2023年を通して、私はタイ北部の都市チェンマイに合計で半年ほど居る。今年のはじめには自分でもまったく予期していなかったことで、だからこそ人生は面白い。
数年かけて断捨離し、整えた実家を出るタイミングが訪れ、海が好きなのに海のない土地チェンマイに惹かれてやってきてから、いくらでもほかの場所にも行けるのに、なぜかチェンマイに舞い戻ってきてしまう…。
そんなに滞在するのであれば、やはり少しは現地の言語を話したいと思うようになった。ただ一方で「タイであれば英語でこと足りるし、長期で住んでいるわけでもないのだから、学ぶ必要ないんじゃない?」と聞かれることもあり、本当にその通りだとも思う。長期の旅人でしかない私が、いちいち訪れる地の言葉を学ぶというのは、現実的ではないのかもしれない。そうだとしても、「今、ここにいるあいだ、少しでも心地よく過ごしたい」そう思ったときに、やはりそのハードルのひとつとなっているのが「言語」なのだった。
何より、私の言語習得欲の引き金を引いたのは、滞在先のサービスアパートのオーナーマザーとのやり取りだった。彼女は私を見ると毎回、とっても嬉しそうな表情で「You! You!(あなたじゃない!)」と、会えて嬉しい!と言いたげな満面の笑みで声をかけてくれる。
そして先ほど作ったばかりであろう、熱々のカレーやスープ、野菜炒めなどをおすそ分けしてくれるだけでなく、私が洗濯物を干していたら手伝ってくれて、私が適当に干していったものも気づけば物干し竿いっぱいにキレイに広げて干してくれていたりする…。
彼女の娘さんたちとも仲良くなり、そのうちのひとりが「だってあなたは、彼女の日本の娘だからねー!」と笑っている。それをみて胸に温かいものが広がり、「私はここにいることを喜ばれている。歓迎されているんだ」と素直に嬉しい気持ちになるのだった。
会えると嬉しくなる、オーナーファミリーの一員
そんなチェンマイの滞在で、私はいつも「どう恩返しをしたらいいか」と考えている。親日家の彼女たちが寿司や天ぷらといった、いわゆる世界中の人たちに愛される「日本食」が好きなことは知っている。ただ、キッチンのない部屋で日本食を作って食べてもらうわけにもいかない。それに例え、彼女たちのキッチンを使えたとしても、慣れない環境で天ぷらを揚げられるほどの技術は、私にはない。
そう考えているなかで、「とにかくまずは、言葉だ」と思ったのだ。最初の滞在時から私はチェンマイのタイ語コミュニティスペースに顔を出しはじめた。これは毎週同じ場所に集って、タイ語を学ぶ人と教える(ヘルプする)人が交流し、タイ語でおしゃべりを楽しむというもの。
これが、なかなかハードルが高い。数時間に渡り、息つく暇もないくらい集中的にタイ語のシャワーを浴び続ける。贅沢といえば贅沢なのだけれど、特に最初のころは、クラスが終わると充足感を感じる一方で、ぐったりと疲弊していた。私の小さな脳みそが、タイ語という今まで縁もゆかりもなかった言語で埋め尽くされていく…。脳みそに入りきれずこぼれ落ちそうになった見知らぬ言語は、翌日、さらにその翌日と時間をかけて少しずつ消化し、自分のものにしていくというプロセスを経ていく。
名前をタイ語で書いてもらった
前回チェンマイに滞在していた頃は、たった数回の参加にもかかわらず、我ながら伸びを感じた。ものすごい集中力で、私の脳がまるで乾いた土のようにぐんぐん吸収したからだ。だが今回、クラスのメンバーにも変化があり、同じラーナー(学ぶ側)のレベルが高くなったと感じられる回が続いた。すると、私はテーブルでひとり取り残された。隣の人が質問している意味も、わからない。
それはもしかしたら、次のレベルに到達したサインなのかもしれなかったけれど、限られた私の時間のなかで、言語習得以外の優先事項が生まれたなども関係して、言語習得への意欲が少し落ちていたことが理由だったのかもしれない。いずれにせよ、ストレスに感じるようであれば行く必要はない。誰かに頼まれて通っているわけではなく、自主的に学びたい人が楽しく学びに行く場なのだから。
そして私は、タイ語コミュニティスペースへ通うのをいったん止めた。すると気持ちがふわっと軽くなったので、それでよかったということだと思う。ただ、タイ語の習得そのものを止めたいわけではないし、やっぱりオーナーマザーと会うたび、どこかで「マザーともっと話したいな、彼女の言語で」とは感じている。そんな気持ちを日々顔を合わせる、数名のタイ人に正直に話してみたところ、「じゃあ、私と話せばいいよ。毎回会うたびに、一言語覚えてみたら?」などと提案してくれて心がほぐれた。
私は彼女たちの言葉に甘えて、毎日できるだけ新しい言葉を使って話かけ、質問するようになった。今までも何かを学んだら実践するということはしてきたけれど、前とは意識が違う。クラスやレッスンという場に行かずとも、自分で自分のコミュニティのなかで学ぶという意識・視点が生まれたからこそ、受け身ではなく自発的な行動を自然と取れるようになったと感じる。
こんな風に、自主的な学びを進めるなかで、また少しずつ「クラスにも顔を出そうかな」と思い始めている。前よりもタイ語が分わかりつつある気がする今、その感覚が本当かどうか試したいのかもしれない。今、次のクラス参加が楽しみになっている。
そして、ほぼ毎日顔を合わせるタイの友人たちと彼らの言語で話すことで、気持ちとか感謝みたいな、なにかが返せていたらいいなと思う。
結局、言語習得のモチベーションは「その言葉を話す人たちと話したい」という、シンプルで純粋な思い以外にないのだろう。
【関連記事】言葉を通して国を学ぶ。意味を知れば面白い「発音が可愛いインドネシア語」5選
【関連記事】“そこでしかできない特別な体験”が地域を守り育てる「コミュニティツーリズム」のすすめ
【関連記事】世界の道端でローカルと交わした言葉たち〈タイ・チェンマイ〉
mia
最新記事 by mia (全て見る)
- 小さな村の伝統産業を守るためにつくられた、バリ島アメッドのエコホテル - 2024年2月21日
- 海ごみドレスでファッションショー。バリ島の小さな村で遭遇したエコフェスティバル - 2024年2月16日
- インドネシア・バリ島の町「チャングー」で、肌で感じたオーバーツーリズムのこと - 2024年2月5日
- 大都市からの移住夫婦がバリ島ウブドで始めた食堂が、私の居場所になるまで - 2024年1月18日
- これからにつながる輝く“なにか”をもらった。バリ島ウブドのエシカルホテル「Mana Earthly Paradise」滞在記 - 2023年12月20日