パシャっと写真を撮る代わりに、絵を描いてみるのはどう?

drawing at a cafe

よく晴れた空、風に揺れる草木、オシャレなカフェ。

私たちは日々、スマホで写真を撮る。

そのうちのいくつかは加工されてInstagramにアップされ、自分という存在を飾る。あまり上手く撮れなかったものはスマホのなかでただただ眠る。

Instagramのストーリーズに上げることを前提に写真を撮ることが増えたせいか、世界を縦長に視覚することが多くなったように感じる。本当はもっと広いはずの世界を、随分と狭く捉えてしまっているようだ。

そんな危機感のような、つまらなさのようなものを感じて、ある日のカフェでの滞在時に、写真を撮る代わりに絵を描いてみることにした。

大きな窓が目の前に広がるカフェの2階席。オーダーしたホットコーヒーとスコーンが運ばれてきた。思わずいつもの癖でカメラアプリを起動してスマホを構えてしまい、「おっと違った」と慌てて閉じて脇に置き、ノートを広げて目の前をただ眺める。

4月初旬ではあったがその日の空気は冷たく、ホットコーヒーからは湯気がふわふわとのぼり不規則に動く。その動きから目が離せなくなるほどに、湯気という存在が好きであることを思い出す。

店内はお菓子が焼けるときの幸せな香りで満たされている。シャカシャカとボウルに泡立て器が当たる音もする。スコーンの乗ったお皿には、スカートをひらひらと風になびかせた、ギターをもったキリギリスが、一軒の家の前に立っている様子が描かれていた。

ふと一階から英語が聞こえた。少しぶすっと怒ったような顔をしたおばあさんが席に腰掛ける。家族と一緒に来ていたようだが、「Oh,really?」などとたまに相槌を打つくらいで、あまり話さずにただただ座っている。

彼女の元に、オーダーした飲み物とケーキが運ばれてきて少しした後、「Sing a song, side by side~」と口ずさむ声が聞こえてきた。目をやると、店内で流れる音楽に合わせて少しだけご機嫌な顔を浮かべながらおばあさんが歌っていた。「どんなときに出合った曲なのだろう」などと想像しながら歌声に耳をぼーっと傾けていた。

10:00から10:30までの30分間、その空間に佇みながら、見聞きしたことや感じたことを絵にしていった。

2024年4月3日10:00から10:30までに描いた絵

写真を撮るのにかかる時間は1秒程度。

1秒と30分。スマホをすぐに構える自分が見逃していたものの多さに驚かされた。また、自分が残したいと思うものは、決して縦長の小さな画面に視覚的に収まるようなものではないということにも改めて気付いた。

音、香り、表情、空間の心地よさ。そうした視覚だけでは捉えられないその時に感じた魅力を、絵を描くときはより強く、なんとか捕まえたいと思う自分がいた。カメラがない頃の画家は今の自分の何百倍も強く、全身を開いて、その場を捉えようとしていたのだろうな。

絵を描き終える頃には、歌を口ずさんでいたおばあさんは店を後にしていて、店にはまた別の空気が漂っていた。場は刻一刻と変化する。同じように見える景色も、誰がそこにいるか、どんな曲が流れているか、どんな香りがするかなどで全く違うものに変化する。そうしたことに気づけたのもまた一つ収穫だった。

時間に余裕のあるお休みの日。いつもの場所で、もしくは新しく訪れた場所で、写真をとらずに絵を描いてみるのはどうですか?

きっと新しい世界が見えてくるはず。

【関連記事】「夜」という非日常への旅
【関連記事】あるくあるく、つながらないで、ただ歩く
【関連記事】美術館のセット券が広げる “わたしの世界”

The following two tabs change content below.

飯塚彩子

“いつも”の場所にずっといると“いつも”の大切さを時に忘れてしまう。25年間住み慣れた東京を離れ、シンガポール、インドネシア、中国に住み訪れたことで、住・旅・働・学・遊などで自分の居場所をずらすことの力を知ったLivhub編集部メンバー。企画・編集・執筆などを担当。