タイ・チェンマイの中心地、旧市街やニマンヘミンから車で30~40分ほどかけてたどり着くビストロ「Saiun Bistro Sake & Wine」。観光スポットとして訪れるには少し遠いものの、チェンマイらしい風景と一歩進んだ循環型のライフスタイルを、肌で感じることのできる貴重なスポットだ。
今回は現地を訪れ、オーナーの若山 修(わかやま おさむ)さんに、農園とビストロオープンまでの経緯から循環型の運営について、さまざまな話を伺った。
日本人運営のビストロと農園
2023年3月にオープンした、日本人オーナーが運営する「Saiun Bistro Sake & Wine(以下Saiun)」は、「Farm to table(農家からテーブルへ)」を体現しているビストロ。自家農園とビストロが同じ敷地内にあるだけでも珍しいが、Saiunはさらに「循環型」の社会を目指して運営されている。
2ライ(約3,200平米)の自家農園で育つ野菜からとれる卵まで、すべて認証取得済みのオーガニック。後で詳しく掘り下げるが、自家農園で育てた野菜や鶏の卵は敷地内のビストロで調理して提供し、食べ残しなどはコンポストで分解し堆肥となる。飲食店であるにもかかわらず、土に還るもの、ビンやアルミなどを分別したら、回収されるごみはほとんど出ない。この結果こそ循環しているなによりの証だ。
それらの取り組みをわきへ置いても、若山さんが自ら手がけた食材をふんだんに使い、シンプルな調味料で調理された料理は、研ぎ澄まされた滋味深い美味さがある。それらを「唎酒師(ききざけし)」の資格を持つ若山さんが厳選した日本酒やワインとペアリングしていただく。そんな豊かなひとときのために訪れる価値のある一軒だ。
マーケティングリサーチャーとオーガニック農園&ビストロ運営の二足のわらじ
Saiun eco-friendly farmの一部
日本で生まれ育った若山さんが、チェンマイで循環型の農園とビストロを開くのにいたった経緯、そのきっかけについてお聞きした。
東京都渋谷区で生まれ育った若山さんは、日本で広告代理店に就職し、マーケティングの分野で会社勤めをしていた。激務ではあったものの、上司や先輩に恵まれ日々を楽しんでいたという。そんななか、突然タイ・バンコクへの出張を言い渡された若山さん。それは東南アジアには一切の知識も関心もなかった彼にとって、青天の霹靂だった。
だがここから生まれたタイとの縁が、今後の人生を大きく展開させていくことになる。
流れ着いたチェンマイの地で
最初は出張という形だったけれど、何度も通ううち、アメリカに本社を置くマーケティングコンサルティング会社のバンコク支社に就職が決まり、彼が37歳のときタイに移住。その三年後、マーケティングリサーチを専門とするShyu Company Limitedを設立した。
そんななかコロナ禍に突入。誰にとってもそうであったように、若山さんにとってもその期間は今までの働き方や生き方を見直す大きな転機となった。
働き方が変化した今こそ、ずっと関心のあった「農業と料理」をライフワークとして仕事に取り入れられないかと考え出した。そんなとき知人の知人が、チェンマイの土地を売りたがっていることを知る。その場所が、しばらく奉仕活動として通っていた団体の近くであったことも後押しとなり土地を購入。新しいプロジェクト「Saiun eco-friendly farm」と「Saiun Bistro Sake & Wine」をスタートさせた。すべてがスムーズに進む感覚があったという。
コロナ禍以降はバンコクの自身のマーケティングリサーチ会社運営の傍ら、チェンマイに住まいを移し、農園とビストロの運営も行っている。バンコクとチェンマイの二拠点で、ライフワークを活かした二足のわらじ。そう聞くと夢をすべて叶えたかのようにも聞こえるが、若山さんにとってはこれでゴールではないという。それどころか、「やりたいことが次々に見えてくるんです」と笑う。
オーガニック農園「Saiun eco-friendly farm」
2021年、「人にやさしい、地球にやさしい」というコンセプトで「Saiun eco-friendly farm」をスタートした。
オーガニックは水と土から
「オーガニックの最初の課題は水」と若山さん。「この場所の水道水はオーガニックを行ううえではだめですね。たまたまこの界隈は湧き水が出るので、5mほど掘れば水が出るんです。その湧き水と雨水を貯めて農園で使っています」。
地下水をくみ上げる装置
そして、水と同様に重要なのが健康な土壌だ。それは「本来あるべき有用微生物が豊富で、ミミズなどの生物が暮らせる土」。そのため若山さんは原点に立ち戻り、「本来あるべき姿」の土地作りを心がけている。
プラスチックなどごみもなるべく出さないように、通常は畝(うね)をビニールシートで覆って雑草や水分の乾燥を防ぐところ、紐は麻紐を使用し、ビニールシートはワラで代用。
もちろんオーガニックのため農薬や除草剤、化学肥料などは一切使えない。雨季のあいだは吸水させるため雑草を残し、畝を高くして対策を行う。また異なる植物同士が必要な栄養素をバランスよく吸収できるように、コンパニオンプランツ(※)を採用。これらは環境をうまく生かしながら、自然の営みの妨げとなるものを使わずにすむための工夫だ。
さらに、作物を美味しく収穫するため必要な堆肥はすべて手作りしている。
※種類が異なる野菜や花を一緒に植えることで、互いの性質が影響し合い、病気や害虫を抑えることができ、野菜をより健やかに育てる組み合わせとその方法
タイでよく食べられるジャックフルーツ
中央はアスパラ。本体は土壌から、つくしのように生える
サンパトーン郡で初のオーガニック卵
飼育されている現在50羽の鶏たちが産む卵も、タイのオーガニック認証を受けている。実はサンパトーン郡で初のオーガニック卵という貴重なものだ。
エサやりは朝夕の2回
鶏たちは日中、外でのびのびと走り回ることもでき、また鶏舎内でも一羽あたり一平米が充てられているためゆとりがある。毛並みがよく生き生きと見えるのは、ストレスフリーな暮らしも大きそうだ。
青々としたガーデンが気持ちいい
さらにオーガニック認証のために、自家栽培のハーブ7種を発酵させ1000倍に希釈した液、そしてオーガニックの大豆や米、とうもろこしなどで育てている。もちろんフンも肥料に回る。さらに食べ残しや調理の過程で出た食材の端なども無駄にせず肥料にし、捨てる場合もコンポストで分解される仕組みだ。コンポストはワラをベースに鶏のフンや牛のフンを肥料とし、EM菌を混ぜて発酵させている。
鶏たちがエサに夢中になっているあいだに卵を集める
「今日は多めですね」と若山さん
ちなみにSaiunのあるNam Bo Luang(ナームボールアン村)では、コンポストの活用が決まりになっている。農家が多い地域のため実現性が高いこともあるが、地域をあげて取り組んでいるのは素晴らしい。
敷地内のコンポスト。ごみは青い筒に入れ、土壌のなかで分解される
そして循環の最後、ビストロで出る残飯もコンポストで発酵させ、将来的には堆肥として使う予定だ。これがSaiunの循環のかたちなのだ。
現在卵はSaiunで使用するほか、主に信頼の置けるバンコクのレストランに卸している。
「ありがたいことに依頼が増えているので、今後さらに50羽迎えて拡大していきたい」と若山さんも嬉しそう。
元アトリエのビストロ空間
かつてタイ人のアーティストのアトリエであったという建物が、今のビストロになっている。そのためか店内の空間にはタイらしさ、というよりはどこか中世のヨーロッパのような雰囲気が漂っている。
そして室内にはアルミサッシやスチールなどは見当たらず、これも若山さんのこだわりで「なるべく木材など、自然界にあるものを使って改装した」と。その言葉通り、店内はどこを見渡しても天然素材でできているのがわかる。
マリアージュを目的に用意される料理
入店すると日本酒、シングルモルト、コニャック、スピリッツなどのボトルが壁一面に並ぶ巨大なバーが迎えてくれ、気持ちが高まる。
好みがわからないときは若山さんに質問してみて|画像提供:Saiun
Saiunで提供されるのは、日本酒やワインなど選りすぐりのアルコールと合わせて味がさらに引き立つように考案された、フレンチと和のエッセンスが融合した料理の数々。自家農園で採れた野菜をはじめ、家族で手作り豆腐を販売している「山口豆腐店」より仕入れた豆腐など、厳選した食材が使われている。
コースの前菜だけでワインが進む。右からポークリエット、鶏レバーパテ、キャロットラペ
メニューは特に決まっておらず、500~800バーツほどで予算を伝えると、6~7品をタパススタイルで用意してくれる。リクエストに関しては「日本酒かワインなど好みの酒を教えてくれると、より合う料理を提案できます」とのこと。
敷地内から循環させる、恩返しの形
若山さんが何度も口にした「恩返し」という言葉。日本でもタイでも上司や先輩含め、とにかく人によくしてもらったから、今後は自分から返していく番だと感じていると話す。「人と関わり、自分が学んできたことを伝えていくことで人の役に立てたら。それが私のやりがいでもあるんです」。
ここ数年で大きく変わった人生への価値観。バンコク時代と比べ、スローなペースへと移行したこともあり「自分を労わる、がキーワードです」と若山さん。「自分に優しくできて初めて、人や環境にも優しく接することができると思うのです。ストレスをできるだけ回避した、心と体が喜ぶ美味しい食事、これが今後のライフワークの基本です」。
洗練されたビストロのアプローチ
そうした思いや考えを自然と調和したこの場所から実践し、広めていきたいということ。ご縁のあったこの敷地内のなかだけでも、人と環境に配慮した取り組みを浸透させたいという想いで、循環型の環境作りを徹底している。「小さな範囲だけれど、コツコツと生き方や価値観に共感し合える人たちとつながっていければ」と話してくれた。
ゲストハウスに泊まり、循環型の暮らしを肌で感じて
「Saiunの敷地内にある離れを、今、ゲストハウス用に整えています」と若山さん。「ビストロでお酒も提供するし、そのまま宿泊できる部屋として離れを開放しようかと。せっかくなので、Saiunの暮らしを体験してもらいたい」と話す。
有意義な食事のひとときのあと、そのまままったりと眠りに落ちる。翌朝、窓を開けて一番に目に入る、朝日が降り注ぐ農園の様子を想像したら、とてもいいアイデアだと思わずにはいられない。
マスターとしてではない、農園の植物に水をやり鶏たちにエサをあげる生産者としての若山さんとも出会うに違いない。Saiunは、食・泊ともにサステナブルな体験が叶う旅の目的地になるだろう。
-
チェンマイの知人を通して紹介してもらったSaiunは、知る人ぞ知る隠れ家のような存在。その取り組みをひとりでも多くの人に知ってもらいたく、今回紹介させてもらった。
旅としても、従来の観光旅行とはひと味違う、地元を知り循環の一部となる貴重な体験になるはずだ。
Saiun Bistro Sake & Wine
Facebook:https://www.facebook.com/saiun2021/
【関連記事】タイ・チェンマイで、私が通う愛おしきローカルなお店たち
【関連記事】シェフが旅するレストラン「Tabi」in 富山 ── 鳥羽周作シェフ率いるHotel’sチームが“体験”から“料理”を紡ぐ
mia
最新記事 by mia (全て見る)
- 小さな村の伝統産業を守るためにつくられた、バリ島アメッドのエコホテル - 2024年2月21日
- 海ごみドレスでファッションショー。バリ島の小さな村で遭遇したエコフェスティバル - 2024年2月16日
- インドネシア・バリ島の町「チャングー」で、肌で感じたオーバーツーリズムのこと - 2024年2月5日
- 大都市からの移住夫婦がバリ島ウブドで始めた食堂が、私の居場所になるまで - 2024年1月18日
- これからにつながる輝く“なにか”をもらった。バリ島ウブドのエシカルホテル「Mana Earthly Paradise」滞在記 - 2023年12月20日