日本、またの名を「課題先進国」。数ある課題の中でも特に、地域の過疎化と少子高齢化は世界に先駆けた大きな課題として日本中に存在している。山積するこれら課題は確かに我々を悩ませる”問題”ではあるが、いち早く解決策や向き合い方を見つけていくことができれば、その実体験や実績を他の国に輸出できる”チャンス”とも捉えることができる。
Livhubではワーケーションを「これからの働き方、旅の仕方、生き方」の一つと考え、取材等を行っている。ワーケーションは、ノマドワーカーが自らの働き方をワーケーションと言語化したところから始まり、日本に伝来した後、日本の中で独自の変化を遂げ、今では各所で日本流のワーケーションが生まれている。いくつか種類があるが、その中でも今回Livhub編集部が体験してきたのは「地域課題解決型ワーケーション」だ。
観光庁が作成した「新たな旅のスタイル」ワーケーション&ブレジャー(※1)にもワーケーションの一形態として記載されている「地域課題解決型ワーケーション」。地域関係者との交流を通じて、地域課題の解決策を共に考える形態を取る。
四国の右下ワーケーション
今回のワーケーションの舞台となるのは、徳島県。徳島県といえば約400年の歴史を誇る伝統芸能「阿波おどり」を思い浮かべる方が多いかと思うが、我々が足を運んだのは1市4町:阿南市・那賀町・美波町・牟岐町・海陽町から成る徳島県の南部、またの名を「四国の右下」。
四国の右下における「地域課題解決型ワーケーションプラン」を2022年に商品化するため、その実証実験として、構築したプランを我々が実体験し、より魅力的な内容になるようサポートさせて頂く目的で参加した。
主催は、地域連携DMO(観光地域づくり法人)である一般社団法人四国の右下観光局と、新たな地域づくりの担い手創出支援を手掛ける株式会社パソナJOB HUB。旅程は2021年11月5日から7日、金曜日から日曜日にかけて2泊3日で行われた。
【1日目】
はじまり
徳島阿波おどり空港に着き、参加者の皆さんと合流する。ブランディング・マーケティングを主業とする企業、大手企業の新規事業部門の担当者、ある地域の芸術祭スタッフでもあるフリーランサーなど様々な分野からそれぞれの目線を持った参加者が集まっていた。
到着後、一同が乗り込んだのは徳島トヨタが所有する試乗車。地域における二次交通(拠点となる空港や鉄道の駅から観光地までの交通)問題解消の実証実験として、また都市部に住み車を所有せず、乗る機会も少ない人々に、車に触れる機会を提供する目的で連携がされていた。
空港付近の都市部を抜けて、少しずつ空が広く、山が近づき、車は四国の右下、阿南市に到着した。昼食会場で、右下観光局理事長である清原さんから四国の右下地域の紹介および課題感の共有がされた。
四国の右下の課題
「徳島の他の地域には阿波踊りだったり観光資源もあるけれど、残念ながら南部にはあまりこれといった観光資源がありません。なのでこれまで大手旅行代理店でも、なかなか商品化しづらいというところがあったのだと思います。」
「田舎に住んでいると自分たちの価値が分からないこともあるので、都会の人から見て良いところや、改善できるところなど、意見をいただければと思います。」
観光コンテンツの磨き上げ、高齢化する各事業の後継者確保、地域内の伝統文化・芸能の保存など、四国の右下にある課題。それらに、新規事業創出や働き方改革導入などをワーケーションを通じて行いたい企業が触れて交わることで、双方にとっての新たな価値を創出できるようなワーケーションプランを作っていきたいと今後の展望のお話をいただいた。
今回の2泊3日の旅の間では、4つの地域内の事業・文化に触れる機会が用意されている。1日目に訪れたのは、那賀町にある八面神社。人形浄瑠璃と農村舞台について話を伺い、体験をさせていただいた。
人形浄瑠璃と農村舞台@八面神社
山道を登ったところで車を降り、石段を登り大きな木をくぐったところに八面神社はある。阿波人形浄瑠璃は、徳島県の各地に伝承されている三人遣いの人形芝居。かつて村の鎮守の神社では、豊作祈願や豊作感謝の祭りが行われ、農民は供え物に加え、歌や踊りなどの芸能を奉納していたという。その奉納芸が、盆踊りから次第に人形芝居に移行し、農民は自分たちで人形操りを稽古する練習場所として、村の共有地である神社の境内に農村舞台を建設し、農村舞台で祭礼などとして人形浄瑠璃を上演してきた。
徳島県は全国有数の農村舞台の宝庫。農村舞台は、その場所で演じられた芸能によって分類される。全国的には歌舞伎を主としたものが多いのに対し、徳島県は人形芝居を主とした舞台がほとんどで、全国に約100棟あるうちの約90棟が徳島県に、そして40棟余りが那賀町に現存している。
今回お話を伺ったのは那賀町で活動する丹生谷清流座の皆さん。2009年に那賀町の青年団が中心となり、農村舞台の活用による地域活性化や、伝統文化の継承を目的に結成された人形浄瑠璃座だ。
那賀町の人形座は丹生谷清流座の結成前は町内に1座しかなく、高齢化による存続の不安に立たされていた。そんな中で白羽の矢がたった青年団チーム。はじめはチーム一同、浄瑠璃を見たことも興味もなかったという。しかし町のおばあちゃんやおじいちゃんと話をする中で、
「死ぬまでに一回はまたあっこでみたいなあ。小さい頃は農村舞台行って、浄瑠璃見るんがごっつい楽しかったんよ。ほんときは綺麗な着物きいてな。ほんときにはお菓子くれてな。」
こんな声を聞き、やってみよか。と腰を上げ、結成に踏み切ったのだ。
初心者から練習に練習を重ね立った初めての舞台には500人余りの観客が訪れた。参加者のおばあちゃんは涙を流し座員一人一人の手を握り締めながら、
「よかったよかったほんまによかった。ありがとうな。」
と声をかけてくれたのだという。実際に我々も人形浄瑠璃を贅沢にもその場で見させていただいたが、本当に人形が生きているかのようで、初心者だったはずの人形遣いの座員の方々も人形そのものになったかのようだった。人形浄瑠璃を見ながら、農村舞台という空間で昔の農民たちが笑ったり祈ったりしていた光景を想像して、その場に居合わせてみたかったなと遠い過去の見たことのない、縁もゆかりもない土地の日常を懐かしんだ。
途絶えかけた伝統をなんとか繋ぎ、また次の世代にバトンを渡そうとしている人形浄瑠璃と農村舞台だが、継続するには資金と人員が必要だ。丹生谷清流座の座員も、他にそれぞれ自分の本業をもっている。ここだけに時間を使うわけにもいかず、その点に課題を感じているという。
現状や課題を聞いたうえで、参加者がひとりひとりコメントをしていく。「浄瑠璃で用いる人形が非常に愛らしいので、Youtubeを使って短い動画を撮り、そこで資金確保や認知拡大を図っては」「農村舞台という場所が非常にユニークで色々な使い方ができそうだから、レンタル可能にして使い方も含めて応募しては。ヨガをやるのにも良さそう」など様々なアイデアがワーケーション参加者からあがり、これはチャレンジできそう、それは少し難しいなど外からの目線と内の目線が混じり合いながら、議論が進んだ。
日も暮れ、那賀町を後にしてこの日の宿のある美波町に向かう。日が暮れると本当に真っ暗になる。その違いを感じ、東京が明るすぎることに気づく。今夜の宿は、大正時代に建てられた築約100年の木造家屋をリフォームしたというお宿日和佐。お腹いっぱい夕飯をいただき、早々と眠りについた。
【2日目】
美波町の朝
古民家で目を覚まし、宿の周りを散策しようと玄関に向かう。朝日が磨りガラス越しに差し込み、石畳が優しい暖かさに包まれている。
ガラリと引き戸を開けて、外に出て初めて一夜を明かした宿の全貌がはっきりと見えた。木造の平家。時代を超えて受け継がれてきた建物の魅力を再認識する。
宿の周りを散策する。自転車がぎりぎりすれ違える程の狭い路地に沿って家屋が並ぶ。海を目指して、家の間を縫っていく。5分ほどgooglemapを手に道を行くと、海についた。凪いだ水面に太陽が照りつけ、きらきらと光っている。漁師の方が道に座り、漁網をいじっていた。
しばし海を眺めて宿に帰ろうとすると、はて、帰り道が分からない。昨日は宿まで案内してもらったので、住所も知らずgooglemapも当てにならず、こっちかあっちかと拙い記憶を頼りにきた道を辿ってぐるぐるしながらなんとか戻ることができた。道に迷う、という経験も、現代ではなかなか体験できない楽しいものだった。
集合時間に合わせて美波町内にある日和佐八幡神社前に向かう。その場所からは30秒歩くと海についた。とても気持ちのいい海岸だと改めて感じていると、参加者の一人が気づいた。「ゴミが全く落ちていない」
美波町の大浜海岸には、毎年平均20頭のアカウミガメが上陸する。町では70年以上前から、ウミガメの保護研究及び規制を町ぐるみで行ってきた。その活動の一貫で、ウミガメのために砂浜が常に綺麗に保たれるよう整備を行っているのだという。
偶然か必然か大浜海岸を選び訪れるウミガメ。いつしか彼らはきっと美波町の人たちにとっての子供のような、町民のような存在になったのだろうなと、綺麗な海岸を見つめながら考えていた。
備長炭と里山の暮らし@牟岐色釜
2日目は大きく2つの地域関係者との交流が用意されていた。1つ目の場所と言われ、車を降りたのは山の中。山道を歩いていくと、川が現れた。水位が深くなっている部分がエメラルドグリーンのような色に見える。水が本当に綺麗だ。魚が泳いでいるのが離れたところからでもはっきりと見えた。
川に沿って歩いていくと、備長炭を作る炭窯、牟岐色釜(むぎいろがま)に到着した。ずっと昔からあるかのようなその釜は、一度原型が分からないほどまで荒廃し、2016年末に修復され再び使われ始めた場所。
牟岐色釜のある牟岐町の西又地区では月に一度、地域行事や農業インフラ整備など生活の身の回りのことを住民で話し合う定例会が行われている。とある会で「今後も地域を維持して盛り上げていくにはどうすればいいか、将来を見据えて何が出来るか」といった話し合いがなされ、その中で「伝統的な炭窯を修復し、それをきっかけに地域の魅力を町内外に広く伝え、交流が盛んに行われていく場所にしていきたい」「炭を作って、薪でご飯を炊いて、川で魚をとって焼いて、そんな山の暮らしを伝えながら保存していきたい」といった想い、案がでたことで、取り組みが始まった。
炭窯はほとんどが木、土、石などの自然材料でできている。人工のものは一部のセメント、ビスや釘程度。釜を作る際に利用する赤土も、一度使って捨てるのではなく、何度も繰り返し利用する。完成した備長炭は火を付けるだけでなく、水の濾過や消臭など広い用途で使うことが可能。炭を焼く際にでる灰も廃棄せず、藍染で使われたり、こんにゃくの凝固剤として再活用されている。一番驚きだったのは、木酢液。炭焼きの際に釜のてっぺんについている煙突から煙がでる。その煙を液化させると燻製のような香りのする木酢液が出来る。木酢液は、用途に応じて適正な希釈濃度にすることで、害虫対策、土壌改良、雑草の生育抑制、作物の生長促進など農薬的な様々な役割を担うことが出来る。炭窯を起点に、日本古来の循環型の暮らしに触れることができた。
お昼ご飯にと頂いたのは、里山の恵。鮎の塩焼き、鰻丼、伊勢海老のお汁、鹿肉の煮物、薪で炊いたご飯、臼と杵でついたお餅、焼き芋、みかん。どれもが地のもの。この土地にある自然の恵を頂く。自然と手を合わせ「頂きます」「ご馳走様でした」と感謝をした。
お昼ご飯の中に食べ慣れない食感の野菜があった。これは何かと尋ねると、「はす」だという。「蓮?」であればどの部分なのだろうかと思っていると「持ってこようか?」と尋ねられ、鎌を片手にどこかに行ってしまった。少ししてから手に大きな葉っぱを握って戻ってきた。そういえばさっきそこに生えていたような。これを今食べたのかと思う。
汚れた手やお皿は、山から直接引いてきた水で洗う。山で採り使ったゆずの皮は、畑に投げ入れておく。煮物を炊くコンロは、廃材の電柱を輪切りにして過去に作ったもの。里山ならではの生活や生きる知恵が牟岐町の西又地区には現存していた。昔ながらの里山の暮らしからは、まだまだ現代の私たちが学べることが多くあるのだろう。
西又地区の方々は本当に温かく、丁寧にひとつひとつ教えてくれ、美味しく貴重な土地の恵を惜しげもなく私たちに分け与えてくださった。頭で新しく知り学んだことも多くあったと同時に、心が感じた西又地区の人と暮らしの温かさが何より印象に残っている。
日和佐ちょうさ保存会@日和佐八幡神社
炭窯を後にして、一同は出発地点であった日和佐八幡神社まで戻ってきた。2つ目の地域交流は、日和佐ちょうさ保存会の皆さん。「ちょうさ」とは日和佐のお祭りの際に用いられる太鼓屋台のこと。重さ800kg-1tに及ぶ太鼓をのせた大きなちょうさを、町内の八地区がそれぞれ所有している。
一年の豊漁豊作を祝い、ちょうさ8台、御神輿、子供神輿などが大浜海岸、太平洋に大人数に担がれながら、なだれこむ勇壮なお祭りが日和佐八幡神社秋季例祭、通称、秋祭りだ。その秋祭りを永続的に継続する環境づくりのために2008年に町内の有志で結成されたのが「日和佐ちょうさ保存会」である。保存会の皆さんから自己紹介があったのだが、みなさん口を揃えて「祭りが好き」とおっしゃっていたのが印象的だった。
守り伝え続けたい秋祭りも、数々の課題に悩まされている。少子高齢化・過疎化の影響が大きくちょうさの担ぎ手や、太鼓の打ち子である子供の不足。観光客やギャラリーも減少している。
しかし日和佐にはその課題に光を差し込む、特質な町民性がある。約1400kmに及ぶ四国4県を一周するお遍路の四国88ヶ所第23番札所、厄除けの祈願寺である薬王寺がある影響もあり、古くより各地から様々な人が訪れた日和佐。そんな土地性もあり、日和佐は町の内に閉じ、外に対して閉鎖的になるのではなく、多様な人を受け入れる土壌がある。そんな町民性もあってか、近年サテライトオフィスの進出も進み、定住・交流人口も増加を始めた。担い手不足にあえぐ秋祭りに関しても、町外の人の参加を広く受け入れることで、継続することができている。
日和佐ちょうさ保存会の方のお話を伺った後、実際に秋祭りで叩かれている太鼓を我々も叩かせていただけることになった。太鼓を叩くのは初めてという人もいる中、全員がばちを握り、掛け声にそって秋祭りで奏でられているリズムを叩く。びりびりという振動が、どんどんという大きな音が、ばちを伝って手に、手から身体全身に、心臓まで響く。この振動をより大きく起こしながら太平洋に雪崩れ込んでいくちょうさ、祭りの参加者を思い浮かべる。秋祭りは関わる人々の脳ではなく、身体に刻み込まれるように存在しているのであろう。
太鼓を叩き終わり、まだ振動が残る身体のまま、みんなで円になって腰をおろし、最後に話をした。今日の感想など、大量のインプットを経ていい意味でくたくたになった状態でそれぞれが口を開いていく。
「仮に伝統文化を体験しようという入り口だったら参加していたか分からない。ワーケーションという入り口だからこそ、太鼓や炭作りなど自分が直接的に興味がすごくあることではないことにも触れることができたのだと思う」「太鼓を叩く体験を通じて地域とつながることが出来た気がした」「都市部のような地域とのつながりがない場所でも、祭りを起点に、地域に対しての愛着を持つということができるのではないかなと。改めて祭りのパワーを感じた」「また来たいなと思いました」
多く言葉を交わしたわけではないのに、どこかワーケーション参加者皆、町とのつながりを感じ、四国の右下が他人事ではい、自分事な場所になりつつあると感じているような空気がその場にはあった。
【3日目】
当初は雨予報だったが、天気にめぐまれ快晴。最終日、最後のアクティビティに参加するため那賀川町の海沿いに向かった。
出島壁画再創造プロジェクト
1990年、平成2年に那賀川町では「天と星フェスティバルinなかがわ」と題して7千人が「世界最長の壁画」を目指して、防潮堤に2.8kmの壁画を1日で描き上げるといったイベントが開催された。壁画が描かれた後、当時は町内外から見物人が集まる場所になったが、30年後、壁画は劣化し、それだけでなく、防潮堤の付近は草木が生い茂り、洗濯機など不法投棄が目立つ、子供立ち入り禁止の危険箇所に指定されてしまった。その状況を踏まえ、那賀川町商工会青年部が「壁画を復活させ、県内外の人を呼び込みたい」と考え、設立されたのが「出島壁画再創造プロジェクト」だ。
クラウドファンディングを活用し、プロジェクトを広く伝えると共に、資金調達を行い、生い茂った草木などの清掃活動を行うなど地域住民が力を合わせて準備を行った。本プロジェクトは2019年から始まり、今年で3年目。完成は2032年と、13年掛かりの長期に及ぶ活動になる。描く絵にはテーマが決められており、今年は「秋」がテーマだった。
今回ワーケーション参加者には、4つの区画が割り当てられていたため、4つのチームに別れ壁画アートの作成が始まった。今回のワーケーションを通じて経験したことを絵にするチーム。ワーケーションで出会った草木などの色をデザインに込めるチーム。目の前に広がる海につながるように壁画にも海を描いたチーム。自由にその場で手が動くままに書き上げたチーム。それぞれが、見ず知らずの土地の壁に絵を描くことを心から楽しんだ。絵を描くことを通じてどこかチームのつながりが強くなったようにも思う。
自分たちの区画以外には、家族連れの姿が多く見られた。おばあちゃんの百歳のお祝いに絵を描く家族。犬や落ち葉など思い思いの秋を描く家族。おばあちゃんのグループが描いていた昔ながらの暮らしの風景。毎年書きに来ているという人たちもいた。
みんなそれぞれ小さなテントや、椅子、お弁当などを持ってきて、ピクニックをするように絵を描いている。何を描こうかと家族で相談をして、「わたしこれ描きたい!」「いいねじゃあこうしようか」「わたしはこっち!」と決まった絵を分担しながら描く。そしてきっとその絵を見に、定期的にこの堤防を訪れる。「ちょっと付け足そ」なんていって、落書きしたりなんかもする。子供が大人になり、その絵の前を訪れて、この楽しかった1日を思い出して温かい気持ちになる。そんな温かな光景が頭に浮かぶ。
振り返り、帰路へ
描いた壁画の前で何枚も何枚も記念写真を撮った後、一同は空港付近の施設に向かう。施設に着き、最後に参加者一人一人が主催者に対して感謝の言葉を述べるとともに今後に活かしていくべく「改善できると感じた点」を共有する時間がとられた。
「どこも、もてなして頂いたというか、もてなされてしまったなと感じました。色々と体験させて頂いたけれど、お客様としてでなくもう少しフラットというか自分たちも貢献できるコンテンツがあったらよかったなと」「聞くだけの時間が多くなってしまった印象がありました。オンラインでも良いインプットは事前に済ませておいて、現地ではもっとインタラクティブにコミュニケーションが取れたらよかったなと思います」「各地域の人と一緒に食事を取れたら、もっと色んなことが聞けたし、愛着が沸いたのではないかなと思います」「もう少し事前事後の準備があるとよかったかなと思います。例えば、徳島が初めての人は自分がいまどこに居るかすら分からない。マップのようなものが先に共有されるなどがあってもよかったのではないかと思います」
多く見られたのは「『お客さん』として『もてなし』を受けるのではなく、『主体者』として『参加・貢献』したかった」そして「オフラインでここに来る・居る意味をもっと持たせい」といった声だった。
地域課題解決型ワーケーションはいままで通りの旅ではない。ゆっくりとただただ日頃の疲れを癒しに休みに訪れる観光客としての自分ではなく、仕事をする自分、仕事を介して誰かに貢献できる力をもった自分として、その場所を訪れる。オンラインで仕事が完結してしまう今、移動をしてその場所を訪れる。
だからこそ参加者は、オフラインだからこそ出来ることをしたいし、オンラインで出来ることはしたくない。そして、傍観者としてではなく主体者として関わることを求めているということを体感と共に理解した。
さいごに
今回の四国の右下ワーケーションは、地域課題解決型ワーケーションプランを2022年に商品化するための実証実験であった。
最後に話をした施設に向かう車の中で、四国の右下観光局の運営者の吉田さんが話をしてくれた。
「数年前に観光の仕事をすることになったんです。観光の仕事っていうと、観光マップつくって、イベントしてみたいなそればっかりな印象があって、だけどなんか違うというかそんな気持ちがあったんです。ご縁があって今のような形でワーケーションをやらせてもらうようになって、毎回本当に僕の方が学ばせてもらってます。正直どうでしたか?今回のワーケーション。悪かったところ、改善すべきところを特に教えてほしいです。」
人は誰だって褒められたい。いくら実証実験とはいえ、改善すべきところ、悪かったところなんて本当は耳を塞ぎたいはずだ。その前提が強くあるからこそ、当たり障りのない感想をいう場面も多く見る。しかし、吉田さんのような姿勢で町の外から訪れる我々に接してくださる人がいたことで、今回、私たちも素直に改善点を伝えることができた。
人形浄瑠璃と農村舞台を受け継ごうと奮闘する丹生谷清流座の皆さんも、炭窯と山の暮らしの伝達・継承をしながら町を盛り上げたいと活動する牟岐町の西又地区の皆さんも、地元の大切な秋祭りを永続的に継続したいと願う日和佐ちょうさ保存会の皆さんも、みんな誰に言われたからでもなく自分の意志で行動をされていた。自らの仕事とは別のところで、自分の暮らす地域やそこに根付く文化を守るために、途絶えてしまったものを復活させて、途絶えそうなものに息を強く吹き込んで、活動していた。そんな本当の想いやアクションがワーケーションを介して都市部の人に届いていけば、「四国の右下ワーケーション」は「働く」ということの意味を見つめ直すきっかけにもなっていくだろう。
きっと四国の右下は、これからもっともっと面白い場所になる。その様に感じた2泊3日だった。
(※1) 「新たな旅のスタイル」ワーケーション&ブレジャー
【参照サイト】一般社団法人四国の右下観光局
【参照サイト】株式会社パソナJOB HUB
【参照サイト】徳島トヨタ
【参照サイト】お宿日和佐
【参照サイト】丹生谷清流座
【参照サイト】牟岐色窯
【参照サイト】日和佐八幡神社
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