「秘境」-外部の人が足を踏み入れたことがほとんどなく、まだ一般に知られていない地域。
日本を旅していると、まさにここは秘境なのでは?と感じる場所にたくさん巡り合う。森、川、山、渓谷といった四季折々で表情を変化させていく自然。そのなかでゆっくりゆっくりと、長い歳月をかけながら根を張ってきた、伝統と文化。そうしたその土地ならではの魅力が、気の遠くなる時間のなかで醸成され、秘境を秘境たらしめているのかもしれない。
南北に広い日本の至るところに秘境とよばれる場所は数多とあるが、 なかでもある3つの地域は「日本三大秘境」とよばれている。岐阜県の白川郷、宮崎県の椎葉村(しいばそん)、徳島県の祖谷(いや)だ。なかでも祖谷は、大歩危・小歩危とよばれる険しい渓谷のふもと、深い山奥にある。源氏との戦いに敗れた平家の落人が隠れ里として棲みついていたとの伝承があったり、数多くの妖怪伝説がいまだに信じられている、まさに秘境の中の秘境だ。
この場所を初めて知ったとき、心の奥底で冬眠していた冒険心が駆り立てられた。長いあいだ様々な場所を放浪してきたので、純粋にある場所にたいして好奇心がフル作動することが減ってきていたのかもしれない。
筆者はいまは家を持たず、国内外含めヤドカリのように暮らすデジタルノマドだ。しかし、いつかは母国の日本に「ただいま」と帰って来られるような拠点・ホームがほしいと思っている。この記事では、祖谷が位置する徳島県三好市・秘境のふもとでのお試し暮らしをしたときのことを書き記していく。
いざ、四国へ
Photo by Jinomono Media
「海派か山派かどっち?」
という常套句な質問に答えるなら、わたしはダンゼン山派だ。ちなみに某チョコレート菓子のきのこ派かたけのこ派かという問いに答えるなら、きのこ派である。
青々としたみどりが美しい山、思わず飛び込みたくなるようなエメラルドグリーンで透き通った川。そんな景色のなかで暮らせたらいいなぁと「山での暮らし」に憧れのようなものがずっとあった。雲の影がうつる山々、グラデーションがたなびく綺麗な空、月と星の輝く夜空。春には桜、藤の花、夏には蛍、秋には紅葉、冬には雪で真っ白に包まれる山の中でおくる暮らし。朝から夜へ、春から冬へ、日々うつろう一期一会の景色を楽しめるにちがいない。
そんな山での暮らしを自分の肌身で実感するべく、秘境・祖谷がある徳島県の三好市へと向かう。三好市は四国の中心にあり、愛媛、香川、高知へのアクセスも抜群。山と渓谷を存分に楽しむために、ピクニックシート、双眼鏡、水着、写ルンです、登山グッズなどなどを車に詰めこみ、準備完了。急遽オランダから駆けつけてくれたティムとブリトニーの2人と一緒に巡れることになり、心が躍る。
ナビゲーションで「祖谷」を目的地にセットして、岡山県から車を走らせる。日本での車旅のお供は、いつも決まってアイスカフェラテと、ジブリのLo-fiミックス。旅をしているときは、よくその国のアーティストが制作した音楽を選曲することが多い。よりその国の魅力が引き立てられるような気がするのだ。
う
「あぁ〜日本の田舎の景色、すごく好き!山の景色が本当にきれい」ティムがたかぶった声で呟く。
「オランダの最高峰の山は300mちょっとしかないんだよ。パンケーキみたいに、国のどこへいってもフラットなの」頬をふくらませたブリトニーが車の窓をあける。朝の光と風が心地いい。
はしゃぎながら、きらきらした目で車窓の外をみつめる2人。岡山と香川をつなぐ瀬戸大橋を車でわたり、あっという間に香川県へ。
・
うどん、うどん、うどん。さすが讃岐うどん発祥の地である香川県、うどん屋さんが所狭しと立ち並ぶ。まだランチタイムにしては早い時間帯なのに、外まで長蛇の列ができているお店さえある。
日本一高い「石垣の名城」とされる丸亀城、その麓にそびえる桜の木の下で、ピクニックに興じる地元の人たち。その平和な日常の光景を車窓越しから見惚れていると、鏡のように山々を映し出す水田、かわら屋根の伝統的な日本家屋たちが現れる。香川と徳島の県境が近くなり、山の奥へ奥へつづく道をのんびりと車で走っていく。
長いトンネルを抜け、雲ひとつない快晴の空と、「三好」と書かれた標識が目に映る。車窓からは全景が捉えきれないほどの山々、急斜面にはぽつりぽつりと家が建ちならぶ集落がみえる。そして何よりも驚いたのは、三好市に流れる吉野川の激流さ。なかでも吉野川の大歩危小歩危(おおぼけこぼけ)という溪谷エリアは日本一の激流。ラフティングの聖地として世界的に知られており、世界大会が行われたほどだそう。
「本当にきれい、ジブリ映画にでてきそうな風景だね〜」と、「Wow」を何度も繰り返す2人。
車1台がようやく通れる細い道のりをゆっくりと走る。道中では藤の花が咲き乱れ、川のせせらぎ、鳥のさえずりが耳をくすぐる。春の心地いい風が、いらっしゃいと受け入れてくれているような感覚になる。
山奥で、千年のかくれんぼ
Photo by Terumi Tokino
山の奥へ奥へと入り込み、日本三大秘境・祖谷へ到着。さすが秘境の麓、車でしかアクセスできないような険しい場所にある。ひっそりとした谷のふもとにあり、まさに森の中の孤島。人が住めないような山の中に、まるで世から離れ、隠れ住んでいたのかと思わされるような場所。そうした背景もあり、平家の落人が隠れ住んだのではという伝説が残る。
車をとめて、3人とも足早に深い谷にながれる清流を見下ろす。太陽がでているとき、雲隠れしているときで川の青のいろどりが変化していく。はっとするほど水は清らかで、人生で巡りあってきた川の中でも別格の透明度。川沿いには春の花々が咲き、手つかずの自然が残る。
ブリトニーが夢中でカメラのシャッターを押しているあいだ、ティムは無邪気に川に向かって走り出す。はやくはやくと手をこちらに振りながら川の中に裸足で入水していく彼を追って、わたしとブリトニーもゆっくりと川へ歩を進める。
「誘ってくれて本当にありがとう、とっても素敵な場所だわ」風になびく髪をまとめながら、朗らかにブリトニーが呟く。彼女の心からの言葉が、そっと心をほどいていく。
ティムは川遊びに夢中のようで、着衣のまま背泳ぎをしはじめた。「最高!」ガッツポーズで
叫びながら、川の流れに身を委ねている。その姿をブリトニーと眺めながら、この地に根付いてきた人々を思う。インターネットも車もない時代、きっとこの川が、大自然が憩いの場所だったに違いない。
Photo by Susann Schuster
川をあとにして、かつてこの地に住んでいた人々が谷を渡る唯一の交通手段だった「カズラ橋」へ。シラクチカズラという植物でつくられた橋なのだが、ゆれーるゆれる。足場となる木の間隔が広いので、一歩踏み出すたびにドキドキがとまらないこのスリル満点さ。ふと足場の下に目をやると底まで透き通った川の清流、長い歳月のなか水の流れでまろやかに削られた岩肌がみえる。
深い谷をじっくり見渡しながらかずら橋を渡りきり、川沿いの遊歩道へと進む。すると、高さ約40mほどの岩間から勢いよく流れ落ちる滝が。「琵琶の滝」とよばれ、昔、平家の落人が京の都をしのび、この滝で琵琶を奏でていたと言い伝えられている。伝説なので真実は確かめようがないが、もし栄華をきわめた平家がこの秘境に逃れていたのが事実なら、どういった気持ちでかくれんぼのような、山の暮らしを送っていたのだろうか。
すべてはこの秘境・祖谷の大自然のみが知る。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵におなじ。『平家物語』第一巻「祇園精舎」より
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鷹永愛美
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