田舎の風景と言えば、どこまでも続く広い田畑やきれいに並んだ果樹、緑が美しい山々などを思い浮かべるだろう。日本各地へ行けば当たり前のように見かける景色ではあるが、このままではその風景が見られなくなる日が訪れるかもしれない。
昨今、後継ぎ不足や新規で農業を始める人の減少に伴い(※1)農地として使われていない土地が増えている地域もある。美しい田舎の景色は自然とできたものではなく、人の手で保たれてきたものだ。この風景や日本の地域農業を守っていくためには、どうすればいいのだろうか。
宮城県七ヶ浜町出身の吉川一利(きっかわかずとし)さんは都会への憧れが強く、東京の芸能事務所で勤務をしていたが、2011年の東日本大震災で人生観が一変し、地元である宮城県への思いを強めた。そして、2019年4月に宮城県利府町の地域おこし協力隊として宮城県へUターン移住をし、梨づくりを始め、2022年1月からは場所を変え、宮城県角田市の地域おこし協力隊として、放置されていた梨畑を復活させる活動を行っている。今回は地方の農業事情と向き合い、日々奮闘する吉川さんにお話を伺った。
憧れの都会暮らしから、地域おこし協力隊としてUターン移住
──はじめに、なぜ東京からの移住先として宮城県利府町を選んだのですか?
宮城県利府町は私の地元、七ヶ浜町の隣町であり、古くからの友人・応援者が多くいる地域でした。地元に近い果樹園であれば古くからの人脈も活動の追い風になると思い、利府町を拠点にしようと決めました。
また、東日本大震災後に、東北で出会った方々を撮影して「笑顔カレンダー」というものを作成し、そのカレンダーの売上を母校に贈るという震災復興支援活動を仲間と共にしていたのですが、その活動を通じて地域と人々が繋がっていくのを目にしました。そうした「笑顔カレンダー」を通して得た、地域と人を繋ぐ経験を最大限に活かして、利府町と人々を繋ぐことで、この町に貢献していきたいと考えました。
──移住の際に、「地域おこし協力隊」として梨づくりをする道を選んだ理由は?
地元の近くでライフワークでもあった「笑顔カレンダー」を継続して制作したいと考えていたので、ある程度時間の融通が効きながら、お金を稼げる仕事がしたいと考えていました。農業・果樹園経営をすれば諸々叶えられるのでは?と感じ、地元最寄りの果樹園を選択しました。正直、梨を選んだのはたまたまですね。
──地域おこし協力隊として農業をやるメリットはどんなことがありますか?
私は休耕地となっていた畑を復活させるところから梨づくりを始めました。その場合、収穫して収入を得るまで年単位の時間がかかります。収入なしで数年となるとなかなか取り組めないですよね。でも地域おこし協力隊の制度を活用すれば、農業としての収入が入るまで、自治体からお金のサポートが得られる。任期である3年間を利用して畑の復活に注力することができます。
もともと協力隊になろうと思っていたわけではないのですが、協力隊の3年間という任期が果樹園を復活させる準備期間としてぴったりだと思い、地域おこし協力隊として農業を始めました。
──果樹園を復活させるためには長い時間がかかるんですね。果樹園の復旧以外に日々どのような活動をされていましたか?
梨をつくるだけではなく、梨の魅力を伝えるPR活動などを行っていました。オリジナルグッズの制作、ブログやSNSでの宣伝、ユニクロやイオンモール新利府と利府梨をコラボしたグッズの販売もさせていただきました。また、「地元の児童に利府梨を食べてもらいたい」と思い、梨が収穫できるようになった後は利府町の保育園や幼稚園、小学校に梨の寄付もしました。
──様々なコンテンツを利用してのPR活動は大変なことだと思いますが、企業と利府梨グッズがコラボしたときはどんな思いでしたか。
Tシャツや前掛けなどのオリジナルグッズは、梨の耕作面積が少なかったため収穫物だけで潤沢な収益を得るのが厳しいと感じ制作を始めました。企業コラボに関しては、単純に嬉しかったですね。商品を販売していた、利府駅前のコワーキングスペース “ツミキ” のスタッフの方々が商品陳列のレイアウトを諸々考えて下さり、それが偶然企業の方々の目に触れてコラボに至りました。自分だけの力で叶えられた訳ではないので、周りの方々には本当に感謝しております。
地方農業の壁を知る
──利府町での活動も順調に進んでいたと思うのですが、なぜこのタイミングで利府町から角田市へ移住することになったのでしょうか。
利府町で梨づくりを始めたときは、梨のことを何も知らずに始めちゃったんです。だから、後になって利府町で新規就農(新規で農業を一から始める)をして暮らしていくには土地が足りないということを知りました。そのまま利府町の地域おこし協力隊を卒業して新規就農すると、補助金を貰える面積条件にも達していなくて、先輩方にも「お前の畑では年間30-40万円しか売上取れないぞ」って言われたんです。この金額ってすごく厳しいじゃないですか。残念ではありましたが、利府町では夢が叶いそうになくて宮城県内の他の畑を探しました。
──次の活動地として角田市を選んだ理由はなんですか?
利府町だと仙台市が近いから土地代が高くて、地主の方もなかなか土地を手放しませんし、田舎のほうがのんびりと農業がやりやすく魅力的だなと考えました。そして、宮城県南の蔵王町と角田市が候補に上がり、最終的に角田市を選びました。角田市は1つの畑が大きいのと、土地の価格が安いです。平坦な土地も多いので、傾斜が多い場所に比べて農業がやりやすい環境というのも魅力でした。
──しっかりと吟味されてから角田市に来たと思いますが、実際に角田市に来てみて何かギャップを感じたことはありますか。
イメージしていたより休耕地の状況が悪かったことですね。毎日果樹園に来て作業をしていますが、予定以上に作業時間がかかっています。でもやってみなきゃ分からないから、まず、協力隊の3年間頑張ろうと思っています。
──素人目からすると、すぐに使える農地で梨づくりをしたらいいのでは、と思ってしまうのですが、吉川さんはなぜ休耕地の復活から手掛けているのでしょうか?
ここの果樹を治さないと他の畑に病気が飛んでしまって、病気が広がる可能性があります。この休耕地を復活させて病気を治すことで、角田市内の畑の病気率もぐっと下がるはず。ここの畑を治すことには社会的意義があるんです。
──畑の病気とも向き合わなければいけないのですね。広い果樹園だと治していくのも大変ですよね。
そうですね。いまお借りしている果樹園の状況はとても悪いです。でも、そもそも良い条件の畑を貸して下さる事がレアケースだと思います。条件が良い所は、もう既に誰かが営農しているか、賃料が高いなど様々な課題があり、なかなか借りるのは厳しいと感じています。 休耕地であれば、「草刈りだけでもやってほしい」など、地権者の困り事を解決する所からスタートするため交渉もしやすいです。続けていれば、周りの現役農家さんからも「あいつしっかりやってるな!」と思ってもらえるかもしれないですし、やり続けていれば今後条件の良い畑が出た時に「あいつならやれる」と推薦して頂けると思っています。今は実績と信頼づくりの段階ですね。条件が悪かったとしても、農地を貸していただけるのは非常にありがたいことです。
地域農業の発展に繋げていく
──角田市地域おこし協力隊として満期になる3年後はどのようなビジョンを描いていますか?
角田市で新規就農をして、梨に限らずいろいろな作物を作っていきたいと考えています。そして、農業をやってみたい若者や、地域おこし協力隊を受け入れることができる農場にし、地域農業の発展に繋げていければと今は考えています。
──休耕地の復活から、未来の就農者の受け入れまで長いビジョンを描いている方が地域にいることは町にとっても心強い存在だと思います。本日はありがとうございました。
ー
地域の農業を守るべく、地道な努力を怠らない吉川さんの姿勢は、多くの方から信頼を得ている。このように努力をしている方々が地域にいるからこそ、田舎ならではの美しい景色や日本の農業は守られていくのだろう。田舎の美しい景色や農産物への眼差しが、明日から少し変化することを願って。
【参照サイト】地域おこし協力隊|ニッポン移住・交流ナビ JOIN
【参照サイト】宮城県利府町 公式ホームページ
【参照サイト】宮城県角田市 公式ホームページ
【関連記事】Livhub インタビュー記事一覧
高橋 真理
最新記事 by 高橋 真理 (全て見る)
- 環境への負担を最小限にする牧場。沖縄県石垣市「八重山列島カーボンフリーファーム」が始動 - 2024年9月12日
- 世界遺産・屋久島の自然や文化を誰でも理解できるように。「仮想市民大学」屋久島アカデミーが多彩な観光コンテンツを展開 - 2024年8月31日
- 自然に触れて、森にほど近い箱根の魅力を再発見!9月7日〜29日「HOME FOREST」開催 - 2024年8月30日
- 憧れのBESSのログハウスで暮らす。サブスク「OURoom(アワールーム)」で気軽に “別荘ライフ” を実現 - 2024年8月28日
- 宮城県角田市の移住者視点のまちづくりと、地域の伝統を紡ぐ道の駅に見えた未来 - 2024年8月22日