地域の人とワーケーションの価値をつくる。小田急電鉄株式会社 木谷周吾さんインタビュー

2020年以降の世界的なパンデミックによって多くの産業が打撃を受けた。その中でも「観光」は人の移動が止まり、観光自体がなくなってしまうのではという予感さえ漂った。そんな先の見えない状況においても、観光に関わる事業者は試行錯誤を繰り返しながら新しいカタチを模索し、この危機を乗り越えようとしている。

鉄道事業や不動産事業などを展開する小田急電鉄株式会社もその1社で、同社は「地域価値創造型企業」を経営ビジョンに掲げ、これまでにも鉄道沿線の地域における観光の促進や地域の魅力発掘を行ってきた。その経験と実績を活かし、観光に留まらない、より地域に深く溶け込んだ新しい体験型の事業として「ワーケーション」の取り組みを開始した。

今回、2022年3月から5月までの3ヶ月間、本事業の実証実験として神奈川県小田原市をフィールドに、海辺でのワークやアウトドア体験、交流イベント、移住体験プログラムなど、仕事も余暇も楽しめるプログラム「小田原ワーケーション」を企画・運営した観光事業開発部の木谷周吾さんに取り組みの経緯から、木谷さんが考える観光のあり方、ワーケーションの価値についてお話を伺った。

話者プロフィール: 木谷周吾さん

2002年小田急電鉄入社。ショッピングセンターの運営やグループカード事業を経験。2018年から経営戦略部新規事業担当として各種事業を立ち上げる。現職では観光まちづくりをテーマに地域体験マッチングプラットフォーム「小田急×aini」や伊勢原市大山で地域コミュニティ「大山これから会議」の運営、「小田原ワーケーション」などに取り組んでいる。

目次

鉄道のビジネスだけでは生き残れない現実が目の前に

──ワーケーションの取り組みをはじめたきっかけを教えてください。
会社としては、以前から人口減少社会の中で鉄道のビジネスモデルだけでなく、観光領域で新しいモデルや新規事業の開発をしていくフェーズにありました。そんな中で2020年に大規模なパンデミックが起こり、会社としても世の中の雰囲気として、とても観光に行こうという風潮にはなかったですよね。まさに観光は危機的な状況でした。改めて立ち止まって、「私たちはどうするべきなのだろう」と考える時間が続きました。今までのように電車に乗って通勤することがなくなる可能性もあるのではないか。100年近く経営する企業で、ここまで最悪の状況を想定したのは初めてだったかもしれません。ただ、冷静になって考えてみると人口減少に伴う社会構造の変化はいずれ来る未来であり、それが一瞬で来ただけだと思いました。

──危機的状況の中で何を考えていましたか。
これまで会社の事業は線路を引き、駅をつくり、周辺にビルや施設などを建てたりというインフラを整備し、その後にお客さまに住んでもらったり、買い物をして遊んでもらったり、電車で移動してもらうことで成長してきました。しかし、既存のビジネスでは生き残れない現実が目の前にある。今まで当たり前にしていたことができない中での旅行や観光ってなんだろう。リモートワークが普及し、働き方も変化した中で移動する目的ってなんだろう。その場所にどうしても行きたいと思うためには・・ということをひたすら考えている中で、「ワーケーション」というワードが出てきて、「働く」と「旅行する」をミックスしたものが今後求められていくのではないかと直感的に思いました。ただ、ワーケーションの市場はまだまだ小さいですし、これが本当に会社の新しい事業になる確信は正直ありませんでしたが、チャレンジする意義はあると思いました。

新宿駅―小田原駅間をつなぐ小田急線。特急ロマンスカーに乗れば箱根湯本や御殿場まで行くことができる。

観光する理由を「人に会いに行く」と再定義した

──なぜ確信はなかったけどチャレンジする意義があると思ったのですか。
私が観光事業開発部に異動したのが2020年4月だったのですが、その前に「小田急×aini(アイニー)」という小田急沿線での自然体験やまち歩き、ものづくりなどの体験コンテンツをつくることと、その体験に参加することができる地域密着型のサービスを立ち上げました。このサービスの特徴が「人」で、人の興味や好きなものにスポットを当てた体験にあります。この仕事を経験したことで、私の中で観光する理由を再定義することになったんです。それが、これまでの観光は「物見遊山」が主な観光する理由でしたが、これからの観光は「人に会いに行く」ことがその理由になると。

──そう思うに至った出来事が何かあったのですか。
個人的なエピソードがありまして。私が幼稚園から小学生の時、家族で毎年夏休みに千葉県の勝浦に行ってたんです。それから私が大人になって今度は息子と二人で勝浦に旅行に行ったんです。しかも当時の私の年齢と息子の年齢もちょうど同じタイミングに。そして、当時小さい時に泊まった旅館に行ったのですが、なんとそこの女将さんがあの頃と変わらぬ姿で健在だったんです。女将さんに「覚えてる?」と言ったら、「あんなちっちゃかった子がこんなに立派になって帰ってきて・・」と泣いて喜んでくれて、お互い涙しながらハグしたんです。私が子供の時に親と行った場所に今度は私が親になって息子と行く、そこで女将さんと再会するという出来事は言葉では表せない不思議な感覚でした。ただ、今思うとその場所に行こうというより、純粋に女将さんに会いたかったんだなと。その私の実体験から「人に会いに行く」はワーケーション事業にも活きると思ったんです。

木谷さん思い出の勝浦の旅館。ここに事業コンセプトに至るヒントがあった。

地域の人の思いを引き出し、一緒に地域の魅力をつくる

──そこから「小田原ワーケーション」に至るまでの過程はどのような感じでしたか。
まず自分でいろんな問いを立てました。部屋の壁が付箋で埋めつくされるほど、思っていることやいろんな可能性を洗い出しました。ただ、私の主観だけでは偏った考えになってしまう。私のチームは若いメンバーが多かったので、自分にはない視点を持ったメンバーの声にも耳を傾けました。メンバーとはじめの半年間は「自分たちがそもそもどんな事業をやりたいか」だけをずっと考えました。そんな感じでメンバーと話していく中で、徐々にコンセプトは「人」になっていきました。

一方で、私たちの思いばかりが前面に出てしまうと本当の意味で人にフォーカスできないと思い、その対象を「地域の人」にし、私たちの立ち位置はあくまで「サポートに徹すること」に決めました。地域にはいろんな思いやパワーを持った人たちがたくさんいるんです。私たちの会社は鉄道や建物などの「ハード」が強みですが、一方で「ソフト」は地域の人が持っている。地域の人の思いを引き出し、地域の魅力的なコンテンツを一緒につくることができれば、そこに移動が自然と発生するのでハードにも必ず効果が生まれると思いました。

地域の人の思いを引き出して、一緒にコンテンツをつくることを大事にする
(写真の真ん中は小田原市でコワーキングスペース・イベントスペース・民泊を運営する「BLEND」の杉山大輔さん)

──なぜ実証実験の場所を小田原にしたのですか。
小田原という地域は海山川があって、食も美味しい、歴史もあって、資源がとても豊富。また、新宿から小田原までの移動は、国際的な都市から始まって国際的な観光地で終わるという点も魅力で、都市からスタートして、だんだんと住宅地になり、そこから田園風景になり、山が見えて到着すると海が出てくる。まるで日本の都市と地方の縮図みたいなエリアで、近すぎず遠すぎずでワーケーションのスイッチが入りやすい感覚があるんです。この観点で、小田原で一つモデルをつくることができれば、他のエリアにも展開することができるのではないか、逆に言えばこんなに魅力溢れる地域でモデルをつくることができなければ、他のエリアにもワーケーション事業を広げることは難しいと思い、小田原から実証実験をすることにしました。

海山川といった自然に、歴史や文化のまちとしても有名な神奈川県小田原市

「小田原ワーケーション」の実証実験がスタート

──実証実験を通じてどんな方が参加して、どんな発見がありましたか。
自然豊かな環境を生かしたアウトドア体験や交流イベントを中心としたプログラムを地域の事業者の方と企画運営しました。今回、参加者の属性はフリーランスの方が多く、会社員の方だとエンジニアやデザイナーなど、比較的テレワークで仕事ができる方が多く参加していました。その中で意外だったのが、テレワークできる環境で働いている方でもワーケーションは初めての方が多かったです。

また、東京や小田原以外の神奈川在住の方の参加が多いのかなと予想していたのですが、実は小田原在住の方も多く参加していました。お話を聞いてみると、最近小田原に移住してきたばかりで仲間やコミュニティを探していた方が多い。実際に、交流時間はとにかく参加者同士がずっと話している姿が印象的で、この2年間で人とのつながりが希薄になってしまったことを強く感じましたし、だからこそ「人」とのコミュニケーションはとても重要であることを再認識しました。都市部在住の方と小田原在住の方が交流したことで双方に良い刺激があったことは大きな発見でした。

参加者同士のコミュニケーションがたくさん生まれたワーケーションプログラムの様子

──他には何か発見はありましたか。
当初、「交流」をポイントにプログラムを組んでいたのですが、やっている中で「仕事がきちんとできること」は必須条件であると感じました。企画段階からなんとなく想定していたのですが、今回の実証実験を通じて、「ワーク(仕事)→コミュニケーション(交流)→インキュベーション(創造)」というプロセスが、私たちが提供できるワーケーションの価値だと言語化することができました。仕事に集中できるからその後の交流が盛り上がる、その交流が活性化されるとそこで新しいアイデアや刺激が生まれて、一緒に何かを始めてみるとか、新しい何かが生まれたりすると思ったんです。一般的には「ワーク×バケーション」がワーケーションと認知されていますが、私たちが目指す「人」をコンセプトにしたワーケーションは「ワーク×コミュニケーション」であるというのも大きな発見でした。

ワーケーションの入口はワークに集中できること。そこからコミュニケーションやインキュベーションが生まれる

仕事と交流、発見と創造の先にあるもの

──ワーケーション事業の今後の展開を教えてください。
「ワーク×コミュニケーション」の時間のバランスや、どのような体験・プログラムを入れると地域の人にも、参加する人にも効果があるかはもっと研究が必要だと思っています。そのためには、まずは地域の人と一緒にその地域にある資源を活用して、ワーク×コミュニケーションがより促進されるプログラムをつくることが重要だと思っています。先ほどの「仕事がきちんとできること」は特に追求したいテーマで、遊びをしないわけではないですが、遊びのイメージが強すぎると仕事の生産性向上につながらず、そこからのコミュニケーションとインキュベーションも生まれにくいと思っています。

また、働く大人だけに絞らず、子供同士も仲良くなって新しい友達ができたらと、8 月1日から7日の一週間は「親子ワーケーションウィーク」というプログラムを実施します。私も子供がいるので感じるのですが、子供同士が仲良くなると自然と親同士も仲良くなるんですよね。親子ワーケーションという切り口からもコミュニケーションとインキュベーションを生むきっかけにしたいと思っています。

子供がつながると大人もつながる。親子ワーケーションで新しいコミュニケーションのカタチを

──木谷さんが今思っていることを教えてください。
私たちのチームは今回のワーケーションの企画運営を通じて、「FIND-CREATE CYCLE」という何か発見があると新しいことが創造されるという考え方を定義しました。この考え方をベースに、地域の人たちや私たちの事業を応援してくれるアンバサダーの方々と一緒にワーク×コミュニケーションの新しいカタチをつくっていきたいです。

また、私個人の思いとしては、自宅とオフィスともう一つ、サードプレイスとなる地域をより多くの人に持ってほしいなと思っています。地域の人と「ただいま」「おかえり」を言い合える場所があったら幸せにつながるんじゃないかなと。私の勝浦での出来事はそれに当たると思いますが、そのようなサードプレイスとなる地域が増えていくと、まるで「人生ノート」のマスが塗りつぶされていくような感覚があって。そのマスの色が濃くなるほど、地域とのつながりが生まれ、人に会いに行く理由が生まれ、そこでの仕事や交流によって発見と創造が生まれ、「ウェルビーイング」の向上につながるのではないかと思っています。

木谷さんたちのチームが独自に定義した「FIND-CREATE CYCLE」

編集後記
私も4月9日に小田原ワーケーションに参加して、「ワーク→コミュニケーション→インキュベーション」のプロセスを体感した一人。そこで出会った大学教授の方と地方創生や地域活性化についての話で盛り上がり、一緒にプロジェクトをやろうかというフェーズになった。木谷さんはじめ、本事業に関わるメンバーの方たちは会社の未来が危ういのでは?と苦しい状況の中で、「自分たちに何ができるんだろう」ということを必死に考え、これまでの会社の事業の軸である「ハード」ではなく、地域の人の思いや魅力という「ソフト」に目を向け、「FIND-CREATE CYCLE」という概念を独自に定義した。インタビューの中で強く印象に残ったのが、この概念を生み出すまでのプロセスが「ワーク→コミュニケーション→インキュベーション」そのものだったのではないかと。これから木谷さんたちは自ら体感し、体現したものを地域の方や参加する方にワーケーションを通じて伝えていくのだろう。

【参照サイト】小田原ワーケーション

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Tadaaki Madenokoji

物事の背景・構造と人の思考・行動を探究することが好き。神奈川県藤沢市と茨城県大洗町の海街で二拠点生活とまちづくりを実践中。「見えないものを見えるようにする」をコンセプトに、地域で活動する人たちや多様な生き方や働き方をする人たちの思いや考えをお伝えしていきます。