茨城県大洗町を巡ってみつけた「わたしの」サステナブル 〜「大洗うみまちワーケーション」レポート後編〜

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レポート前編では、都内から約90分でアクセスできる海のまち「茨城県大洗町」で、属性の異なる6名の参加者たちが地域に根付く地元事業者を訪れるまち巡り初日の様子をレポート。後編では、2日目以降のまち巡りと、参加者がまち巡りから何を感じたかを振り返る様子をお届けする。

街の歴史を見守ってきた元酒蔵の建物を後世に残すために

2日目の朝は、朝から全員で海沿いの道を自転車で走り、「サンビーチ通り」から一本道を入ったところにある古い大きな木造の門の前へと集合。そこは慶応年間から約130年間に渡って酒造りが行われていた酒蔵「古川酒造」だ。その歴史と空間を活かして新たな拠点づくりをしているのは、株式会社古川酒造店の高林愛さん。彼女の案内で、元酒蔵の建物と店舗を見学させていただいた。

古川酒造の酒蔵への入口

古川酒造は、日本酒「松籟(しょうらい)」を中心とした地酒をその建物に付随した店舗で販売しながら、埋め立て前には海辺に接していたため、海の家のような地元住民の憩いの場にもなっていたそうだ。ちなみに「松籟」とは大洗の特徴とも言える、海辺の松の間を吹き抜ける風の音のこと。そんな看板ブランドを掲げていた古川酒造は、まさに大洗町の歴史に寄り添ってきた酒蔵だといえる。

古川酒造 高林愛さん

高林愛さん「この古川酒造店の酒蔵は、幕末に起こった『天狗党の乱』から続く伝統建築です。子供のころから祖父母と過ごした思い出があるこの場所が大好きで、約20年前に一旦酒蔵としての役割を終えたこの酒蔵を地域に残したいという思いがあります。

酒蔵の内部の様子

現在ではこの広い空間を活かして、ワークショップや上映会などを不定期で開催しています。将来的にはこの場所を活用した飲食店運営なども興味があるのですが、古い上に増築を重ねた複雑な建物なので、消防法などの規制をどう乗り越えるかが課題です」

酒蔵内を一通り見学させてもらった参加者一行は、蔵に隣接している元店舗の方に移動し、店舗に残されたかつての古川酒造の写真を見たり、店内に残された古川酒造の商品についての説明を高林さんから受け、その場で見学した感想をシェアしてアフタートークを開始。

愛さんから古川酒造の歴史を聞くにつれ、古川酒造の古川政次さんは特にアイディアに溢れる人物だったようで、当時としては珍しい地域に開いた販売手法を色々と発案しては実行に移していた。日本酒フォトコンテストを開催して全国に向けて公募したり、大洗の砂浜に面した立地を活かした「海の家」のような「清酒カクテルバー」を開催したり。現在では当たり前の手法だが、昭和31年当時の日本酒業界としてはかなり斬新な試み。

そんな過去の酒造の様子を聞くにつれて、参加者と古川酒造のこれからを考えるアフタートークは、予定時間を大幅にオーバーしても質問や感想が尽きない盛り上がりをみせた。

高林愛さん「今回、こうやっていろんな人に古川酒造の存在を知ってもらったことで、周囲の人の興味をもってもらうことが大事だとあらためて感じました。今後、地元の方と相談しながら建物の文化財登録なども進めつつ、蔵の活用法や資金についても模索していく予定です」

大洗と酒造の歴史を言葉ではなくその佇まいそのもので伝えてくる、200年の歴史を刻んできた酒蔵の趣きと、蔵内部に今も佇んでいる酒造りの道具たち。それらを目の当たりにした参加者たちは、この古川酒造跡地が現代に伝える歴史やその空間の活用に大いに可能性を感じたようだ。特に参加者の中の大洗町在住者の方は、町の歴史的建造物を持続させる試みを、すぐにでも応援したいと終始発言していた。

視察時間を過ぎても場の活用アイディアがとまらない参加者たちは、後ろ髪を引かれる思いで次の視察先へと向かった。

200年続く漬物屋の8代目による新たな挑戦

参加者一行が2日目の午後一で到着したのは、株式会社吉田屋が運営する梅体験パーク「Ume Sonare oarai」。

従来の梅農家のイメージを覆す洗練された建物が特徴で、梅畑と工場、そして梅酒づくりワークショップをワンストップで体験できる、中庭付きの施設だ。そして敷地は別となるが、商店街の中で全国初の梅専門カフェ「ume cafe WAON」も運営している吉田屋の大山代表は、大洗町の地域活動の中心的な存在を担っている。

まずここでは、参加者全員が自分が選んだ好きな梅の品種を使い、梅酒またはシロップづくりワークショップをしっかり堪能。

自分好みの梅の品種を3種類から選ぶことが可能

自分好みの素材をセレクトして手作りした梅シロップを、自宅に帰ってからも瓶の中でじっくり育てる数週間の作業は、梅仕事ファンにとってはこの上ない楽しみだ。

梅シロップづくりワークショップの様子

ワークショップ後には、株式会社吉田屋代表で8代目の大山壮郎さんから、この施設をオープンした経緯や、吉田屋が大切にする、地域のシビックプライドの話について伺った。

株式会社吉田屋八代目 代表 大山壮郎さん

大山壮郎さん「天保元年(1830年)創業の吉田屋は、大洗町で200年近く続く老舗の梅干し屋です。祖父の代から梅干しの味が多様化し始めて、父の代まではBtoBの事業が多かったんです。その後、全国的に梅干しの消費が減った経緯などもあり、父がまだ健在だった10年前に梅専門カフェやネットショップをオープンさせ、BtoCの事業に力を入れ始めました」

そして今年には全国初の梅体験パーク「Ume Sonare oarai」をオープンさせた大山さん。そこにはどんな想いがあったのだろうか。

「最近、日本の食卓から梅干しが消え始めているという感覚からスタートしています。でもこのUme Sonare oaraiで梅酒や梅シロップづくりを体験した人は、帰宅後も持ち帰った瓶と共に、その頭の片隅に数週間は梅のことが残るはず。そういう形で皆さんの生活の一部に梅を残していきたいと思っています」

そして元教員というキャリアを持つ大山さんは「シビックプライド事業」という言葉を掲げ、これから茨城県の小中学生の教育にも関わろうとしている。

「今年の12月から教育事業に参入する予定なのですが、茨城産の梅や素材を使いながら、地元の小中学生に梅シロップづくりを体験してもらうことで、県の木である梅に対する愛着を芽生えさせるきっかけをつくりたい。将来的にはUme Sonare oarai併設の梅林で梅収穫や梅の天日干しを体験できるようにもする予定です」

「Ume Sonare oarai」での梅干しの天日干しの様子

約200年近くもの長い間、大洗町で梅干しの事業を続けてきた株式会社吉田屋。その事業を日々続けてきたマインドはいったいどんなものだったのだろう。

「実は家に代々伝わっている『たんと売れても売れない日でも、同じ機嫌の風車』という言葉があります。元は江戸末期の都々逸(どどいつ)の言葉なのですが、日々の出来事に一喜一憂せず、日々の仕事を淡々とこなすことが大事、というような意味だそうです」

200年続く老舗の八代目が語る、事業を持続させるための鍵。そして地域のシビックプライドを育てる事業。まさに地域のプレイヤーから、サステナブルな事業運営の秘訣を少しだけ垣間見ることができた気がした。

大洗町の海辺で営みを続ける伝統旅館「里海邸」の想い

いよいよツアーで巡る事業者もこれで最後。このまち巡りの最後を締め括るのは、明治創業の「金波楼」として、長年大洗で営みを続けてきた伝統旅館が前身の「里海邸」。

里海邸外観

12年前に海辺の別荘をテーマにした小宿に方向転換し、海自然と共生しながら、最適な安らぎを提供する絶景と保養の宿だ。今回は代表の石井盛志さんに「ありのままの自分とサステナブル」というテーマで話を伺った。

里海邸代表 石井盛志さん

石井盛志さん「『海水浴』と言うと今はレジャーのイメージですが、明治時代以前の海水浴は、保養、予防医学の観点で考えた『潮湯治(しおとうじ)』がその始まり。最初大磯あたりから始まった文化が大洗にも広がり、旅館が増え始めました。その後高度成長期は、旅館に団体がバスで乗り付けて100畳の部屋で宴会をする時代もありました。前身の「金波楼」の時代は大型観光にも対応していましたが、1990年以降にはそういった需要は一切無くなりました。

その後12年前に小規模な宿に戻すだけでなく、都会から来る方が、自然のそばの別荘で過ごすような時間を得られる場所にリブランディングしました。その時に昔の『金波楼』の屋号の使用をやめ、新たに『里海邸』としました」

伝統ある旅館の屋号を変えての新しいスタート。その新たなコンセプトとはどんなものだったのだろう。

「アン・モロウ・リンドバーグさんという米国人女性が書いた『海からの贈り物』というエッセイがあります。大西洋横断飛行で有名なチャールズ・リンドバーグの妻である彼女がめまぐるしい日常から離れてフロリダの離島で1週間過ごす話なんですが、それを読んだときに、その小説にでてくる浜辺のような環境がここにあったら、と思いました。実は里海邸の設計の中で大事にしたのが『女性の1人旅』だったんです」

里海邸からは大洗の海岸が一望できる

豪華な舟盛りや、常に中居さんが甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる隙のない「おもてなし」が主流の日本の旅館のサービス。一方、里海邸の室内や料理、サービスはシンプルかつ落ち着いていて、引き算の美学を感じる。そんな運営の裏側にある、石井さんの想いとは。

里海邸の館内には案内表記や無駄な装飾が一切ない

「今の時代は、情報が多すぎる社会。めまぐるしい速度の変化の中で、大量の情報を取捨選択しなければならない。誰もが発信できる時代なので、皆がマーケティングだ、ブランディングだと忙しい。つまり、私たちはたくさんの虚構を見せられているわけです。

その中で里海邸は真逆のことをやろうとしている。隠れ家的なしつらえの玄関に加え、館内の表示は極力少なく、接客も最小限。ディナーにもアワビや伊勢海老は出さず、シンプルな料理法で地元の旬な食材を楽しんでもらう。退屈になるほどに自由な時間の中、自然に囲まれてゆったりと過ごす。ここ里海邸では『自然を通じて自分の心の内側と向き合う時間をつくる』ということを大切にしています」

そんな里海邸の方針もあってか、泊まったゲストはちょっとした「ウラシマ効果」を感じると評判だ。ずいぶんと長く滞在したような気がするのに、帰る時にはあっという間に感じ「またあの社会に戻るのか….」というような顔をして帰る方が多いそうだ。

館内の至る所にゲストが自由に読める本が設置されている

「『何かをしなければ』というのを一旦やめて、自分の純粋な関心の方向に目を向ける。疲れている人は、疲れてることすらわからなくなっている。そういう意味では、訪れた人を社会から一時的に切り離しているのかもしれません」

今の時代、社会の喧騒から距離をおいて静かに自分と向き合いたい。そういった需要にこたえる「癒し」「マインドフルネス」「リトリート」などと呼ばれる類の旅には近年根強い需要がある。社会の大きな潮流とは真逆をいくスタイルで運営を続けている里海邸は、これからもこの大洗の波打ち際まで約30メートルの場所で、俗世から切り離された癒しを求める宿泊客を、そっと迎え入れ続けるのだろう。

1泊2日のまち巡りで参加者たちが感じたこと

歴史ある海辺の町を巡る1泊2日の旅の中で、町に根付く地域の7事業者とリアルな対話を続けた結果、6名の参加者たちは何を想い、何を持ち帰ったのだろうか?

全ての行程が終わった後、あらためてこのまち巡りをスタートした場所「うみまちテラス」に再集合。今回のまち巡りの中で耳にして印象的だったキーワードや、このまちで見つけた自分なりのサステナブルを言葉にしてふせんの上に書き出し、お互いにシェアをする作業を行った。

2日間のまち巡りの振り返りをする参加者たち

それぞれが今日得た言葉や考えを言葉にしてシェアしあうことで、他の人との気づきの違いを感じたり、もしくは共感したり。そんな作業を進めていく今回のワーケーション参加者たち。以下にその時に出た意見を無作為に順不同で挙げてみる。

「大洗では、自然がすぐ近くにあるという環境がまちの人に影響しているのでは?」

「事業が100年、200年続いている、そのこと自体がまさにサステナブル」

「その場所の歴史を知ることが大事」

「地域に残されたものをバトンのようにつないでいる」

「まちへの想いやシビックプライドを感じた」

「町の外に一度出て、その町を客観的にみることも必要」

「『サステナブル』は義務感にとらわれて始めるものではない気がした」

「世の中の流れに囚われず、自分の内側を見つめることが大事」

これらの感想はただの知識とは違い、大洗町をフィールドワークしながらそこに根付いて生活している人々の口から直接聞いたという事実に得難い価値がある。そんな宝物のような気づきの数々を、参加者それぞれがシェアをして一つ一つを胸の中に仕舞い込み、それぞれが帰路についたこの日。

今回、観光地として長い歴史のある大洗町という場所で、「よそ者」「地域住民」「関係人口」という属性が違う人々が混じり合いながら、一緒に1泊2日の時間を過ごした。その様子は、大洗を訪れた時に神磯の鳥居前の海辺でみた光景、大洗の砂浜に打ち寄せられた、大きさや色もバラバラの石たちが、大きな波に洗われてぶつかりながら混じり合う様子と、見事に重なる。

形も素材も違う礫や漂流物が、波に揉まれて混じり合い、その形を変えながら、またばらばらとどこかに流されていく。そう考えると、今回の参加者や関わってくれた人々が、今回の大洗での経験を通してどのように変化していくのかがとても楽しみでならない。

【参照ページ】大洗クエスト
【参照ページ】古川酒造店
【参照ページ】株式会社吉田屋
【参照ページ】里海邸
【関連記事】茨城県大洗町を巡ってみつけた「わたしの」サステナブル 〜「大洗うみまちワーケーション」体験レポート前編〜

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いしづか かずと

Livhubの編集・ライティング・企画を担当。訪れた場所の風景と自分自身の両方を豊かにする旅を探している。神奈川と長野をいったりきたりしながら二拠点生活中。GSTC Sustainable Tourism Training Program修了。環境再生医初級。