「おじゃりやれ、八丈島」
見慣れぬ言葉に迎えられ八丈島空港に降り立った。荷物を持って外に出た瞬間に何か東京との違いを感じる。そうか…青いんだ。
八丈島を訪れたのは12月頭。東京では木々が紅葉し、葉が落ち始め、街は冬に向かう色をしていた。しかし、東京から飛行機で1時間弱、船で11時間程行った先にある八丈島には紅葉はなく、遠くに見える山脈は青々としている。
道端にはご機嫌そうに極楽鳥花のオレンジの花が太陽の方をツンと向いて咲き、真っ赤なハイビスカスが風に揺れる。「”島” に来たんだな」
タクシーに乗ればいいのに、GoogleMapが空港から宿まで徒歩30分と示す道をトランクをガラガラ引きながら歩いていく。なかなか道のりは長く、失敗したな…と思いながら足を前に進め、ふと左をみると大きな山。標識には「八丈富士山道入口」とある。おおこれが八丈富士かと上を見上げた。明日この山に登る。さて普段運動もろくすっぽしない私にこんな大きな山、登れるのだろうか…。
島特有の空気なのか、八丈島にはゆったりとした時間が流れていた。まっすぐに伸びる広い道路の向こう側に青々とした山脈が見え、通りの両端にはヤシの木など大きくてふさふさとした木がもったりと揺れ、高い空から燦々と太陽の光が降り注ぐ。「これは、ハワイだ…」あたりをぐるっと見回して車がこないことを確認して、道のど真ん中に立って、大好きなハワイでの記憶を思い起こしながら八丈島の空気をからだいっぱいに吸い込んだ。
ふと品川ナンバーの車が通り過ぎた。そうかここは東京なのか。不思議だ。
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さて、今回八丈島に来たのは東京都が主催する「東京島エコツーリズム」に参加するため。東京島エコツーリズムは、都民が東京の新たな魅力を体感・発掘して、都民みんなであしたの東京をつくっていくための参加型プロジェクト「あしたの東京プロジェクト」のひとつ。
「学ぶ」「ふれあう」「楽しむ」「守る」をテーマにしたツアーは今回訪れた八丈島に加え、大島と神津島の3島にて11月中旬から12月頭にかけて行われた。
八丈島でのツアーは12月3日から4日にかけての1泊2日での開催。参加者は3つのプランのなかから、好みの体験を選び参加する。私が参加したプランでは、2日間のなかで「黄八丈織物体験、ポットホール散策、星空観察、八丈富士トレッキング」と大きく4つの体験が用意されていた。
伝統工芸は昔のものじゃない
宿に荷物を置いて、一つ目である「黄八丈織物体験」の会場である「八丈民芸やました」に向かう。黄八丈は、島の植物染料で色付けされた糸からなる絹織物で、東京都指定無形文化財。八丈島を代表する伝統工芸品だ。
他の参加者の方と合流して、織り機の前に案内され、まずは手本を見せてもらう。織るたびにパタパタと音が鳴り、鶴の恩返しの話を思い出す。
「あのお話はおかしいなっていつも思うんです。だって鶴の羽を糸にまずどうやってするのか、そして自分の羽を使っているはずなのに鶴の羽は減らない。不思議です笑」
確かに笑 店主の言葉に頷きながら、いざ実践。複雑そうで初見では出来る気がしなかったが、気づくとリズムに乗ってパタパタと楽しく織り続けている自分がいた。あと1時間くらいは織れそうだな。
「『昔はね、こうやって服を作っていたんだよ』と親子でいらっしゃったお客様のお母さんがお子さんに話していたことがありました。でも、これは昔のものじゃないんです。今もこうして私はこの織り機で着物などを作っていますし、これをしながら生きていますからね」
綺麗なピンク色に爪を塗り、スニーカーを履いて機織りをする店主の言葉がぐっと体に入ってくる。確かに伝統工芸と聞くと私たちは昔のものであると自動的に捉えがちだ。しかし、2022年、伝統工芸を生業としている方を目の前にして話をしたことで、伝統工芸も今を生きている存在なのだと感じることができた。
「今の流行りは水玉の柄ですね」
そう。流行だってある。2023年そして2100年の黄八丈織物のトレンドはどんなものになるのか。未来の伝統工芸の姿が楽しみになった。
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織物体験を終えて、昼時。近所に「ブーランジェリー」という名のパン屋さんがあるらしいと聞き歩いて向かう。店に入ると透明なショーケースに昔ながらの色んなパンがぎっしり。
ワクワクしながらトレーとトングを取って、どれにしようかなと迷う。アンドーナッツを見つけて「アンドーナッツ食べたい」と声に出すと、レジの方から店主のおばちゃんがささやいた。
「アンドーナッツはね、ハマるよ。私もハマったからね。」
え、おばちゃん、おばちゃんがつくってるんじゃないんですか?
「社長が作って私が揚げてる。カレーパンもみんな買っていくけど、食べてみたら、ちょっとハマったね」
おばちゃんの言葉のチョイスにくくくと笑いながら、しっかりアンドーナッツをトレーに載せた。
「今日はあったかくていいね。10度まで下がると、八丈ではみんな出てこないよ」
「明日八丈富士に登るの?へえ!こっちきて44年だけど一度も登ったことはないけどね。案内するばっかりで。明日も天気良いみたいだから良かったね。温泉もいいよ。2回しか行ったことないけどね」
「八丈ももうすぐ8000切っちゃうから。いま移住する人を歓迎して、役場が就職先見つけてくれたりするみたいよ」
土地に住む人との雑談が最高に楽しい。ちょっとした会話から町の暮らしや困りごとが見えてきて、その後に見える町の解像度が上がる。
10万年の歳月が目の前に
腹を満たしたら、二つ目の体験「ポットホール散策」へ。ポットホールとは何なのか。とにかく何か「穴」なのだろうくらいの浅い知識のまま、案内されるがまま現場に向かう。
現地に着くと黄色いアウトドアジャケットを着た案内人、島田 努(しまだ つとむ)さんがいらっしゃった。
「これは一枚の岩です。繋ぎ目が見えないでしょう。そこに、上から転がってきた石が水の力で回転して少しずつ穴を掘ってできあがったのがポットホールです」
ポットホールは、岩盤を流れる水路にできる穴のこと。小さな穴に偶然溜まった小石が水流で回転し、長い年月をかけ徐々に穴が大きく深くなったものなのだという。八丈島の一部のポットホールは天然記念物にも認定されている。
「1cmの穴が開くのに何年かかると思いますか?」
「答えは100年です。なので、大きな穴なんかは10万年の歳月を経てできたものです」
10万年。想像を絶する地球が積み重ねてきた長い長い歳月が目の前に「穴」として現れ、言葉を失った。
この大きな穴のたった1、2cmである100年、200年の間に、人間はどれだけ自然や環境を変えてしまったのか。近代の人間の行動を嘆きたい気持ちになった。
ポットホール散策の道には苔がたくさん生えていた。苔を触ってみる。ふわふわと柔らかい。
「八丈島は苔とかシダが住みやすいんですね。なぜか、高温多湿だから。冬でもこういう風に枯れないんですね。一年中青々としている。八丈は温度が一度ずつしか下がらないから紅葉もしません。紅葉はいっきに温度が下がった時に起こるので。八丈で唯一秋を感じるのは、ススキ。あとは秋の花くらいですね」
「私たちが今いるのは三原山という約10万年以上の歴史のある山です。明日みなさんが登るのは八丈富士。八丈富士の歴史は1万年とすごく若い。この二つの山では植生が全く異なります」
八丈島は二つの火山によって誕生した島。当たり前のようでしっかりと考えたことがなかった島の成り立ちについて島田さんのお話を聞きながら思考を巡らせた。すぐに調べてみようかとも思ったけれど、開いた携帯は圏外だった。久しぶりに見たな圏外。なんだか嬉しい。
ポットホール散策を終え、1日目も残すところは星空観測体験のみ。しかしこの日は天気が優れず、星を見ることができぬまま、眠りについた。
自然がつなぐ、見知らぬわたしたち
朝起きて防寒着をリュックに詰め込んで集合場所に向かう。徐々に参加者が集まってきて、参加者と運営者を合わせた総勢27名で、いざ八丈富士へ。今日のガイドも昨日と同じく、黄色いアウトドアジャンパーを着た島田努さんだ。
「こんなに風がないのはめずらしいですね。山に雲がくっついてないでしょう。だから大丈夫ですねきっと。天気は当日の朝にならなきゃ分からないんです。土砂降り予報でもピーカンなこともある。天気を当てろってのは至難の業ですね」
車で山道の入り口まで着いた。いよいよだ。山登りなんて小学生ぶり。果たして登り切れるのか。緊張する。
「最初の10分は辛いです。なので、これでもかってほどゆっくりゆっくり行きます」
一列になって参加者みんなで一歩一歩登っていく。階段よりもスロープのほうが楽なことに気付き、坂道を進む。すぐに辛くなってくる。あとどれくらいだろうか。
「ここまできたらあとちょっとですよ〜」
という島田さんの言葉に、私の後ろを登る方が「山の人のもうちょっとは信用できないからな」と言葉を漏らし、はははと笑う。
「どこから来られたんですか?」
「あ、私は八丈島からです」
「え!島の方なんですね!なんで参加したんですか?」
「同じく島に住むこの友人に誘われたので。八丈島に住んでいると、登らないし、織らない。飲む(酒を)だけです。笑」
なるほど確かに。住んでいるからこそ、行かない場所、しないことがある。44年この土地に住むパン屋のおばちゃんも登ったことがない八丈富士に今私は登っているのだ。
そんな風に話したり、無言になったりを繰り返しながら少し行った先で後ろを振り返ると。
「うわぁ…」
空と海が溶けてひとつになり、すーっと一隻の船が通り過ぎた。上にいくにつれて増えてきた雲の隙間から、八丈の美しく壮大な景色を見下ろす。
その後も、足元を見ながら必死に登っては振り返り、あと少しと自分を奮い立たせてと繰り返し、1時間弱ほど登っただろうか、気づくと汗だくで山の中腹まで辿り着いた。記念に写真を一枚パシャリ。
「ここからは暑くなることはないです。防寒着を着てください。ここからはよそ見をすると危ないです。写真を撮るときは止まって。ながらはしないでください」
手袋が配られ、山頂を目指す。さっきまでの風景とは打って変わり、風が急に強くなって、あたり一面が靄に囲まれた。ハイキングから登山に変化したようで、みんな真剣。口数も減り、一歩一歩気をつけながら踏みしめていく。
「ここ穴あります。気をつけてください」
「ここぬかるんでます。気をつけてください」
後ろの人に声をかけ、伝言しながら前に進む。
「あったかいうどんが食べたい…」
「降りたら食べにいきましょう…」
そしてなんとか山頂に到着!自撮りなんてしなくなって随分経つが、達成感からカメラを自分に向け、寒さで強張って広角の上がらない顔を写真におさめた。
下りも慎重に。寒いエリアを抜けてからは、ずんずんとお喋りをしながら降りていく。
「もうすぐゴールだ!」
「わ〜い!到着〜!」
先に着いた組は拍手をしながら他の参加者を迎える。
「おつかれさまです〜!」
「私たち頑張った!すごい!」
数時間前に出会い、いまだに名前も知らない人たちと拍手を送りあった。明らかにこの山を共に登り切った私たちの間には見えない絆が生まれていた。それはコロナ禍を通して長い間感じられていなかった、じんわりと胸の内側から温かさを発するような、社会との弱くて幸せなつながりだった。
名前も年齢も肩書きも何もいらない。言葉だってそんなに多くはいらない。ただただ一人の人間として、自然の中で同じ体験を共有するだけで、人はこんなにも温かくつながれる。
苦しいほどの分断が溢れる世の中で、八丈島で感じたこのつながりは私の未来を少し明るく照らしてくれた。
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『東京都観光部に聞いた「東京島エコツーリズム」企画の裏側』では、八丈富士を共に登った仲でもある「あしたの東京プロジェクト」の企画担当、東京都産業労働局観光部企画課の篠原圭さんに、企画の背景や実施してみての感想などを伺った。
【参照サイト】八丈島観光協会
【参照サイト】あしたの東京プロジェクト
飯塚彩子
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