アツアツのコロッケを頬張りながら歩いた、宮城県石巻市のセピア色した味な商店街

石巻 商店街

東北地方有数の港町の一つ、宮城県石巻市は一級河川の北上川が流れる県内2番目の人口を誇る都市。2011年の東日本大震災では甚大な被害を被ったが2023年現在はこれまでの経験や歴史を活かし、今そして未来に繋ぐ「モノ・こと」を発信する取り組みなどが積極的に行われている。

石巻の町の中心は、県内を走る在来線「JR仙石線、JR仙石東北ライン」の石巻駅(いしのまきえき)から北上川までの周辺地域とされている。江戸時代には大量の米を乗せた船が北上川から出港し、現在の東京まで運んでいた歴史があり、周辺には様々な商店が建ち並び賑わいを見せていたそうだ。

江戸時代からの名残で現在も町の中心エリアには、いくつもの小さな商店街がある。
町には「穀町(こくちょう)通り」「立町(たちまち)大通り」「寿町(ことぶきちょう)通り」「アイトピア通り」「橋通り」「市役所大通り」の6つの主要な通りがあり、そこから路地裏にヒョイッと飛び込んでみれば、また違った町の風景を味わうことができる。

長い歴史が息づいているからこそ感じるセピア色の雰囲気は、言葉で表現するとすれば味わい深い「味な商店街」だ。

6つの商店街通りの中でも、とりわけ大きいのが「立町大通り」。

JR石巻駅前から北上川へ向かって伸びるメイン通りで、昭和の時代にはデパートや衣食住に必要なものは大体揃うほど、様々な店が建ち並んでいた。時代と共にその顔ぶれが変わる一方で、創業当時の味を現在まで繋いでいる店が存在する。


約40年以上も前から立町大通りで精肉店を営んでいる「佐藤ミート」。
仙台牛や鶏肉に豚肉の販売の他にも、大人気なのが昔ながらの小判型コロッケだ。

「学生時代に食べて帰ってた」

地元の人々には合言葉のように聞こえる響き。
一般的なコロッケはしっかりと潰されたジャガイモのイメージがあるけれど、佐藤ミートのはちょっと他とは違う。

昔から愛されている味にはホッコリとした大きめのジャガイモが、そのままごろりと入っていて、食べ進めるほどに所々から荒く刻まれた肉たちがひょこっと顔を出す。黄金色をした細かなパン粉層は薄衣なので、揚げたてを頬張るとサクッとした美味しい音を奏でてくれる。

「でかコロッケ(1個100円)」という、ちょっとやんちゃな名前だけれど、味はとても上品なニクい存在。

熱々コロッケを片手に裏路地に一歩踏み込めば、時代は昭和にタイムスリップしたような、スナックやパブなどの小さなアルコール店が並ぶ細道へと続く。
たとえ裏道に入ったとしても、どこかでまた元の通りに抜けられるのも、小さな商店街だから叶う面白い部分だ。
そして、奥には老舗焼鳥店の姿がチラリ。

創業大正7年(1918年)の精肉・焼鳥専門店「やまだ」は、今年で105周年を迎える大御所。
3桁の創業年数が物語るのは、それだけ地元に根付いた味を守り通し、そして人々に愛されてきたという証。
扱う焼鳥の種類はシンプルな「ねぎま、もも、カワ、スナギモ」などの他、全21種類(2023年9月中旬時点)で値段も1本98円(税抜)からと学生さんにも嬉しい。

「すぐ食べるのかな?」

エプロン姿の焼き担当の方がにっこりと微笑みながら、懐かしさを感じる白の紙袋に熱々の焼き鳥を入れて手渡してくれる。同時に換気扇から立ち上る香りをふんわりとかぶると、もう美味しさを感じてしまうほどだ。

さっきまで網の上だった焼き立ての「ねぎま」を取り出すと、表面に美しい焦げ目をまとったネギと鶏肉から懐かしい屋台の香りが立ち上る。ハフハフッとなんとか熱さを味方にして焼き鳥を頬張ると、そこから溢れ出す美味しさは言葉ではなく、表情が物語る領域に。

創業から現在までの105年間に、この焼鳥は一体どのくらいの人々を笑顔にしたのだろうか?と、想像をすると尊敬と驚きで溜息を吐いてしまうほどだ。

焼鳥の串を名残惜しく見つめながらやって来たのは、通り沿いに創業大正4年(1915年)からあるパン屋「萬楽堂(まんらくどう)」。朝9時開店から焼きたてパンを目当てに、地元を含め各地から訪れる人々で店内は大忙し。大体お昼過ぎ頃には、パンは売り切れになってしまうとか。実際にお昼ちょっと過ぎに訪れた時には、残り3、4点と売り切れになる寸前。

滑り込みで購入できたのは甘い金時豆がたっぷり入った食パンで、その姿はてっぺんに1粒の豆を乗せた可愛らしいもの。焼き上げられてまだ数時間ということから、持ち帰り途中に型崩れしてしまい、ちょっぴり斜めの表情。それくらい柔らかくほんのりと甘みを感じる生地は、どこか懐かしさを感じる優しい味だ。

萬楽堂が創業時代からずっと変わらず守り続けているのは、店名と一緒に掲げている言葉「焼きたてのパン」。焼きたてを食べてもらいたいという想いは、きっと地元で暮らす人々にしっかりと届いているはず。午前中にほとんど売り切れになるのは、その証拠かもしれない。

立町通りを含めた石巻中心地区の商店街通りには、やむなく閉店をした老舗店もあるが前述の精肉店やパン屋を含めた飲食店の他にも、大正・昭和と長い年月を通して営業している店が存在する。

「あれは美容室に、手芸店。そしてこっちには呉服店」

あちらこちらと見渡しながら、通り沿いの景色をゆっくりと歩き進める。
すると、気づくのは歴史を物語るそれぞれの建物のデザインや風合いの違い。

数十年も昔の建築物をリノベーションして、今に活かしている佇まいの建物もあり、その外観は今風のものとは全く異なり、味のある商店街にじんわりと染み入るように存在している。
その中で釘付けになった一つは、中がカフェになっていて和と洋が共存している個性的なデザインのもの。建物自体は築100年の大正時代のものなんだとか。

そして立町大通りから川にほど近い場所まで進むと、交差点の角に商店街全域をセピア色に包み込むようにして佇む建物の姿。これは1930年に百貨店として誕生した施設「旧観慶丸商店(きゅうかんけいまるしょうてん)」だ。

2011年の東日本大震災時には1階部分が激しく破損するなど、被害は大きかったが奇跡的に全壊は免れ修繕を繰り返しながら、現在は石巻市の重要文化財として指定されている。建物の風合いをただ見て楽しむだけでなく、施設内では定期的にイベントを開催するなど、地域の多目的スペースとしても活用されている。

窓ガラスの丸みを帯びたデザインからはヨーロピアンな雰囲気と、屋根部分に折り重なる瓦や陶器製のタイル貼りの壁からは、不思議と日本らしさも感じる魅力的な建物。
歴史を今に繋ぐアイコンとして、石巻の商店街を見守ってくれる存在だ。

宮城県石巻市の中心地区にある商店街には江戸から大正、昭和と長い時を経てもなお、人々に愛され続けている味や建物が現代にも生き続いている。
そんな味わい深い商店街に足を踏み入れると、不思議と時計の針がぴたりと止まり、そして逆戻りをするようだ。

これからもこの魅力を持続するためには、世界中から人々が訪れることが大切になってくるだろう。それぞれの通りに息づいた歴史のカケラを感じて、貴方はどんなことを想うか。

ぜひ、試してみてほしい。

石巻まんなか通り「立町商店街」
HP:https://tachimachidori.com/
立町商店街

当時の写真/引用元:立町商店街

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Molly Chiba

日本と英国を拠点に活動中のフリーランスライター。東北地方の田園に囲まれ育ちました。東南アジア地域の国際協力活動などを転々としていく中で、言語習得のため英国に短期滞在。それをきっかけにすっかり英国の虜に。日英のSDGsに関連する執筆のほかに、国内の地域文化ニュースやサッカーコラムを書いています。