ここは、千葉県いすみ市。春には満開の菜の花と桜が咲き誇り、黄とピンクの花畑が線路に広がるいすみ鉄道のとある駅前で、私はある人と待ち合わせをしていた。
写真提供:いすみ鉄道
いすみ市内のカフェで働いている筆者が、常連客であるアラジンさんと初めて会ったのは数か月前のこと。長い木の棒を杖代わりにつき、まるで“仙人”のような風貌で現れたのには少々驚いたが、はにかんだ時に見せる子どもみたいな笑顔がチャーミングで、話してみると面白い人だった。
「今日はこのあたりでブドウの実をたくさんとったから、ぶどうジュースをつくったんだよ」と少年のように嬉しそうにしながら、できたてのぶどうジュースをくれた日もあった。
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出身は山形県。新潟県との境にある標高1870メートルの大朝日岳のふもとで生まれ育ったアラジンさんは、幼少期から自給自足の暮らしを送ってきた。山奥の集落で育った母親と一緒に、山へ山菜やきのこ取りに出かけたり、木の枝で銛(もり)をつくって川魚を釣ったり。家では味噌やお米もつくっていたので、自給率は調味料以外ほぼ100%。
「小学校に入る前から、母親にくっついていって作業していました。時々頼まれて一人で栗拾いに行ったり水を汲んできたり。楽しくてしょうがなかったですね。色々採って家に戻ると褒めてもらえるし、何よりそれが生活の糧になるんだから。そのときに植物の種類もかなり覚えちゃいました」
夏は川に潜り、冬は雪かきをした雪で家の屋根からそり滑り。雄大な自然のなか、自然の恵みを糧にしながらアラジンさんは山や植物の知識をつけていった。縄文文化やアイヌ文化に興味を持ち、千葉県いすみ市に住む今でも、時折外を歩きまわっては食べられるものを採集している。
そんな生活に興味を持った筆者は、今回「山歩きツアー」をしてほしいと懇願。アラジンさんの導きのもと山を歩く機会を得た。
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集合は午前11時。目指すは、待ち合わせ場所の大原駅から歩いていける「最上山」という小さな山だ。標高はたった89メートル。山頂までの道のりをガイドしてもらいながら、ゆっくりと散策するのが今回の行程だ。
まだ1月なのに、ポカポカとした暖かい光を背中に感じる気持ちの良い日だった。歩き始めてまもなく、住宅街を抜けて木々が生い茂る坂道をゆっくりと登っていると、アラジンさんが立ち止まり、葉が落ちて裸状態になった木を指す。
アラジンさん「これ、何だかわかりますか?」
筆者「んん…わかりません…」
アラジンさん「これは、テイカカズラという木です。こっちのイチゴの実みたいなのがついているのはコウゾ。和紙の原料に使われている植物ですね。あっちに生えているのは、ハゼ。漆科で蝋の原料になりますよ」
ハゼの木
冬なので葉をすべて落としてしまった木々たち。筆者の目にはどれも似通って映るが、幼いころからさまざまな植物を目にし、頭のなかに図鑑の情報がインプットされているアラジンさんは、それが何の木だかすぐに見分けられる。
歩き続けていると、小川が見えてきた。川の中から何かを見つけたアラジンさんが掌をぱっと開く。そこにいたのは、ホウネンエビという小さな小さなエビだった。
それから「前にはもっとたくさんあったのに」と言いながら指さした先にあったのは、小さなシジミ。「たくさん取れればシジミ汁にできるよ」と嬉しそう。
冬とはまったく思えない、晴れた春のような暖かい日。道の脇にはノビルやカラスノエンドウが顔を出し、淡いピンク色をした梅の花も咲き始めていた。
ようやく最上山のふもとに辿り着くと、アラジンさんが持ってきてくれたおにぎりを食べて登山開始。富士山のおよそ42分の1ほどのちっぽけな山だが、入口はキョンという外来種の鹿やイノシシが行き交う、ひっそりとした場所にある。そこからスタートし、足元も葉っぱだらけの急な上り坂がルートだ。
70代とは思えないスピードでずんずんと前を進みながら、アラジンさんは度々立ち止まり、周囲にある植物について教えてくれる。新芽を天ぷらにしたら美味しい大きな葉や火おこしに適している木、樹液が糊の代わりになる木……。山の中には、ごはんのおかずから日常で役立つ植物まで、生活を豊かにするたくさんの魅力が詰まっている。
生まれ育った山形を出て都内に移り住んでからは、山岳会に入りさまざまな山を登った。千葉に移り住んだ今も、普段は近所の籔林で遊んだり山登りをしたり、拾ってきた木でモノづくりをしたり。週末は、近くで開催されるマルシェで、自身で制作した木の道具を売ったり、火起こし体験を提供したりすることもあるという。
そんなアラジンさんは、「できるだけシンプルに生きたい」と、車も携帯電話も持たない暮らしを送っている。なぜ、持たないのだろうか?不便ではないのだろうか?ずっと気になっていたことを山を登り終えてから尋ねてみた。
「私は生まれてからずっと、携帯電話も車を所有したことがありません。それを不便だとは感じませんでした。でも、最近はとても生きづらいです。駅の改札もスーパーのレジも、何もかもデジタル化してしまい、追いついていけない。そして、追いついていけない人たちが悪いという空気を感じるんです。携帯電話もみんな持っているから持てばいいのにと言う人がほとんど」
そんな生きづらさを感じながらも、携帯電話や車を持たない理由をアラジンさんはこう続けた。
「便利なものは、一度手にしてしまうと抜けられない怖さがあると思っています。携帯電話も車も、あれば使いますよね。持っているのに使わないことはほとんどないと思います。人間は楽な方へ、楽な方へといく生き物だからね。でも、そうしたらキリがなくなっちゃうし、一度味を知ったら元の生活に戻れなくなっちゃう」
「今はものが溢れすぎて、欲しいと思ったらみんなお金で手に入るようになっている。壊れたら自分で工夫して直すのではなく、新しく買う人の方が多いかもしれません。みんな頭を使わなくなっています。AIが広がったら、本当に俺たちの頭は必要なくなっちゃう。そうしたことにもう少し危機感を持った方がいいと思うのですが、現実は逆に全部デジタル化しようとしている。私から見たらそれは怖いし、生きにくいと感じるんです」
小さな植物から大きな動物まで、あらゆる命と正面から向き合っている。「自然とともに」というよりも「自然の一部として」生きている──アラジンさんにはそんな言葉がふさわしいような気がした。それは、アラジンさんが自然と近い距離で生き、自然から命をいただいてきたからだろうか。
だけど、私たちだってみな、毎日自然の多くの命をもらって呼吸をしている。
幼い頃に近くの川に水を汲みにいったときのこと、一人で伊豆半島を歩いて一周したときのこと、5日かけて大きな山を越えたときのこと、まるで一軒家のような立派なかまくらをつくったときのこと──そんな思い出を語ってくれたアラジンさんは、最後にこうつぶやいた。
「振り返れば、楽しかったことばかり。いい人生でしたね」
わからないことがあれば、すぐに調べられる現代。アラジンさんが山や川に入り、お母さんの手伝いをしながら得てきた知識は、今やボタン一つで誰だって手に入れることができる。スーパーではレジに並ばなくてもモノを買えるし、ファミレスではロボットが料理を運んでくる。技術の発展によって生まれた数々の文明の利器は、たしかに私たちの生活を効率的で「便利」にしただろう。
だが、果たしてそれらは、私たちの人生を「豊か」にしているのだろうか。
もしも、今すべての電子機器が突然使えなくなったら……?私たちの生活に欠かせなくなった携帯電話も電気も、すべて使えなくなってしまう。しかし、モノがなくなることはあっても、人の頭や心の中にあるものは、誰にも奪えない。現実世界ではなく、画面上の世界で多くの時間を過ごすようになった私たちに、アラジンさんの生き方は「豊かさとは何か」という大きな問いを投げかけているような気がした。
そんなことをぼんやりと考える私の目の前で、アラジンさんは楽しかった思い出を振り返り、ニコニコと笑っている。
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伊藤智子
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