水平線が真っ直ぐにどこまでも続いている。空は青く晴れ渡り、太陽の光で海は煌めく。心地よい風が時折吹いて、海沿いのヤシの木の葉を揺らす。海辺に並ぶレストラン。サングラスをかけた一人の人がパソコンを開き、ビールを片手にカタカタと何やら仕事をしている様子。
デジタルノマドと呼ばれる彼らは、ITやモバイル通信を利用することで、場所や時間を自由に選択して仕事をする人たちだ。彼らは、自らのライフスタイルを「ワーケーション」と呼んでいる。
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気持ちよさそうに海辺で仕事をするデジタルノマドたちの光景を頭に浮かべたとき、どこかその情景に憤りのようなものを感じなかっただろうか。日本人の中には「苦労することが美徳」といった風習がある。それゆえ「楽しそうに仕事しているのは良くない」というように恐らく感じるのだ。しかし、本当にこのままでいいのだろうか?
「どうせ生きるなら、楽しく生きたい」それがきっと多くの人の本音だ。海の前でパソコンをカタカタとする人に対して抱いたこの感情は、憤りではなく嫉妬なのだろう。できることなら、自分だって、そんな風に働きたいという気持ちの裏返しなのかもしれない。
休みを利用してビーチリゾートに行った際、冒頭のような光景を目にし、「研究的に興味深いし、自分もこんな風に働きたい。研究対象にして自分もこの実践してみよう」とデジタルノマドの研究を開始した現・関西大学社会学部の教授である松下慶太さん。
メディア論を切り口に、メディアによって場所や空間の意味や経験がどう変わるのかを関心の中心に、オフィスやコワーキングスペースなどワークプレイスの研究を行っていたなかでのデジタルノマドとの出会いだったという。
今回はそういった経緯の中で、「働きたいように働ける社会」をテーマの一つとして日々研究を行う松下先生にお話を伺った。
関西大学社会学部教授。1977年神戸市生まれ。博士(文学)。京都大学文学研究科、フィンランド・タンペレ大学ハイパーメディア研究所研究員、実践女子大学人間社会学部専任講師・准教授、ベルリン工科大学訪問研究員などを経て現職。専門はメディア論、コミュニケーション・デザイン。近年はワーケーション、デジタル・ノマド、コワーキング・スペースなど新しい働き方・働く場所と若者、都市・地域との関連を研究。近著に『ワークスタイル・アフターコロナ』(イースト・プレス、2021)、『モバイルメディア時代の働き方』(勁草書房、 2019、 テレコム社会科学賞入賞)、分担執筆に「Workations and Their Impact on the Local Area in Japan」(Orel et al. 2021)、「Reconfiguring Workplaces in Urban and Rural Areas」(Mascha & Caroline 2021)など。
デジタルノマドに今人気な場所は?
場所や時間に縛られないデジタルノマド。会社に1時間以内で通える、といったことを全く考えず、世界中が住処になりうる時、人々はどうやって居場所を選択するのだろうか。
「デジタルノマドたちが行き先を決める際に参考にしているノマドリストというWebサイトがあります。生活費やインターネット速度、天気等の事実情報などをもとにデジタルノマドが住むのに最適な場所の情報を提供しているサイトです。私もドイツのベルリンに住みながらデジタルノマド研究をしていた際に、行き先を検討する目的などで使用していました。今だとポルトガルは結構人気が出てきていますね。特にマデイラは、デジタルノマドビレッジというデジタルノマド向けのコミュニティを作ったり、ビザ緩和に動いていたりと動きが活発で、注目しています。」
2021年12月24日現在のノマドリストは、1位 ポルトガル / リスボン、2位 南アフリカ / ケープタウン、3位 アルゼンチン / ブエノスアイレスとなっている。
「デジタルノマドが集まりやすい場所の特徴は、基本的には2つあります。1つは自然環境と文化蓄積。もう1つは生活コストです。例えば、2010年代のベルリンはデジタルノマドたちが集まりやすい環境でした。パリやロンドンと比較して家賃が安く、物価もそこそこ安い。ビザも取りやすく、文化蓄積、歴史がある街で、カフェ文化やナイトカルチャーも盛んにある。しかし人が集まってくると徐々に物価が上昇しはじめ、私がベルリンにいた2018年頃からは徐々に、プラハやルーマニアのブカレスト、ハンガリーのブダペストなど、歴史的蓄積があって物価の安い土地へと移っていく人も出てきました。」
「あとは、ヨーロッパのバケーションカルチャーと結びついているかと思いますが、デジタルノマドたちは基本的に温かいところが好きなのでビーチや海など、ビーチリゾートに近い場所は上位に入ってきやすいというのもあります。」
日本人を対象に株式会社 InsightTechが行った調査においても(※1)、「ワーケーションで訪れてみたい場所は?」という問いに対して、圧倒的1位が沖縄、続いて2位北海道、3位長野という結果が出ている。居場所をどこでも選べるのなら、自然環境が豊かな場所にということは日本においても言えそうである。しかし、詳細を見ていくと、実際に行われているワーケーションには欧米と日本とでは大きな違いがあるのだという。
「国などによってもちろん違いがあるので一括りにはできないですが、傾向として欧米人たちはその土地を訪れ、デジタルノマド同士でコミュニケーションやコミュニティを形成して仕事をしており、現地の人と深く関わる機会はそれほど多くはありません。一方日本では、訪れた地域の人と話をしながら、現地にある課題を解決するといった地域課題解決型のワーケーションも盛んです。」
なるほど確かに、Livhub編集部が以前訪れた長野県千曲市でのワーケーションも、徳島県四国の右下観光局が主催するワーケーションも、この地域課題解決型のワーケーションであった。欧米から輸入されてきたワーケーションは、この国の中で形を変えながら浸透しはじめているようだ。
ワーケーションの魅力を表すキーワードは「重ねる」
NTTデータ研究所の調査結果によると(※2)、日本においてワーケーションは広く認知されてはいるものの、実際に体験したことがある人は7%に留まっている。この結果には複数の理由が考えられるが、ひとつには「ワーケーション?休暇中まで仕事させられるなんて勘弁してほしいよ。休むなら休みたい。」といったように、ワーケーションというものが持つ魅力や価値がまだまだしっかりと伝わっていないことが影響しているように思う。では実際、ワーケーションにはどういった魅力があるのだろうか。
「『重ねる』という経験ができるようになったのが大事なことだと思っています。今までは、オフィスにいるときはオフィスの自分、家にいるときは家の自分というように二者択一で、複数の自分を重ねることは出来なかった。しかし、モバイルメディアやインターネットの普及、ワークスタイルやワークスペースの柔軟化などを通じて複数の自分を重ねることができるようになりました。」
「例えば、今までは東京にいて働いている自分と、地方で地域の活動をしている自分、どちらか二者択一だったのが、『東京の会社で働きながら、地方で地域活動をする自分』を選択できるようになりました。」
「重ねることで『そうかもしれない自分』になれるんですよね。特に日本の文脈でいくと、新卒一括採用でかつ終身雇用を採用している場合が多いので、人生の早い段階で入る会社を決めてその中で過ごしていくことになる。そこにもちろんメリットもあるのですが、その会社に入っていなかった場合の『そうかもしれない自分』は、会社を辞めない限り今までは試すことがなかなかできなかった。しかし、ワーケーション等を活用すれば、自分の居場所などが比較的自由になるので『東京の会社で働いていたけど、もう辞めて地方で地域活動をする!』と白を黒にいきなり変えずとも、『東京の会社で働きながら、地方で地域活動をする』のように、白と黒を重ねてグレーな状態で生きることができます。」
「それに、キャリアや仕事のクオリティを考えた時、社内でしか通用しないスキルだけを蓄積していくのは、これからの時代リスクもあると思います。人生100年時代と言われるなかでキャリアや生活を考えた時も、東京も悪い街ではないし、僕自身も好きな街です。ただずっと東京だと疲れる人がいることも事実なので、色々な地域を訪れて、色々な人に会い、色々な仕事や活動をしながら『そうかもしれない自分』を体験したり、探してみるのは大事なのではないかなと思います。」
今の自分とそうかもしれない自分、それらを重ねながら進んでいくことで、今の安心も享受しつつ、「今はそうではないけれど、本当はこうありたい自分」に片足だけ踏み入れて、少しずつその先の世界へと自分を進めて広げていくことができる。そのようなメリットがワーケーションにはあるということが分かってきた。
「それに、重なって2つ異なるものを同時に選択しているからこそ見える不思議な世界もあるんですよ。立体視と同じなのですが、右と左で別の平面的なものを見ていると、ある瞬間平面が重なって立体的に飛び出て見えるという。2つを同時に見ないと立体的に見えないんです。一つずつ見てしまうと、いつまでたっても立体的には見えてこない。」
「『バリ島にいて普段とは違う環境で気分も盛り上がっているんだけど、仕事もしている』『ワークしながら、バケーション』と2つを同時に行うことで、見えてくるものがあるんです。オンオフをしっかりつけたい、どちらか片方だけを選択したいと思っている人には見えない世界かもしれません。」
おそらく上記のような体験は、ある地域のホテルを月曜日から日曜日まで予約して、朝から晩までその部屋でいつもと同じように一人仕事をして、空いた時間で少し町を見て回るだけでは得られないような気がする。では、松下先生のおっしゃるワーケーションの魅力をしっかりと享受するには、どういった工夫が必要なのだろうか。
「本質」を取り出すことが出来れば、重ねられる
「まず、仕事と遊び、今の自分とそうかもしれない自分などを上手く重ねるためにできる工夫としては『本質を取り出せるか』ということがポイントになると思っています。例えば、請求書を送る時に、紙で送ることと、PDFデータで送ること、本質的には『請求書を相手に届ける』という同じことをしていますよね。紙かデータかといったメディアの違いはありますが、情報を届けるという本質は同じです。営業においても、実際にお客さんのところに足を運ぶことと、オンライン営業、どちらも人と喋るという中身、本質は同じなはずです。」
「見た目が違う2つのものがあるとき。片方の中に、もう片方の持つ要素も見出す。2つに共通する要素、本質を見出すことができれば、例えば仕事と遊びは全く別だから完全に分けようということでなく、その2つを重ねていくことができます。」
出社しないとできない、対面でないとできないと思っている仕事。それは本当にそうなのだろうか。自分の仕事を因数分解して、複数の要素に分けてみると、その中の個別の要素には、オフィスでなくとも、沖縄の海で泳ぎながら出来る事もあるのかもしれない。本質を理解すれば、より自分が快適だと感じる場所や環境で、遊びの中にも仕事の要素を見出しながら、仕事の中にも遊びの要素を見出しながら、働きたいように働き、生きたいように生きることができるのかもしれない。
「ワーケーションの滞在先を選ぶ時ですが、行きたい場所に行くのもいいのですが、ワーケーションでもないと来ないだろうなという場所を選択してみるといいと思います。例えばそれが東京であってもいいと思うんです。学生時代を過ごした地域など自分に縁とゆかりがある地域でもいいですし、全くない場所でもよいと思います。」
「あとはワーケーションに持っていく仕事から地域を選ぶのもいいと思います。『ワーク内容の4分類』というように私が整理したものがあるのですが、例えば、持っていく仕事がDeep(深)な作業(図右下)のような、じっくりと構想を練るようなものであれば、地域交流や参加者交流などが多く用意されているような地域ではなく、1人でゆっくり過ごせるような地域を選ぶ。Shallow(浅)なものであれば(図上部)、観光や遊びをたっぷり楽しめるような場所を選ぶ。Deepなつながり(図左下)のように、地域の人と対話する中で何かアイデアを練ることや、社内のメンバーと対話や意思決定などをじっくりと行いたいということであれば、それに適した場所を選ぶといったように。」
仕事内容と場所を上手く連動させることで、重ねた時の相乗効果を起こしやすくするといった工夫。ワーケーションの行き先や体験内容を選択する際に参考にできそうだ。
ここまではワーケーションに行く「個人」が工夫できることを聞いてきたが、会社や地域にも、ワーケーションの価値を方々で最大化していくためにできる工夫があるという。
ワーケーションに、ストーリーを宿す
「個人がワーケーションなどのワークスタイルを活用し、働きたいように働ける社会になっていくために、企業側も色々な働き方をしたい人がいる前提で採用や育成なども含めて経営を行っていく必要があると思います。社会も、国内外問わず、様々な場所からインターネットをつなげて働いている人がいる前提で、ビザなどの環境整備を行う必要があるのではないでしょうか。」
「またワーケーションを受け入れたい地域に関しては、仕事をするための環境整備ももちろんなのですが、『なぜその場所に行ってワーケーションをしないといけないのか』という『ストーリー』の強化が必要だと思います。仕事環境が整っているのであれば、オフィスのほうが良いという話になると思いますし、観光地として押し出すのであれば、それはワーケーションではなく観光で行くとなると思うので。」
「インドネシアのバリ島は、その点すごく上手だなと思います。バリ島はもちろん観光地としても有名ですが、実は20世紀からオランダ人など西洋の画家が移住してきて、バリ特有の文化に触れながら活動するということが伝統的にされてきた場所。さらに現在SDGsなどが世界中で叫ばれる中、自然環境や固有の文化が豊かな場所で、自然と共生していく文化は大切。といったストーリーが、バリ島のデジタルノマドが集まるコワーキングスペースなどに掲示されていて、それを見たデジタルノマドたちがさらにそのストーリーを外に伝達していく。ストーリーがあることで、単に観光としてリラックスしに行くだけではなくて、そこで仕事をすること、ワーケーションをすることの意味を感じやすくなるんですね。」
「日本もこういったストーリーを作ったらいいと思うんです。例えば、山口県の萩であれば、この場所が明治維新胎動の地となり、萩から時代が変わった。再び、この地から時代を変えよう。といったメッセージで起業家を呼び込むなど。」
「今、語られているストーリーは、山があって海があって魚が美味しい、というものが多いと思うのですが、それは日本の大半の地域に共通している事ですよね。後は、〇〇が有名です。といった歴史や地域資源だけを伝えているパターンも良く目にします。しかし、そうではなくて、昔の歴史の蓄積や地域資源と、現代的なビジネスやワークスタイルなどを組み合わせたストーリーが必要だと思うのです。」
リラックスするために温泉に行って仕事をする、というワーケーションの仕方が悪いわけではない。それも一つの方法だろう。しかし、休暇や仕事といった単一の活動の中ではできない、重ねた時間を過ごす方法としてのワーケーションの価値を最大限に享受するには、コツがあるということなのだろう。
「みんな働きたくないわけではないと思うんです。働きたいように働けないのが嫌なのではないでしょうか。台風の中でも通勤しなくてはいけないのは嫌だ、有給休暇が取れないから嫌だ、行きたくない飲み会に行くのは嫌だなど。そういったものをわがままとして片付けずに、テクノロジーや仕組みなどで解決していければ、働きたいように働ける社会になっていくのではないかなと思います。ワーケーションもその仕組みのうちの一つですよね。」
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仕事と遊びの境目を曖昧に。なんて夢のような言葉に思える。しかし実際にそのように生きている人が世の中にはいる。彼らを羨み、時に憤りながら「苦しいが美徳」をモットーに生きることもできるだろう。しかし、「楽しまなきゃ損」と平日であろうと休日であろうとワクワクと生きる道を選択することも出来る。今をいきなり180度別の方向に向かせる必要はない。ワーケーションを利用すれば、そうかもしれない自分に、少しずつ向かって行けるのだから。さて、パソコンを抱えてどこに行こう。
(※1)株式会社 InsightTech 「コロナ禍の働き方と政府への期待」に関する意識調査
(※2)NTTデータ研究所 地方移住とワーケーションに関する意識調査
【参照サイト】松下慶太教授 公式ページ matsu-lab
【参照サイト】松下慶太教授 note
【関連ページ】ワーケーションは新しいライフスタイル。観光の代替ではないワーケーションの知られざる魅力
【関連ページ】心豊かに生きるために、地域と都市をつなぐ。ワーケーションプランナー山口春菜さんに聞いた「自分を生きやすくしてくれた、地域との出会い」
飯塚彩子
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