旅する経営者 x 地域のシビックプライド「まぜたらどうなる?」〜山口県ワーケーションツアー報告 後編〜

前編では、全国の都市部から集まったスタートアップ企業を中心とした経営層たちが、下関市豊北地域を視察しながらワーケーションをする過程をレポートした。後編では、ツアー2日目と3日目に訪れた山口県萩市でのツアーの様子をお届けする。

明治維新胎動の地の歴史に、ITを掛け合わせる

萩市に到着した参加者たちが最初に降り立ったのは、幕末からの歴史の重みを感じる重厚な木造校舎「萩・明倫学舎」。

もしこれを読んでいる方が歴史好きなら、「萩市」と聞いて真っ先に思い出すのは幕末や明治維新だろう。萩市は、日本が近代化する過程でその礎を築き、新時代を牽引した多くの先達を育んだ明治維新胎動の地。そして明倫学舎は創建来、多くの人材が志を立てた「藩校明倫館」として萩藩の人材育成の中枢を担ってきた学び舎。日本最大級の木造校舎として知られ、現在では、萩市が運営管理する複合施設として、展示やギャラリー、レンタルスペース、コワーキングスペース、サテライトオフィスなどに活用されている。

萩市に訪れたばかりの参加者一行に、冒頭で萩市についてレクチャーをしてくれたのは、萩市総合政策部の大平憲二課長だ。

萩市総合政策部 大平憲二課長

「萩市は、もともと城下町だった旧萩市から、平成17年に1市2町4村が合併して誕生しました。そして萩市も人口は合併当時の6万人から4万3000人以下に減少しています。若者の働く場をつくるため、2015年からサテライトオフィスの誘致を始めました。この明倫学舎もその施策の一つで、現在6社のサテライトオフィスが明倫学舎内にあります」

もちろん萩市が用意しているのはオフィスのようなハード面だけではない。萩市での新たなしごとの創出に向けて「HAGI_」というプロモーションサイトも開設。サイト上では様々なこれまでの萩市のICTを活用した取り組みや、萩市内にサテライトオフィスを検討する企業に対する支援制度なども紹介されている。

歴史ある木造校舎内で感じる「新しい胎動」

そして一行は萩市のサテライトオフィスを構えた企業のオフィス見学へ。
この明倫学舎にオフィスをおく企業の中に、企業のコミュニケーション改革を支援するアプリを提供する「株式会社PHONE APPLI」という、スタートアップ企業がある。明倫学舎のレトロで懐かしい外観とは裏腹に、そのオフィス内はずらっと並んだPCモニターや、オンラインミーティング用の個室ブースなど、最新のコワーキングスペースのような先進的なしつらえのオフィスがある。

「株式会社PHONE APPLI」のオフィス

冒頭でも述べたが、東京では人材獲得競争が激しく、優秀なエンジニアを採用・定着させるのが難しい。一方、萩ではIT企業が少なく人材競争が少ない。加えて萩市の支援もあり、2019年に株式会社PHONE APPLIは明倫学舎内に「萩明倫館アプリ開発センター」を設置。その経緯や、萩での採用状況などについて、営業統括 テックマーケティング部 部長 北村隆博さんからオンラインにてお話を伺った。

北村さんによると株式会社PHONE APPLIは、これまでの都市圏での採用とはまったく違う方針で萩市の人材を集め、東京の人材との交流の中で教育を進めているそうだ。

「PHONE APPLIでは、萩市内の高校新卒者を採用してITエンジニアを育成しています。1年目は研修を重ね、2〜3年目で資格取得や開発業務に従事してもらいます。育成後は東京転勤も可能。独自のワーケーション制度を導入し、萩市内に社員が宿泊できる施設も整えることで東京と萩の間で社員同士の交流が生まれる機会をつくっています」

この日も萩市で採用した2名の若手スタッフがオフィスを案内しながら、ツアー参加者からの質問にてきぱきと返答していた。どうやら萩市で採用したPHONE APPLIのスタッフたちは順調に育っているようだ。

オフィスを見学した参加者たちは、萩市での若手人材獲得の実例や、地方でのサテライトオフィス開設のメリットなどについて積極的に市担当や北村さんに質問し、都市部の人材採用競争から脱却方法とその後の人材教育についてヒントを得ていた。もし地域にオフィスを構えることで人材獲得競争から脱却し、若手人材を雇用したい企業があれば、まずは萩市役所にアクセスしてみることをお薦めする。

ゲストハウスを通して旅人と住民の接点を

次に参加者の前にスピーカーとして登場したのは、萩市で「萩ゲストハウス ruco」を運営する、塩満直弘さん。彼は2022年から全国に魅力的なゲストハウスを展開する株式会社Backpackers’ Japanの取締役CCOも務め、ゲストハウスを通して訪れる旅人と地元住民の接点を生み出し続けている。

「萩ゲストハウス ruco」代表 塩満直弘さん

「27歳の時にUターンした後、2013年に空き店舗を改装してrucoを開業しました。ゲストハウスを通した地域とのつながりを大事にしながら、萩の交流人口を増やすことを目指しています。そのせいか今ではrucoを目指してくれる人が増え、周囲に個人店舗ができたり、rucoをきっかけに移住者が出始めました。名前のrucoは漢字で書くと「流」「交」。訪れる旅人と萩の日常との間に接点を設けながら、まちの本質的な価値に『編集』という視点で関われることが、ゲストハウスの魅力です」

その後も地域との関係を大事にしながら、ゲストハウス以外にも大正15年の納屋を改修した古民家カフェ「UTTAU(うったう)」を開業するなど、実績を重ねてきた塩満さん。塩満さんが複数の拠点を通して、関わり続ける萩の魅力とは一体なんなのだろうか。

「この街の魅力は歴史や城下町だけではないと思っています。農産物や海産物をはじめとして、いろいろな食材がリーズナブルでいて美味しい。そして日本夕陽400選に選ばれている菊ヶ浜に代表されるような、美しい浜辺に気軽にアクセスして楽しむことができる。僕自身が萩の四季折々の豊かな自然と、街並みの風景に何度も救われてきました」

菊ヶ浜からの夕陽

まさに塩満さんが子供の頃から遊びながら過ごしてきた萩という町への想いの総量が、現在の事業を通した萩との関わり方に瑞々しく息づいている。そんな塩満さんの話を伺った後は、全員でゲストハウスrucoへ。

参加一同は、萩の夕暮れからヒントを得たという藍色のバーカウンターでコーヒーを飲みながら、温かみのある内装と地元の萩焼と大漁旗をあしらった美しい壁面にしばらくの間見入っていた。

鎌倉と萩を繋ぎ、町をゆるやかに見守る「まちづくらない」視点

「町を歩いていて知らない人に『こんにちは』って言われたのは、僕の経験では萩と鎌倉だけでした」

萩の町の印象について、そんなエピソードを語ってくれたのは、株式会社b.note代表の新井達夫さん。

株式会社b.note 新井達夫さん(写真中央)

まるで城壁のような石垣や、歴史情緒漂う木造の町家。そんな風景が自然と街並みに溶け込んでいる萩市の歴史的建築物を生かして、築200年の海産物問屋を改装したレストラン「舸子(かこ)176」や古い蔵を改装した一棟貸しの宿泊施設「閂(かんぬき)168」を萩市で展開する株式会社b.noteの事業と、新井さんの町に対する視点について伺った。

「舸子176」の中庭からの風景

「萩とのご縁は、以前勤めていた会社が萩市と関係があったことから偶然始まりました。退職して独立した後、その会社の先輩に『萩でうまい物でも食べようよ』と誘われ、初めて萩市を訪れました。その後、町の人や市長と話すうちに、次第に町の課題も耳にするように。事業展開を決めた理由は、萩の町のコンビニの接客が普通に心地良かったこと。萩ってそういう『普通』のレベルが高い」

ちょうど新井さんが待つ拠点に向かう直前、道ですれ違った小学生から「こんにちは!」と元気よく声をかけられ、戸惑いながらも挨拶を返していたツアー参加者たちは、この新井さんの話に大きく頷いていた。幕末から続く萩市の歴史と教育、そしてシビックプライドが、「町の普通」につながっているのだろうか。

そして株式会社b.noteの遊休施設再生の過程を聞いていると、どうしても「地方創生」「まちおこし」という言葉でその活動を括りたくなりがちだ。ただ株式会社b.noteのスタッフには、そういう概念はあまりない、と新井さんは語る。

「株式会社b.noteでは『地方創生』とか『まちおこし』という言葉をあまり使いません。自分たちが事業を始めて萩のこの地域の通りに少しずつ人が増えてきた時、地元の人が『最近、通りに人が多くなってきたから、うちの暖簾も新しくしようかなと思った』と話してくれたことがあります。それを聞いて、町が変わるのに必要なのは新しい建物をつくることではなく、地元の人が『のれんを新しくしよう』と自ずと思う場所にすることだと感じました」

新井さん率いる株式会社b.noteの活動は、「地方創生」といった最大公約数的な視点ではなく、町にすでにある風景や人々の想いに沿った上で「このまちがどう変わるのか見てみたい」という、どちらかというと内的な興味からの活動にも思える。

萩市に残された歴史的建造物を活用した建築をリノベーションすることで次々と話題の場所に変え、地元に活気と雇用を生みだす新井さんの手腕。そしてあくまでもゆるやかに町を見守る視点。

浜崎地区を散策する参加者一行

この話を聞いた後、新井さんの先導で町を巡る参加者たちの町を見つめる眼差しが、心なしか優しく、柔かくなっていたように感じたのは、筆者の気のせいだろうか。

ワーケーションツアーを終えての振り返り

3日間のツアーを終え、自らの五感を通して地域の現実と理想を目の当たりにした参加者たち。最終日に明倫学舎の教室にもう一度集合し、全員でこの3日間を振り返りながら、ツアーの舞台となった二つの地域と自社の事業との関わりについて考える時間を設けた。

木造の校舎の教室で参加者たちが机を向かい合わせて、それぞれの地域に対する印象と、事業と地域との関わりしろについて話し出すと、途端にそこは授業を終えた後のホームルームのように。

ツアーで巡った2地域に対する自由闊達な意見と、地域と絡めた事業アイデアが飛び交った。

「空き家を宿泊施設に改装するには時間も資金も必要なので、既存の遊休宿泊施設を活用したい。そしてどうしても移住・定住に焦点が当たりがちだが、関係人口にも注目するべき」(別荘サブスクサービス運営代表)

「豊北地区には飲食店の数が少ないし、雇用も足りないという話を聞く。また豊北地区の特色である海産物にはかなり可能性を感じるので、そのブランド構築は面白い」(商品開発・ブランディング企業代表)

「オンライン上の活動が多いので、豊北地域や萩市の空き家や遊休施設を活用したリアルスペース運営にチャレンジしてみたい」(メディア運営企業役員)

「人材教育の話があったが、地域の雇用の幅を広げる人材教育や人材の循環、雇用関連の情報を知るためのメディアや人の繋がりが大事だと感じました」(システム開発企業代表)

「地域での高卒採用の話を聞いて、自社でも取り入れようと思った」(Saas、BPOサービス提供企業代表)

「一企業が都市圏と地方で同時に事業を展開している場合、それぞれ独立して考えずに資源を循環させることのメリットがあると感じた」(製品販売、プロデュース企業代表)

「観光とシビックプライド、双方の観点から『古いものを残していく』というのは地域を持続させることに繋がる」(ハードウェア企画・開発・販売企業代表)

現場で得た生の実感から抽出された、たくさんの経営者たちの関わりしろ。これらのアイデアの種が、今後この2つの地域でどう芽吹いていくのか楽しみだ。

旅を終えて

この旅に訪れる直前、「下関市豊北地域」「萩市」の2つの地名をブラウザの検索窓に入れてみた。当たり前だがネット環境さえあれば、その地域の観光スポット、グルメ情報、絶景ポイントが、検索結果としていくらでも手に入る。

ただそれらの検索結果からは見えてこないものがある。それはローカルの理想と現実、地域住民の想いと人の繋がり。そういった類のものだ。

それらを肌で感じるには、やはり現地を訪れ、自分の足で街を歩き、土地の食材を食べ、その街の人と対話し、その街の宿で眠る。いつの時代もそんな過程が、その地の風土を感じるための最良の検索なのかもしれない。

そして今回の参加者が口々に言っていたのは、「異質なもの同士をまぜる」ことが予想外の結果を生むということ。都市圏経営者 x 地域プレーヤー。関係人口 x 遊休施設。ベンチャースピリット x シビックプライド。歴史 x IT。

無限の掛け合わせの可能性が、ローカルへの旅には眠っている。記事冒頭に挙げた「課題と課題の掛け合わせ」もそうだが、異質なものどうしの掛け合わせは、思わぬ化学反応を生む。ぜひ事業を都市圏で埋もれさせず、新たな地域でのチャレンジを試してみることをおすすめする。

そして旅人になった瞬間、自分もその掛け合わせのピースの一つだ。そんなことを考えると、すぐにでもオフィスを飛び出して、無限の可能性を見出すためのワーケーションへと旅立ちたくならないだろうか?

【参照サイト】HAGI_
【参照サイト】明倫学舎
【参照サイト】株式会社PHONE APPLI
【参照サイト】株式会社b.note

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