2022年、世界中で巻き起こった新型コロナウイルスのパンデミック。目に見えない未知のウイルスが、人々を恐怖と不安に陥らせた。そんなときに生まれたのが、「いのちをつなぐ学校」。感染症から命を守る知恵から、生命科学の歴史や最先端の話題まで、「衛生」「環境」「健康」をテーマに、私たちのいのちを未来につなぐための学びの場だ。
「時代によって変わり続ける社会のなかで、“正しい情報”を知ってもらいたい。次に未知のウイルスが現れたときに右往左往しないように、自分で判断できる正しい知識を身に着けてもらいたいと思いました」
そう語るのは、いのちをつなぐ学校を企画したサラヤ株式会社の代島裕世(だいしま・ひろつぐ)さん。創業時、感染症予防のためのモノづくりの会社だったサラヤは、コトづくりを経て、現在「ヒトづくり」を大事にしながら事業を行っている。
そんなサラヤと共にいのちをつなぐ学校をつくってきたのが、同じく、ヒトづくりにかかわる人々である。東京都中野区にある新渡戸文化中学校・高等学校の副校長である山藤旅聞(さんとう・りょぶん)さん、環境問題や社会問題への無関心を好奇心に変えるべく活動する一般社団法人Think the Earthの上田壮一(うえだ・そういち)さんだ。
第一弾から続いてきた、ボルネオツアー現地レポート最終回となる本記事のテーマは、「旅と学び」。ボルネオでの旅路、代島さん、山藤さん、上田さんに行ったインタビューでは、教育に携わる3人が感じる「学び」についてお話を伺った。
ボルネオ島で、子どもたちも大人も共に、感覚を研ぎ澄まし、さまざまなことを知り、感じ、自分のモノにしていった。その学びは、一体どこに向かっていくのだろうか──。多様な立場から「ヒトづくり」にかかわる人たちの言葉が、「未来につながる教育」とは何かを考えるきっかけになれば幸いだ。
日常の当たり前の外に出られる「旅」が自分のあり方を変える
「これまで当たり前だと思っていたことが、当たり前でないことに気づかされました」
日本とはかけ離れたボルネオの植物を見て、ツアーに参加した高校2年生の土田澄風(つちだ・あおせ)さんは言った。「そんなふうに日常の当たり前から一歩外に出られるもの、それが『旅』ではないだろうか」と話すのは、いのちをつなぐ学校、そして新渡戸文化中学校・高等学校で副校長を務める山藤旅聞先生だ。
生物科の教員として、長年教鞭をとってきた山藤先生は、過去に都立の指導困難校で教えていた。受験なんて関係ない、実験はやらなくていい──そう言われていた学校で、ある日実験の授業をやってみたことが、山藤先生と子どもたちを大きく変えた。
山藤先生「授業で実験をやってみたとき、生徒たちはみんなキラキラしていて、本当に楽しそうだったんです。その姿を見て、それから1年間は実験だけをすることにしました。大学に問い合わせて色々と教えてもらい、3年ほどかけて、すべての分野の実験をできるようにしたんです。
なかでも、生態系分野はフィールドに行かないとわからない世界なので、詳しい先生について山や川などへ行くようになりました。そうしているうちに、自分自身が本当に楽しいと感じるようになり、あるとき生徒たちにも『一緒に行ってみる?』と聞いてみたんです。それからは、希望する生徒たちも一緒に自然のなかへ入るようになりました」
子どもたちと一緒に実験をし、フィールドワークに出かけ、旅をする。机上では得られない、五感をフル回転させた学びの機会をつくってきた山藤先生は、2022年に一般社団法人「旅する学校」を立ち上げた。きっかけは、「修学旅行のあり方を変えたい」という想い。未来につながる体験を大事にする山藤先生は、すべての世代を対象に、校舎というハードの形にとらわれない、地域全体を学校とした学びの場をつくってきた。
山藤先生「地域、日本、世界的な視点や問題意識を持ちながらも、ローカルな場を拠点に、具体的に行動できる人を育みたいと思って取り組み始めました。特に、旅という体験は、日常の当たり前から外に出て、自分のあり方を問い続けることにも繋がるのではないかと感じているんです」
「0.1歩」だっていい。誰かの顔を浮かべて小さなアクションをすること
旅が始まる前から、どれほど小さくてもいいから「アクションに繋げる」ことを意識していた山藤先生。色々なことを知り、喜怒哀楽さまざまな感情が湧きあがった子どもたちが、これから行動に移していけるよう、旅が終わってからも伴走していくという。
山藤先生「旅はスタート地点。知って終わりにならないように、どんな小さなことでもアクションとして吐き出すこと、アウトプットすることを大事にしてほしいと思っています。ただ、今回はボルネオへのツアーでしたが、アクションを起こす場所や対象は、必ずしもボルネオでなくても良いと思っているんです。
今後、どれくらいボルネオとかかわっていくかは一人ひとり違うと思いますし、実際に行くには距離がある場所です。でも、自分の住んでいる地域や日本でも活動することはできる。たとえば、今ボルネオで起こっている若者の都市への流入や文化がなくなっている状況などは、日本の地方でも起きていること。だから、自然が残る日本の里山に行き、そこの暮らしを知ることも大きな行動の一つだと思います。
そうした先のアクションを見据え、今回の旅では、『6人の興味関心はどこにあるのか』それぞれのなかに眠っている想いを引き出せると良いなと思っていました。日本に戻ってきてからも0.1歩でいいから、アクションすることについて、有言実行状態が続いているようにしたいと思っています。その先で、またボルネオと繋がることもきっとあるはずです」
旅が終わってからが、はじまり。そう話す山藤先生は、アクションを起こすにあたってのカギとなるであろう「表情」についてこう続けた。
山藤先生「かつて教師として訪れたブータン王国で、子どもたちから教わったことがあります。ブータンでは、子どもたちから美しさや驚愕といった感情から、『利他』に入る瞬間を垣間見たんです。『あの子のために何かしたい』『国のため、家族のために勉強する』という子が多くいました。
そのときに気付いたのが、誰かの表情を思い浮かべられると、活動の解像度が上がること。たとえば、ボルネオで出会ったガイドさんを笑顔にしたいとか、ゾウの保護施設の人のために寄付しようとか。そういう表情が見えてくる感覚は、アクションのきっかけとして重要だと思ったんです。誰かに『また来るね』と約束すること、それを守ること。それが、アクションに繋がる大きなきっかけになるのかもしれません」
「本当の学び」とは、いつまでも心に残るもの
教育者として「学び」について考え、向き合い続ける山藤先生。最後に、最近出会った「ある言葉」を教えてくれた。
山藤先生「教育や学校って何だろう?と考えていたとき、アインシュタインの『学校を出た後に残り続けるものが教育』という言葉に出会いました。それで、かつての教え子たちに、今でも記憶に残っているものは何かと訊いてみたんです。すると、教科書に載っている遺伝子の仕組みなど、知識的なことは誰も覚えていませんでした。
代わりに、彼ら彼女らの記憶に残っていたのは、実験の時間や、毎月授業で行っていた海での実習、そしてボルネオのことなど。今は、家族を持った教え子たちは、『子どもにも海での実習をさせたい』『今度家族でボルネオに行きたい』と言ってくれました。なので、もし今回のツアーに参加した子どもたちの心のなかに、ボルネオのことが残っていたら、それが『教育』なのだと思うんです」
子どもたちの「行動変容」につながる旅を
今回のボルネオツアーでは、ゾウやオランウータン、ヤシ油のプランテーションなど、生物多様性や熱帯雨林の破壊の現状を目の当たりにした。そうしたさまざまな課題に触れた子どもたちが旅を通してどう変わっていくか、行動変容を期待しながら見ていた──山藤先生同様、アクションに繋がることを目指してこのツアーを企画していたのが、サラヤの代島さんだ。
感染症予防の会社として誕生しながら、今回の「いのちをつなぐ学校」を企画をするなど、近年、ヒトづくりに価値を置きながら事業を行うサラヤ。その背景にはどのような想いがあるのか。
代島さん「きっかけは、サラヤの原点である『手洗い』です。新型インフルエンザのパンデミック後の2010年、社長がアフリカのウガンダを訪れました。目的は、現地の子どもたちに手洗いを習慣にしてもらうこと。しかし、石鹸や消毒液を置いているだけでは、子どもたちは使いません。行動変容を促すためには、『教育』しかない。現地で貧困の子どもたちを目の当たりにして、初めてそのことに気付いたんです」
ウガンダで教育の大切さに気付き、行動変容に繋がる学びを模索してきた。そんなサラヤが企画した「いのちをつなぐ学校 ボルネオツアー」。実際に目で見て耳で聴いて、触れて味わって……ボルネオの空気を身体で感じる旅を通して子どもたちに伝えたかったことは、何だったのだろうか。
代島さん「サラヤにできることは何だろう?と考えたとき、感染症予防をやっている自分たちだからこそ、伝えられることがあると思いました。いのちをつなぐ、ということは、目に見える大きな生き物から目に見えない世界まで、全体が調和されないといけないということ。時には病原菌が出現することがあるけれども、すべてが調和されていなければならないのです」
地上で一番大きな生物であるゾウから目に見えない小さな菌まで、生態系はすべて繋がっていて、それを支えている大きなエコシステムがある。長年、ウイルスや細菌などの感染症予防を柱に事業を行いながら、ボルネオゾウやオランウータンの保護に携わってきた、まさに極小から極大まで、あらゆる生命と向き合ってきたサラヤだからこそ気付けたことに違いない。
そうした想いとともに、子どもたちの変化をどこかで期待しながらも、代島さんはこう言葉を綴った。
代島さん「ボルネオでの経験を経て、何か変化が生まれていたら嬉しいですが、すぐに変わらなくても、少なくとも記憶に強く残ったり、生涯にわたって覚えていたりすることがあればいいなと思っています。だからこそ、ツアーが終わったあとも、子どもたちのその後を見守り続けていきたいですし、これから職業を考えていく中高生の今後が楽しみですね。どんな職業になってもいい。でもおそらく、何らかの形で今回の経験が刺さっていると思うので、それをいつか垣間見ることができればいいですね」
自分について知る。旅が「教育」にもたらすもの
山藤先生や代島さんとともに今回のツアーを企画し、旅中は子どもたちの“見守り役”として、学びをサポートしてきた一般社団法人Think the Earth。設立当初から「ヒトづくり」を活動の軸としてきた彼らは、旅と学びについてどのように考えているのだろうか。理事でありThink the Earthの立ち上げ人である上田壮一さんはこう語る。
上田さん「僕は旅が大好きで、旅からしか学んでいないといっても過言ではないかもしれません。本も好きですが、その両方が大切だなと。たとえば、僕は沖縄に旅に行くときには沖縄のエッセイを持って行きます。東京で読むよりも沖縄で読んだ方がずっとリアルに感じられるからです。それでも、実際に海岸を歩いて見る景色、感じる空気、出会う人との時間は、その地・瞬間以外では得られないものです。知識や二次情報から想像が広がることもとても楽しいのですが、実際に自分の足で現地に行ったときに得るものは、その何十倍もあると思います」
そんな自分なりの旅の仕方や旅への想いから、「旅は学びの場」だと話す上田さんは、こう続ける。
上田さん「今の学校教育では、『大人がインプットする側で、子どもはインプットされる側』となってしまいがちです。しかし、実際に子どもと大人が一緒にどこかへ行くと、子どもの方がビビッドに反応したり、ある問いに対して面白い解決策を出したりすることがあります。実際に、今回訪れたボルネオ島でも、『子どもの方がすごい!』という状況が何度もありました」
上田さん「教室のなかだと、先生の授業デザインの中で色々起こっていくけれど、生徒も先生もフラットな立場で、予想不可能な状況が生まれる面白さが現場にはある。それぞれの年代で、違った問題意識を持って生きていると思っています。
また、どこか遠くに旅することで、日本という国を見直せるというのも一つ旅の良さだと考えているんです。たとえば、ボルネオでは、日本がパーム油の問題に加担していたこと、それを知らずに生きていたことがわかりました。もちろん、日本の良さもそうですし、少し離れてみることで、自分の国や自分自身に光を当てられるのも旅の面白さだと感じています。現地について学ぶこともありながら、自分たちのことを知り、学ぶことができる。それが大事なポイントではないかと思うのです」
「在日地球人」として、グローバルを考え、ローカルで行動していく
2001年に立ち上がって以来、「地球のことを想う人」を増やすべく、書籍や映像制作、出張授業、ワークショップ・講演など、教育活動に力を入れてきたThink the Earth。そのモットーは、「地球人としての感性や地球の大切さを次の世代に伝えること」。この「地球人としての感性」とは一体どういうものなのか、上田さんに尋ねてみた。
上田さん「第二次世界大戦くらいまでは、人間は地球儀の中の領地を取り合ってきました。しかし、1961年に旧ソ連の宇宙飛行士、ユーリ・ガガーリンが肉眼で青い地球を確認し、1968年には世界中の人が、宇宙からのカラー写真を目にすることになりました。つまり、それ以降の今を生きている私たちは、みんな『青く美しい地球の姿』を知っているのです。
そうして宇宙から地球を見られるようになり、俯瞰的な視点で物事を捉えられるようになったことで、SDGsやサステナビリティという概念に対しリアリティをもって、みんなで考えられるようになったのかもしれません。そういう歴史的なことも含めて、『地球人的なものの考え方や見方』が生まれてきていると思うんです」
通信や衛星技術が、人間の感性や視点を変え、人と人、国と国が、協力しながら地球規模の問題に対して取り組めるようになった。それは、この時代を生きる私たちが偶然得られた「素敵で面白い感性」ではないかと上田さんは言う。
上田さん「昔から、think global(地球規模の視点で考えて)やact local(地域で行動する)という言葉はありましたが、それが単なるスローガンとしてではなく、実際にそのように生きられる時代になってきたと思っていて。それを我々なりに広げていきたいと考えています。
屋久島に住んでいる作家の星川淳さんが、ご自身のことを『在日地球人』とおっしゃっていて、僕も同じ感覚を持っているんです。地球人なんだけど、日本に住んでいる。在東京、在大阪、在札幌……今いるここも大事だけど、地球人として地球を大切に想う。ふわふわ宇宙空間に浮いている地球人じゃなくて、地に足がついた地球人というイメージです」
私たちの未来のタネになる「旅」
地球が青いと知ることができたように、科学技術の発展によって、私たちは簡単に遠くへ旅することができるようになった。それは、新たな世界への扉を開くことであり、普段より大きな視点で、自分や世界を見つめるための入口でもある。
上田さんはこう言っていた。
「旅に出て、そのすぐ後に何かが起きなくても、いつか、人生のどこかのタイミングで思い出し、何かに繋がればいいと思っています。自分自身もアフリカへ旅した5・6年後に、ふとそのときの経験を基にしたアイデアが湧いてきました。タイミングも人それぞれ。30年後でも、究極を言えば死ぬ間際でも、その時の体験によって何かが生まれたらそれは素晴らしいことだと思うんです」
旅に出たからといってすぐに何かに繋がるわけではない。だけど、机の上で教科書とにらめっこしながら得る知識よりも、心と身体で感じる旅という体験は、その人の心の中に深く、長く残り続けるだろう。そして、じっくりと熟成されていき、いつか何かが花開く種になるのかもしれない。
小さな微生物も木もゴキブリもサルも人間も、同じ地球に生きる、言わば「地球種」だ──そう教えてくれたボルネオ島での旅は、私たちに道しるべをくれた。
旅に出る。美しいものに出会う。そこで湧き出る感情や見えてくる視点は、きっと、すべてのいのちが調和する世界に繋がっていく。そう確信している。
※本記事は、ハーチ株式会社が運営する「IDEAS FOR GOOD」からの転載記事となります。
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【参照サイト】いのちをつなぐ学校
【参照サイト】一般社団法人Think the Earth
伊藤智子
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