長野県信濃町の通いたくなる「癒しの森」で、自然のゆらぎに出合う旅

心地よく晴れた日。長野駅から1時間弱、窓を開けて風を感じながら車を走らせ、やってきたのは信濃町。田植えを終えたばかりの田んぼに、大きな山と空が映る初夏の景色を通り過ぎ、山道へ。都市部にあるザワザワとした感じは一切なく、一帯は清々しい空気に包まれている。

本日の宿はご夫婦で運営されているログペンション「セシルクラブ」。植物の間を縫って階段をあがり扉を開けると、穏やかな笑顔のご夫婦が出迎えてくれた。どうぞと出された温かいお茶を飲み、少し仕事でもするかとPCを持ってベランダのほうに向かうと、先客が一人。ワーケーションですか?と声をかけると、そうですそうです、毎月一週間くらい来てます。静かなのと、オーナーご夫婦が優しくて穏やかなのもよくて。あ、よければここどうぞ。私はちょっと近くをドライブしてきます。そう言って出かけて行った。

セシルクラブ

ログペンションセシルクラブ

通いたくなる魅力がきっとこの場所にはあるのだろうな。そう思いながら一夜を過ごし、翌日は朝から森へ。

長野県の避暑地といえば軽井沢を思い浮かべる人が多いかもしれないが、ここ信濃町も大正時代に宣教師が静かな環境をもとめて別荘地を拓き、文学者が滞在して作品を執筆するなど、昔から多くの人々に愛されてきた静かで風光明媚な保養地だ。

現代においても、訪れる人の心身を休ませ、健康を保つ場所としての役割を担い続けるため、信濃町は豊かな自然環境を守りながら、“癒し”を与えるまちづくりを行っている。

その取り組みの一環で、彼らは「森林環境が人の身体と心を癒す効果」について、日本の地域として初めて医学的な調査研究を行った。訪れた人が自然の中で自分を見つめ直し、適切な生活のリズムを取り戻し、自然の中に自分の癒しの場所を見つけてもらうことを目標に「癒しの森®」プログラムと称して、町認定の森林メディカルトレーナー®による森林セラピーの提供などを行っている。

その日森を案内してくれるトレーナーとの集合場所に車で向かっていると、急に視界が開け、大きな山が二つ、目の前に現れた。

黒姫山と妙高山

うわあ…と思わず声が漏れるほど、壮大な景色。左が黒姫山で、右が妙高山。この季節、両方の山がこんなにくっきり見えることはなかなかないんですよ。と到着後、トレーナーが教えてくれた。

大きな山を目の前に、抱えられないのは分かりながらも、その広さと大きさを全身で感じたくて、両手を広げて上を向き、目を閉じる。

「今日は沢山深呼吸をするので、最初に肺を広げるストレッチをしましょう」

トレーナーの導きに沿って、ぐーっと上に伸びをする。そのまま右に体を傾け左のあばらを伸ばし、左に体を傾け右のあばらを伸ばし、肺に空気を送りながら閉じている体を少しずつ開いていく。空や樹を見上げやすいよう首もぐるりと回してみる。

「昔は危険を察知したり食糧を得たり、生きるために五感を駆使して暮らしていました。でも、いま都会で五感を全開にしてしまうと情報量が多すぎて脳がオーバーワークしてしまいます。だから五感を全開にしないことで脳に入ってくる情報量を調整しているのです。でも、ここには騒音も調理の匂いも派手な広告もありません。安心して五感を開いてください」

はあ、きもちいい〜。思わず声を漏らすと、トレーナーからこんな言葉が返ってきた。

「空気、できたてですよ」

そうか、目の前に広がる植物や木々が今、続々と酸素を生み出しているんだ。緑のなかに行くと空気がおいしいと思うけれど、できたてほやほやだから美味しいと意識したことはなかった。炊き立ての白米が格別に美味しいのと同じで、できたての空気は最高に美味だ。毎日食べたい。

できたての空気を思い切り吸い込み、五感が開き始め、最初に導かれたのは一本の木の下。

「枝先の若葉と、枝上の濃い色の葉。それぞれ手のひらで揉んで香りを嗅ぎ比べてみてください」

葉っぱたち

左が若葉、右が古い葉

若葉は手にのせるとしっとりとみずみずしく、指で揉むとすぐによじれ、香りはフレッシュ。古い葉は固く乾燥していて、指で揉んでもなかなかよじれてくれないが、香りに安定感や安心感があり、頼りたくなるような大人の魅力があった。

「人間みたい」

参加者の一人が口にしたその言葉を聞いて、みんなで笑った。確かに年を重ねれば重ねるほど、自分のなかのこれまでの当たり前が脳や体を固めて、変形させるのを拒むようになってきた。安心感もいいけれど、たまには少し無理に圧力を加えてでも柔らかくしていきたいなどと思う。

その後も森を歩きながらトレーナーの導きにそって、様々な植物の枝や葉、茎を嗅いだり、食べたり、嗅覚だけでなく味覚も使いながら森を味わっていく。

小学校の帰り道、つつじの花を摘んで蜜をすったり、野いちごを摘んでパクッと口に入れていたことを思い出す。大人になってからは危険かもしれないという気持ちだけで、つつじも野いちごも含めその辺りに生えている植物はただの草になってしまった。あの頃、植物に感じていたわくわく感が森を味わうなかで戻ってくるのを感じた。

「この近くに滝があります。目を閉じて、耳の後ろに手を当てて、どの方向に滝があるか耳を澄まして見つけてみましょう」

視覚を閉じて、聴覚を研ぎ澄ませる。必死に水の音を探すが、分からない。自信がないままあっちかなという方向を指差すと、当たりだった。水が落ちる時に発する心地よい風がそちらのほうから流れてきたような気がしたのだ。でも音は聞こえなかった。聴覚がまだ開いていないのかもしれない。

少しずつ水の音が大きくなり、目の前に滝が現れた。橋を渡り、さらに進むと川があり、裸足を浸けてみるよう促される。

つっめた…!

水温計を入れると12度。サウナ好きの参加者が、水風呂は17度前後なことが多いから、それよりも随分低いと教えてくれる。冷たすぎて足をつけている3秒が永遠に感じられるほどの水に、その彼は何事もないように足を入れ続け、川のなかを歩いて見えないところまで行ってしまった。

水療法

短い間だったけれど、頑張って水につけた足は次第にポカポカと温まってきた。これは水療法と呼ばれ、保養先進地であるドイツ·バートウェーリスホーフェン市発祥のクナイプ療法をお手本に取り入れられたものだという。水によって生じる冷・暖の温度差は、血液循環を活発にし、それにより体の代謝と浄化を促進する機能をもつようだ。(※1)

水療法のおかげか、冷たい川を歩いていた彼はその後、童心を取り戻したかのように日本固有の希少な蛙であるモリアオガエルの卵や四葉のクローバーを発見していた。

四葉のクローバー

川をたどると御鹿池(おじかいけ)と呼ばれる池が目の前に。そこでトレーナーがこんなことを教えてくれた。

「葉のそよぎ、雲の流れ、水面のゆらぎ、肌をなでる風、鳥の声、自然界には『f分の1ゆらぎ』と呼ばれるものが多くあります。また私達人間の体にも、心拍や血流など『f分の1ゆらぎ』が存在しています。『f分の1ゆらぎ』は、自然界のリズムであり、また私達本来のリズムでもあり、このリズムが人に心地よさを与えると言われています」

「f分の1ゆらぎ」とは、予想できそうで、予想することがむずかしい、意外性を含んだ規則的な動きのことを指すらしい。(※2)

f分の1という単語はよく分からなかったが、「ゆらぎ」というキーワードがやけに頭に残った。

「自然のなかにある、いいなと自分が思う『f分の1ゆらぎ』を探してみてください」

そう言われ、みんなから少し離れた草の上に一人座って目を閉じた。

全方位から、蝉、鳥、蛙、虫の鳴き声がする。一定のビートを刻みループする音楽とは違い、偶然その瞬間に放たれた音が重奏的に重なる。一度として同じ重なり方をすることはない。

深く深呼吸をして目を開けた。池に遠くの山がぼんやりと映り、水がゆらいでいる。

水辺

目の前の草が一本だけ風で揺れる。そのまま視点を動かさず同じ画角でぼーっと見つめていると、少し強い風が吹いて無数の草花が方々に大きく揺れた。

木の枝も、細いものは強くしなるように揺れ、太い枝はゆったりと首をもたげる。

アリが地面においた私のリュックの上を歩く。上をむくと雲が流れている。

いまこの瞬間私の視界や聴界(そんな言葉はないけれど)には、ゆらぎしかない。

それなのに、人生において、ゆらぎが良いものとされている話はあまり聞いたことがない。

一度決めたことは変えずにやり通すべし。まっすぐに生きるべし。初志貫徹。首尾一貫。困難に負けず、根性で、自分を信じ抜き、最後まで走り切る。そんな風に揺れずに、進める人を尊敬する。一方でそれが出来ない、飽き性で根性なしの自分をいつもどこかで攻めていた。でも、ここにはゆらぎしかないじゃないか。自然は全部ゆらいでいるじゃないか。ゆらぐのは“自然”なことなんじゃないのか。

ものの5分ほど、池を目の前にした時間のなかでそんな思考が巡った。自分を正当化したいわけではないけれど

「僕らはとにかくゆらいで生きているよ〜あなたがどうしたいかはあなたが決めればいいよ〜」

そんな風に自然に言われたような気がした。

日本には色んな「森」がある。すっと規則的に立つ杉など針葉樹の茂る林業の森。野生の鹿や猪、猿が目を光らせる森。ポツンと自然のなかに佇む山小屋の煙突から煙があがる森。人の手によって整備された人に癒しをくれる森。

“国土の3分の2が森林というこの日本で、私たちはこれからどんな風に森に生かされ、森を活かし、生きていくべきなんだろう。”

人間を癒すために人の手で綺麗に整備された通いたくなる森を歩き癒され、黒姫駅で最高に美味しい駅そばを食べながらそんなことを考えていた。

黒姫駅の駅そば

黒姫駅そば店の山菜そば

(※1)Kneipp/クナイプ哲学
(※2)無印良品/ゆらぎのふしぎ

森を案内してくれた森林メディカルトレーナー
代田眞紀子さん(通称:ケロちゃん)
けろちゃん

信濃町「癒しの森」森林セラピー
公式サイト:http://iyashinomori.main.jp/
信濃町 森林セラピー

泊まった宿
ログペンションセシルクラブ
住所:長野県上水内郡信濃町野尻3884-766
公式サイト:http://cecilclub.com/
セシルクラブ

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飯塚彩子

“いつも”の場所にずっといると“いつも”の大切さを時に忘れてしまう。25年間住み慣れた東京を離れ、シンガポール、インドネシア、中国に住み訪れたことで、住・旅・働・学・遊などで自分の居場所をずらすことの力を知ったLivhub編集部メンバー。企画・編集・執筆などを担当。