蛇が山の神々から流れ出て川を下り、大地を肥沃にすると認識している。水の循環は天と地の循環であると同時に、神聖な動物の精霊が水の循環を媒介するのである。
写真はシクアニで捧げているメサである。 植物の葉や果物、そして海藻やヒトデなど、たくさんの自然の素材からメサを作っている。
2つのヒトデは星を意味し、彼らは星からやってきたと考えられている。そして2つある理由は女性性、男性性ともに兼ね備わっているという意味である。
アンデスでは、二元性の文化が特徴的でアンデスの二元性は、対立するものが調和し、全体性を形成する相補性に重きを置いており、相補性の概念は、アンデスの先住民族の言語ケチュア語で「yanantin(ヤナンティン)」とも呼ばれる。一方が他方に優越するのではなく、共に存在して初めて意味を持つと考えられている。例えば、天と地、太陽と月、火と水、男性性と女性性、などが常に共に存在していると考えている。近代では人と自然の対立に見られるように、二元的価値のうち、どちらか一方が優位になる構造を作ってきたため、アンバランスが生まれている状況である。写真の海藻は海を意味し、また海の浄化を意味している。白いお花は祈りのために捧げるものであり、甘い果物や蜜は、川に人間の温かさや優しさを捧げることを意味する。最後に、コカの葉とともに祈りを捧げ、 大地の母神パチャママと水の女神ヤクママにメサを捧げた。
この儀式では、地元の1500人の子供たちとともにメサを捧げ、シクアニ市と共同団体が連携して、以下の水の宣言文を出している。
アンデス地域のさまざまな学校と協力し、教育プロセスに先祖伝来の知恵を織り交ぜ、アンデスの少年少女たちを支援し、大地の神さまであるパチャママ、神聖な山々、水、自然との愛情の絆を強めてきた非営利団体であるCEPROSI – Proyecto Regional Andino Perú-Boliviaのホームページに以下の10の宣言文が記載されている。
1.水は尊敬と愛に値する生きた存在である
2.水は神聖であり尊重されるべきものである
3.水にはその経路があり、汚してはいけない
4.水は神聖なものであり私たちは時と場所に応じて水の儀礼をする
5.水は生命を誕生させる私たちの母である
6.水は喜びであり、わたしたちはそれに合わせて踊ったり歌ったりする
7.水は植物、動物全ての生きものを育てる
8.水を無駄にしてはいけない
9.水には大地や木々などの付き人がおり、私たちが種を蒔く
10.人の価値は水の未来を大切にすることである
海水は浄化と豊穣の儀式において重要な意味を持ち、山の崇拝や川の儀式においても、貝殻を吹くことが特徴的である。山の崇拝においても雨乞いの儀式には螺貝が用いられてきた。これは日本でも類似することである。日本の古代人は山と海の間のエネルギーの流れのバランスも重視しており、しばらく雨がふらず、水が枯渇する場合には、海から山へ、神の呼び込みが起こったのである。その際には螺貝を吹いてきたのである。
シクアニ地域では、元々アンデスの伝統にあった川の儀式が近代化の中でなくなっていたが、地元の行政と教育団体、そのほかのアンデス文化の保全団体が共同して、川のセレモニーを復興していることが特徴的であり、儀式を復興することにより、水が生きており、神聖な存在であるという地域全体の人々の認識の再生につながっている。子供たちが中心になっていることから、環境教育のあり方に新たな視座を与えている。子供たちはこれらの認識をもとに川の水質調査や河川付近でのゴミ処理の改善方法に関してなど様々な視点から生きている川と関係性を築いている。
ボリビアのヤティリEusebio(ユーセビオ)とコカの葉を通じて自然の精霊と対話している様子アンデスの地域ではコカは神聖な植物であり、また様々な役割を地域共同体において果たしています。コカの葉は、アンデス地域の先住民文化において神聖な植物として崇められ、山の精霊(アプス)や母なる大地(パチャママ)とつながる際にはコカの葉を山や大地に捧げる。また地域のコミュニティではコカの葉を互いに捧げながら共に噛む「アクリリック」という行為をすることが多く、この行為はコミュニティ間の絆を深めている。
また、アンデス地域は標高が高いことで知られているが、コカの葉は高山病の予防のために用いられる。このコカの葉は現地のシャーマンが人々の質問に答えるときにも用いられ、コカリーディングを行う。
コカリーディングとは、コカの葉を使って自然の精霊と対話しながら、クライアントの質問や問題に対する答えを見つけ、未来を占うことであり、現地のシャーマンが質問に対して、コカの葉を散らし、葉の配置によって質問の答えや洞察を提供するのである。
そしてボリビアのティティカカ湖を訪問した際には、現地のヤティリ(ボリビアのシャーマン) Eusebio(ユーセビオ)と以下のような対話をしたことが印象的である。
・
ユーセビオ「湖のエネルギーはまるで話しかけているかのように捧げ物をすることで伝わります。この砂糖菓子に書かれている動物がラマで、これらの動物は全てが湖に属しています。
さあメサにラマの砂糖菓子を捧げましょう。ティティカカ湖と海のつながりも必要なので、 Mama Qota(ママコタ、湖の精霊)、 Lavam Qota(ラヴァムコタ、海の精霊) 、Qota Achachila(コタアチャチーラ、湖の中にいる山の精霊)すべてを呼び起こします」
筆者「御供物は燃やすのですか?」
ユーセビオ「御供物は燃やさなければなりませんね。湖の風に乗ってこの捧げ物は受け取られます。 Mama Qota(湖の精霊) 、 Qota Achachila(湖の中にいる山の精霊)に」
筆者「湖も火で消化して食事をするようですね。 Achachila(山の精霊)は山にも湖にもいるのですか?」
ユーセビオ「 Achachila (山の精霊)は湖の中にもあり、山にもあります。そして、 Qota Uwichu(湖の祖母)は祖母のような存在を意味します。湖にはカモメやアヒル、魚がいますが、これはQota Uwichu (湖の祖母)の動物です」
筆者「パチャママとAchachilaの違いはなんですか?」
ユーセビオ「パチャママは大地であり、 Achachilaは山々です。湖にも山々があり、それがQota Achachilaです。わかりましたか?安里、Mama Qota はまるで女性のような存在です。今あなたはもう一人の母と繋がりました。これであなたはMama Qota です。水は生命であり、だから私は湖に大きな敬意を持っています。水がなければ私たちは生きられません。他にも動物たちがいます。湖の野生のアヒルや魚などです。すべて、 Qota Uwichuが私たちに食べ物を与えてくれます」
・
水を湖から天に運ぶラマの絵が描かれている菓子をメサに捧げ、また湖の精霊だけでなく、山の精霊、海の精霊を呼び、水の循環に関わる精霊を全て呼んでいることがわかる。また、山の神アチャチーラの精霊の視点に立つと、山と湖といった分離がなく横断し、存在していることがわかるだろう。また、水も生きた存在として認識し、食事(捧げ物)を捧げていると考えることができる。
このようにヤティリにとって中心となるのは、自然の精霊であり、自然の超自然的存在とコミュニケーションをとりながら、大宇宙の摂理、自然の摂理と深く対話していくのである。アンデスの人々にとって水は生きている存在であり、そして常に精霊という神々を通じてコミュニケーションをとることができる存在である。アンデスの人々は、シャーマンであるかどうかにかかわらず、日々コカの葉を通じて自然の神々と今日も対話し続けているのである。
アンデスの土地の旅を通じて、水は天と地をめぐりながら生き続けていると感じた。そしてアンデスの人々は、近代の人が失ってしまっている超自然的存在とコミュニケーションをとりながら、人と自然とそして超自然的存在の間には分断はなく、連続した存在として、私たちの大切な家族として水を、自然を捉えていると感じた。アンデスの人々のルーツは大地にあり、水にあり、パチャママにありヤクママにある。土着の先住民族は自然の神々と深く対話しながら、土地の智慧を祖先から受け継いできたのである。
この旅から始まり、次の旅ではここで述べたアンデスの水信仰やさらには中南米に渡る水の神々と直接対峙し、内在化する経験を経ていくことになる。土地を旅する際にはその根底にあるルーツや精神性に焦点をあてながら旅をすると、近代の私たちが失ってしまったルーツに立ちかえるきっかけになるだろう。
日本の人々も、世界の人々も近代の世界に生きているように見える人もルーツを遡っていけば皆何かしらの部族を経験している。つまり皆、もともと先住民族なのである。
私たちはそのルーツに立ち返ることで、自然の中で生かされ、火を囲みながら食べ物を分け合い、人々の間で助け合い、自然の厳しさも常に隣にあると同時に大いなる自然に常に守られ還ることができるという感覚を思い出すだろう。
私たちは自然の一部であり、私たちの内に祖先がいて、火があり水があることを思い出すとき、自然は私たちそのものであることを思い出す。ルーツに立ち返ることで、自然を道具としてみなしてしまう価値観から、自然は生きており、私たち自身であるという価値観に転換していくのだ。
この記事が、私たちの祖先と、そして祖先を育ててきた自然と自然の神々との関係性を取り戻す旅路のきっかけになれば幸いである。
【関連記事】「Okie-dokie(全てはオッケー)」が合言葉! ペルーで体験した、みなアミーゴの精神とリジェネレーションの旅路

Asato Nakamura

最新記事 by Asato Nakamura (全て見る)
- もともと私たちは皆先住民族 。アンデスの神々が伝えてくれた、生きている聖なる水との関わり - 2025年2月20日
- 「Okie-dokie(全てはオッケー)」が合言葉! ペルーで体験した、みなアミーゴの精神とリジェネレーションの旅路 - 2024年7月30日