長い自粛期間の中を耐えてきた地方の観光業界にも、ようやく少しずつ明るい兆しがみえてきたが、まだまだ厳しい状況は続いている。
ところで「まちやど」という言葉を聞いたことがあるだろうか。一般社団法人日本まちやど協会によると、「まちやど」とは、町を一つの宿と見立て、宿泊施設と地域の日常をネットワークさせ、まちぐるみで宿泊客をもてなすことで地域価値を向上していく事業” だという。(※1)
ホテルに泊まり、ホテル内のレストランで夕食や朝食を取り、温泉につかって、エステやマッサージを受け、受付付近の売店でお土産を買う。このように一つの施設の中で完結してしまうのではなく、まち全体を宿と捉えて観光客をもてなすやり方だ。
地方創生が叫ばれ、日本の産業として観光業が期待されるなか、これからの日本で、地方の観光業が持続しながら、訪れる人も、そこに住まう人も豊かにするような旅のあり方とはどのようなものなのか?それを実現する為に必要な宿の役割とは?
そうした問いに対するヒントが「まちやど」にはあるのではないかと考え、今回は神奈川県の南西部に位置する真鶴町にある「まちやど」と呼ばれる宿の一つ、真鶴出版を訪れた。
その名前で混乱する読者もいるかもしれないが、真鶴出版は、「泊まれる出版社」というユニークなコンセプトで運営されている宿であり、出版社でもある。真鶴出版は夫婦で営まれており、宿は今回お話を伺った來住友美(きし ともみ)さんが、出版社は川口 瞬さんが担当されている。今回は、「真鶴出版」の宿担当、來住友美(きし ともみ)さんにお話を伺った。
ゆかりのない場所で生まれた「泊まれる出版社」という営み
──まずはじめに、真鶴町に移り住むまでの経緯を伺えますか?
真鶴に住む前は、夫婦ともに今とは違う仕事をしていました。私は国際協力に興味があったのでタイで青年海外協力隊として活動していて、夫は日本の会社で働きながら、友人と雑誌を自費出版するといった活動をしていました。
その後、私が仕事の関係でタイからフィリピンに移るタイミングと、夫が独立して出版の活動を本格的に始めるタイミングが合ったので、夫婦で一緒にフィリピンの地方に暮らしていました。数ヶ月後、日本に帰ることになった時に「住むなら地方がいいね」と意見が一致したんです。
私にとって海外の地方での生活は居心地が良くて、日本も地方なら良いかもと思いました。夫もこれからは地方が面白くなると思っていたみたいで。それでどこか地方で良い所をと探し始めた時に、夫の知り合いで地方を撮っている写真家の方に聞いてみたところ、「真鶴がいいよ」と薦められて。
その一言をきっかけに、その頃ちょうど真鶴町が始めていた「お試し暮らし」をしてみたら、とても良い場所で、そのまま移住を決めました。実は真鶴には元々なんの縁もなくて。夫の実家は山口県ですし、私は横浜出身です。
──それは意外でした。ところで真鶴出版さんの「宿と出版社を掛け合わせる」というアイディアが印象的なのですが、どうしてそうなったのですか?
もともと夫の川口は出版業がやりたくて、私は宿泊業がやりたかったんですよね。フィリピンにいる時から宿の運営に興味があって、NGOの事業の中にゲストハウス運営があったので、私はいつか宿を運営するための修行も兼ねて働いていたんです。
夫は真鶴に来て3ヶ月後くらいで出版社の名前を「真鶴出版」に決めて活動を始めていて、一方私は借りている家の一部屋をAirBnBに登録して宿を始めました。そのうちに「宿にも名前をつけたいよね」って話になったのですが、いい名前が思いつかなかったんです。そんな時に夫が「一緒にやったらいいんじゃないか」と。そこで「泊まれる出版社」というコンセプトも浮かび、宿も真鶴出版としてやってみることになりました。
出版社と宿を一緒に始めてみて、今の形になるまでにどんなことがありましたか?最初からまちやど的な形だったのか、それとも段々と今の形になったのでしょうか?
徐々に徐々に、ですね。最初は外国人のお客さんが9割ぐらいでした。真鶴を箱根の一部と思ってくる外国人の方がすごく多かったです。
Airbnbの地図で見たときに、箱根だと宿泊施設が高くて満室だったりするのですが、箱根から少し範囲を広げると、真鶴が候補に入ってくるんですよ。でも真鶴に泊まっても、皆すぐ箱根に行ってしまうのでそれが残念でした。真鶴には良いコミュニティーがあることや、暮らしている人たちの面白さとか、自分たちが感じた真鶴の良さを全然伝えられていなかったなと気づいて。なのでまずは外国人に向けて町の紹介を始めたんです。
日本語しか通じない居酒屋さんに外国人の宿泊者と一緒に行って「このお店はこれが美味しいよ」とおすすめすることから始めて、段々と町のお魚屋さんのことや、街にある石の話などをするようになったのですが、結構これが好評で。最初は「よかったら案内しますよ」位だったのが、いつのまにか定番になりました。それから段々と日本人の宿泊者が増えて、外国人に加えて日本人の宿泊者とも町歩きをするようになりました。
日々を眺め、ただ起こることを楽しむ
──以前目にしたお二人の記事中の「私たちの意思というよりも、真鶴という土地に決められている感覚がある」という言葉が印象的でした。それはどういう感覚なのでしょうか?
それは「私たちの意思で動いていない」ということだと思います。土地の力が強いというか。たとえば町歩きをしていても、一緒に歩く宿泊者に合う出来事が起きたりとか。神様がいるなって思うようなことが、たまに起こることがあります。
真鶴への移住を考えていた方が泊まりに来た時、雨が降って町歩きが初日から2日目に延期になってしまったことがあったんんです。でもそのおかげで、次の日の町歩きで不動産屋さんにたまたま道端で会えて、その流れで空いていた物件を紹介してもらえました。そして物件を見にいく途中では、移住者にも偶然会えて、お話を聞くこともできました。その方はその日に見に行った物件に決めて、真鶴に住むことに。だから私たちの意思じゃなくて、町が勝手に人を選んでいるように感じることが多いですね。
──真鶴で真鶴出版をしながら暮らしていて「幸せだな」と感じるのはどんな時ですか?
ほぼ毎日です。越してきたばかりの頃は心配もありましたが、どんどん知り合いが町に増えることが楽しくて。人口が7,000人ぐらいの小さな町で、良くしてくれる年輩の方も多いので、楽しいのは最初だからかなだと思っていたんです。でもその後もずっと面白い。
たとえば、近所での畑を30年やっているおじいちゃんおばあちゃんは、私たちの畑に勝手に苗を持ってきてくれたり、草むしりをしてくれたり。ネットにものってないような知恵やコツも教えてくれるので、話していても飽きることがないんです。あとは私たちの宿に泊まってくれた方が真鶴に移住してくれたり、そういうことがどんどん起きる。
真鶴は自然が多いので、保育園に行くときに毎日通る背戸道(細い路地のこと)を歩くだけでも色んなドラマがあるんですよ。カタツムリが大量に生まれていたり、トカゲが踏まれて死んでいたり。私が何もしていなくても生死の循環は起きているんだなと、それを日々眺めたりとか。
これまで私は「努力をすれば人は成果を得られるけれど、努力をしなければ何も得られない」という考えを持っていたんです。でも真鶴に住んでからは、努力はあんまり関係ないのかもなと思うようになりました。なので今はただ日々起こることを楽しんでいます。
──真鶴出版さんをきっかけに移住した方はどの位いるんでしょうか?
19世帯、人数で言うと50人くらいです。でも私たちは「移住しましょうよ」ということはやっていなくて、きっかけを求めて泊まりに来る人たちに対してできることがあれば手助けをする位です。町には合う合わないがあると思うので、お話を聞く中で、移住はしたいけれど真鶴は合わなそうな方には、また別な場所を提案したりしています。
消費する旅から、創造する旅へ
──川口さんの書かれた記事の中に「”消費”するためではなく、何かを“創造”するためのきっかけとして泊まりに来てくれることが多いです」という文章がありました。そのあたりについてもう少し聞かせていただけますか?
真鶴出版を訪れてくださる方々は「ただ泊まりに来ること=消費すること」を目的に来られる方よりも、これからの自分の人生だったりとか、働き方や暮らし方を考えて、今居る場所から新しい一歩を踏み出そうとしているタイミングに、その一歩のきっかけを求めて来る方が多いんです。
東京の暮らしに疲れてしまってどこかに移住を考えている時に、「新しく住む場所を探している」と訪れてくれた方もいらっしゃいました。
これまでの一般的な観光は、有名なホテルに泊まり、お金を払って、部屋や食事、その場所の観光スポット、お土産などを楽しむことでした。真鶴出版の場合は、人との繋がりをつくりたい、この場所のことをもっと知りたい、新しく住む場所を見つけたいなど、そういったうことが目的で訪れる方が多い。
これからの自分の暮らし方や働き方、生き方を生み出すための、きっかけを作るための旅、という意味で「創造」という言葉を使ったのだと思います。
普通は払ったお金に対して、宿側にそれに見合うサービスを求めるのが一般的ですが、真鶴出版に来られる方は宿にサービスを求めている方は少ないように思います。町の人と繋がるきっかけや、関わりなどに価値を感じてくださる方が多いからですかね。
──新しいきっかけを求めて来る方々は、真鶴出版でどの様な滞在の仕方、過ごし方をするのですか?
私たちも真鶴に移住してゼロから仕事を作ったこともあるので、その話を詳しく聞きたいという方が多いです。移住の話だけではなく、仕事を辞めた時はどうだったかとか、訪れた人の状況や思いによって私たちに聞きたい内容が変わります。そんな風に生活を変えるヒントを探しながら過ごす方が多いんじゃないでしょうか。
自分の生き方や暮らし方に悩んでいる方の視野を広げるという意味でも、真鶴に住む、自由で色んな生き方をする人達を見るのは良いきっかけになるはず。
──地域の方々は、真鶴出版のお二人に対してどういう印象を持っているんでしょうか?
私たちはもう30歳を過ぎているのですが、町の人からは若くみえるようで、孫のように思われていますね。町の人たちはまるで親とか家族みたいに、私達を温かく見守ってくれています。私たちが真鶴出版を営んでいることとは関係なく、真鶴の人たちはとても優しい。肩書きで人を見るのではなく、どういう人間かで人を見ている感じです。
──真鶴に移住するとしたら、どんな方がこの場所に合うと思いますか?
今の真鶴を好きになってくれる人ですかね。今暮らしている町の人たちやお店、景色。今のこの状態を好きになれる人がいいと思います。ここが不便だなとか、足りないところに目がいってしまうと暮らしにくいかもしれないですね。
──「これからの時代の新しい宿は、いかに観光以外に宿を使えるか。言い換えると、宿を“消費活動”ではなく“生産活動”に使えるかが重要」という言葉が、川口さんが執筆された記事内にありました。その辺りについても伺えますか?
観光というと、町に来てもらいお金を落としてもらって、ハイさようなら、というような一過性のものというのが根強い。でもそうではなくて、その時だけで終わらない関係を築くこと、町のことを好きになってもらい、また来てもらう関係を築いていくことが重要だと考えています。
来てくれた人にとっても、大好きな場所が増えていくことは、その人の人生がより豊かになることに繋がると思います。払ったものに対して対価を渡して終わってしまうものではなく、次に繋がる何かを生み出していける宿でありたいですよね。
一見さんばかりになってしまうと、提供する側も観光を一過性のものとしてとらえるマインドになってしまう。仕事をただこなしていくことに集中すればその時は経済的に潤うでしょうが、その後に残るものって何があるのだろう?と思います。
「まちやど」の魅力
──「まちやど」の魅力はどういったところにありますか?
いいところばっかりだと思いますよ。町全部で幸せなこと、心地よいことが増えていくというか。私たちだけでお客さまを抱えてしまうとできることに限界がありますが、お客さんに町に出てもらって、町の人たちと繋がっていただくと楽しさが増えていくんです。
真鶴出版に訪れた方々が町を歩くことで「こんなとこ誰も来ないよ」と言っていた町の人たちも、何回も私が町歩きをしているのに遭遇する中で「あれ、意外と真鶴は見るものあるのかな」と、シビックプライド(町に対する市民の誇り)が上がって自分たちの住んでいる場所の価値を再認識している感じがあります。
お客さんにとっても、例えば私たちがパンを焼くよりも、真鶴の町のパン屋「秋日和」さんが焼いたパンのほうが美味しい。
まちやどによって小さな良いことがいっぱい増えていくなと感じます。訪れた人たちだけではなく、町の人たちも含め皆が心地よくなるような、良いことの循環が起こるんです。
──棚に置かれている冊子「日常」がとても気になりました。このタイトルやテーマが決まるまでの話をぜひ教えてください。
真鶴出版は「日本まちやど協会」という、全国の「まちやど」を運営する事業者によって構成される一般社団法人に所属しています。
そして「日常」という冊子は、コロナの影響で宿の運営に時間のゆとりができて、まちやど協会のメンバーで定期的にオンラインで集まっている中で「本を作りたいよね」という話が出たことが始まりでした。
「日常」をつくるにあたって、「そもそもまちやどってなんだろう?」というところから皆で考えました。そして話していくうちに、ほとんどのまちやど運営者がもともとは宿をやりたかったわけではなかったことが判明して笑。
──それは意外でした。
町のために何かしたい、町をよりよくするにはどうしたらいいだろう、と考えた時に、町に足りないのものは宿泊機能だと気づいて、それを理由に宿を始めた人ばかりだったんです。
そういう点も踏まえて、「日常」はまちやどを営んでいる人たちだけではなく、まちやど的マインド、つまり「町のために何かしたい」という気持ちを持って何か活動をしている人を紹介していくことにしました。
日常というタイトルは、メンバーでまちやどの本質などについて話をしているなかで、みんな町の「日常」をすごく愛おしく思っていて、それを守りたいと思っている人たちばかりだったんですよね。ハレとケでいうケの方をすごく大事にしているというか。そこから「日常」に決まりました。
──雑誌の一部の文字が斜めだったり、ずれている部分があったり、そのデザインには何か意図があるのでしょうか?
多くのまちやどは、古い建物や古民家を改装したりしているので、多少ゆがんでいたり曲がっていたりする物件が多いんです。なので雑誌日常のデザインも、あまり整然としていないデザインの方が合うと思い、そのイメージをデザイナーさんに伝えました。その後何度かやりとりをしながらあのデザインができたんです。
──「日常」という雑誌、そしてまちやどは、どんなことを大切にしているんでしょうか?
雑誌「日常」は無意味にかっこいいものではなく、ありのままを大事に、盛らないことを目指しています。他のまちやどや真鶴出版にも同じことが言えるのですが「キラキラしないこと」「日常に馴染む」ということを大切にしてます。
──SNS全盛の今、あえて「盛らない」「キラキラしない」ってなんかいいですね。日常の中の本質的なものを伝える時には本当に大事な姿勢だと思います。今日はありがとうございました。
<後記>
インタビューを終えた後、ゆっくりと流れる真鶴町の時間を感じながら、來住さんの背中を横目に細い背戸道を歩いていく。
そこですれ違うのは、道沿いで畑仕事中のおじいちゃんおばあちゃん、干物屋の店主、移住してきたパン屋さん。それぞれがそれぞれの方法での暮らしを営んでいる町の人たちが、ひとり、またひとりと声をかけてくれる。その空気感はまさに、真鶴出版さんがテーマとして掲げる「旅と移住の間」そのもの。
「暮らす」とは、町と共に流れる日常を感じとること。そんな当たり前のようで当たり前ではないことを、真鶴出版さんでの一泊二日の滞在は思い出させてくれた。
旅は、自分がどんな暮らしがしたいのか、どんな日常と共にありたいのかを考えるためのきっかけのようなものなのかもしれない。
真鶴出版
住所 神奈川県足柄下郡真鶴町岩217
予約 真鶴出版予約フォームより
【参照サイト】真鶴出版 川口瞬さんのnote
【参照サイト】神奈川県 真鶴町
(※1)一般社団法人日本まちやど協会
いしづか かずと
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