言葉を通して国を学ぶ。意味を知れば面白い「発音が可愛いインドネシア語」5選

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未知の世界に触れるのは、少し億劫だけどわくわくするもの。新たな世界へ勇気を出して踏み出せば、世界が広がったり、思いがけない出会いがあったりする。

筆者にとって、この未知の世界は「インドネシア語」だったかもしれない。日本語とは違う文法や語彙も新鮮で面白かったが、なんだか少し気が抜けるような可愛らしい発音にも惹かれた。

言語を知ることは、その国の背景や人々を知ることにもつながる。そこで今回は、語学を学ぶ面白さの一つでもある「発音」に注目しながら、響きが面白くて、意味を知るともっと面白いインドネシア語について紹介していきたい。

1. kira-kira(キラキラ)意味:約・くらい

・Saya akan sampai di restoran itu kira-kira jam 7 malam.
(私は夜の7時くらいにそのレストランに到着します)

日本で「キラキラ」と聞くと何かが輝いているイメージを持つが、インドネシア語にすると「約」や「くらい」などの意味を表す。英語にするとaboutで、おおよその時間や距離を伝えるときに使うことが多い。また、「適当」という意味で使われることもある。

インドネシアではこのkira-kiraという単語が会話によく登場するが、それには時間にルーズな国民性が関係しているのではと筆者は思っている。

日本と比べると、スケジュール通りに物事が進むことは少ないインドネシア。どうしてもはっきりと「何日」や「何時」とは言えないから、「大体何日までに~」や「何時くらいに~」という言い方をしがちだ。

2. jam karet(ジャム・カレット)意味:ゴムの時間

・Di indonesia sering terjadi jam karet, jadi susah berkumpul tepat waktu.
(インドネシアではしばしばゴムの時間が起こるので、時間通りに集まるのが難しい)

jamは時間、karetはゴムを意味する。先ほどインドネシアは日本よりも時間にルーズだと説明したが、このjam karetも時間にまつわる言葉だ。時間はゴムのように伸びたり縮んだりするから、物事が時間通りに進まないのは当たり前ということを表している。

筆者にもインドネシア人の友人がいるが、最初はこのjam karet文化に戸惑った。時間に遅れるのは仕方ないと捉えている人も多く、日本との違いに最初の頃は慣れなかったことをよく覚えている。

そこで筆者は何度も遅刻する友人に苛立ち、「あなたはもし相手が遅刻しても、嫌な気持ちにならないの?」と聞いたことがある。するとその友人は「ならないよ。むしろ、わざわざ来てくれてありがとうと思う」と言った。

もちろんインドネシア人のなかにも、時間を守る人もいれば守らない人もいるだろう。ただ、この友人の言葉を聞いて、捉え方一つで寛大な心を持てるのだなと少し視野が広がった。

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3. jalan jalan(ジャラン・ジャラン)意味:散歩

・Hari ini saya mau berjalan jalan di taman karena cuacanya cerah.
(今日は晴れているので公園を散歩したい)

jalanという言葉は、下記の通り活用が変わると意味も大きく変わる。

・jalan:道
・jalan jalan:散歩
・berjalan jalan:散歩する
・perjalanan:旅行

どこまでも続いている道を散歩する人もいれば、旅行したりする人もいる。jalan(道)という一つの言葉から、関連する別の言葉に派生するのが連想ゲームのようで面白い。「ジャラン・ジャラン」という言葉も耳馴染みがよく、つい会話のなかで使いたくなる。

4. kenyan(クニャン)意味:お腹いっぱい

・Saya makan banyak, jadi sudah kenyang.
(いっぱい食べたのでもう満腹だ)

「お腹いっぱい」を意味するkenyangは、インドネシア人との会話において何気によく使う言葉。インドネシアにいると「ご飯はもう食べた?」や「お腹いっぱい?」など、挨拶のように食事の話題をよく振られる。

また、このkenyangに関わらず、インドネシアには「ニャ・ニュ・ニョ」の音を使う言葉がかなり多い。menyanyi(ムニャニ:歌う)やnyamuk(ニャムッ:蚊)、nyaman(ニャマン:心地よい)など、可愛らしい音に癒されることもしばしば。

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5. tidak apa apa(ティダ・アパ・アパ)意味:大丈夫、問題ない

・Terima kasih banyak atas bantuannya.(手伝ってくれてありがとう)
Tidak apa apa. Jika Anda membutuhkan lebih banyak tenaga kerja, beri tahu saya kapan saja.(大丈夫だよ。もし人手が足りないなら、いつでも言ってね)

Tidak apa apaは「大丈夫」や「問題ない」の意味があり、少し掘り下げると「気にしないで」や「何とかなるよ」などの意味で使うことも多い。イメージとしては、沖縄の方言「なんくるないさ」に近いかもしれない。

小さなことはあまり気にしないインドネシア人の国民性が出ていて、とてもインドネシアらしい言葉だ。

言語を通してその国の人々へ思いを馳せる

筆者が外国語学習を好きな理由の一つは、言葉を通してその国の人々の価値観や生活が垣間見えることだ。日本にも「わびさび」という言葉があるが、質素なものに趣や美しさを感じる日本人独特の感性が感じられて、とても素敵な言葉だと感じる。

外国語を勉強する際は、ただ漫然と言葉を覚えるのではなく、その国の人々のことを想像してみる。言葉の裏にある背景を想像することで、なんだかその国の人たちの心に少しだけ近づけそうな気がしてくる。

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佐藤 ひより

フリーライター。数時間に1本しか電車が走らない田舎に生まれたこともあり、その反動で都会や海外など外の世界に興味を持つ。大学時代にインドネシア語を学び、それからバリの虜になり今ではよく通うように。海外や日本各地を旅しながらその土地の人の価値観に触れること、美しい自然を見て心が震える体験をすることが好きです。