縄文人が約4000年暮らした島?宮戸島を目指して歩きに歩いた旅

宮戸島

東北地方の島にかつて縄文人が約4000年以上も生活を営み、愛した土地がある。

宮城県東松島市の「宮戸島(みやとしま)」は、縄文時代に人々が生活していた痕跡が多数発見されている希少な場所の1つ。島内の中でも特に暮らしの基盤とされていたのは「里浜(さとはま)」地域で、現在も当時の縄文人の住処(土地)をそのまま温存し、彼らが眺めていた風景や土地の形状などを体感できるようになっている。

また、島には吹き付ける潮風や波によって島の岩が荒々しく削られる「海食崖(かいしょくがい)」と呼ばれる美しい自然のアート作品も点在している。

早速、いにしえの時代に縄文人が見つめた景色と、島の大自然を体感する旅へ出発!

JR野蒜駅舎

島内は細い道や山道も多いため、車や自転車(レンタサイクル)は利用せずに「歩き旅」をすることに決定。まずは最寄駅の「JR野蒜駅(のびるえき)」を下車し、そこから島に向かって片道約6キロの道のりを、のんびりと自然散策をしながら里浜地域を目指して行く。

※宮城県外から島へ向かう際には「仙台駅(せんだいえき)」から、在来線「JR仙石線、JR仙石東北ライン」の石巻方面行きに乗車をし、約1時間で「野蒜駅(のびるえき)」到着だ。

JR野蒜駅ホームからの眺め

野蒜駅のホームからは、青く広大な太平洋の姿が眺められる。日本国内でも海が眺められる駅は限られているので、これも1つの希少ポイントだ。

野蒜海岸堤防からの眺め

前日から準備していた水分補給用のお手製ドリンク(一般的な麦茶)を飲みながら、駅から道なりに海に向かって歩き進める。約20分を経過する頃には、目の前に市内有数の海水浴場の1つ「野蒜海岸(のびるかいがん)」に到着。

野蒜海岸の左側の眺め

野蒜海岸はとにかく広い。堤防の上から左右の景色を見つめると、左側は市内を流れる一級河川「鳴瀬川」の河口側まで続いていて··

野蒜海岸の右側の眺め

右側は目指している宮戸島の入り口までずっと繋がっているのだ。この広さと開放感から思わずグーッと身体を伸ばして、全身のストレッチをしたくなってしまった。せっかくなので砂浜の方へと降りて、波打ち際を歩いて島の入口まで向かうことにした。

野蒜海岸の波打ち際

ひとり釣りを楽しむ人、友人たちとビーチヨガに集中している人、ただただ海を見つめてリラックス時間を過ごしている人。ポツリポツリと人々の姿も見受けられたけれど、海岸がとても広いので伸び伸びと過ごせるのが嬉しい。波打ち際を歩きながら時計を見るとちょうど出発から約30分を過ぎていたので、一旦座って休憩タイムをとることに。

野蒜海岸の砂浜に先客の足跡

持参したチョコレートバーでエネルギーを補いながら、砂浜を見つめるとそこには可愛らしい先客の足跡がくっきり(犬)。海に入ってさっぱりとしたのかな?と思いながら、自分も蒸し暑さで歩き疲れた足をクールダウン。

野蒜海岸の美しい海

スウッと冷たい海水が足元を伝わり、熱を放出してくれる。

砂の食感と柔らかな波が足の疲れを癒してくれているようで、感謝の気持ちを伝えたい想いが込み上げてきた。時に自然は牙を向け人間を窮地へと連れ込む場合があるが、その逆も然り、互いが上手に共存できるように寄り添うことが必要かもしれない。と、ついつい物想いに耽ってしまった。

さあ、疲れが吹き飛んだところで島へ向かって出発。野蒜海岸から歩き進め、宮戸島と本土を結ぶ橋「まつがしま橋」が見えてきた。

本土と島を繋ぐ「まつがしま橋」

短い橋なのでほとんど島と本土は繋がっているかのように見えるが、橋の下を見るとちゃんと海によって隔てられている。過去に砂の堆積などの影響で「陸続きの島」の時代もあったようだが、現代では完全な「島」として存在している。

宮戸島に残されている島の痕跡

ちょうど橋を渡り終えた辺りで、眼下には大昔周辺が海だったことが生々しく感じられる「かつての島」の姿が目に飛び込んできた。荒波によって削られた島の岩の形状は、まるでスカートのプリーツのように美しい曲線を描いていた。自然の造形美を目の前にすると、もはや言葉は不必要で見て感じるのがベストだなと改めて思う。

歩き旅に嬉しい休憩場所

橋を渡り入島してからの景色は、松や栗に杉などが豊富に生育している山々に加え、海食崖の美しい島の名残、という「山の世界に海」のような要素が共存していてユニーク。

深呼吸をすれば木々独特の爽やかで少し甘い香りが身体中に入り込み、清々しく気持ちいい!そして野蒜海岸を出発してからおおよそ40分を過ぎた頃に、歩き旅人たちには嬉しい休憩場所が見えてきたので再びひと休み。

『クゥカーッ!クゥ!』

水分補給をして足腰のストレッチをしていた最中に、なにやら背後から甲高い声が聞こえてきたので、振り返ると小さな沼の中からパシャパシャという音と、羽をバタつかせ動き回る音。

野鳥の気配

姿は現してくれなかったが、どうやら水鳥の巣が中にある様子。子どもの鳥たちが筆者を警戒していたのか、それとも挨拶をしてくれていたのか、野鳥たちとの触れ合いにフフッと嬉しさを感じた瞬間だった。

小さな秋

島に入ってからの道中には沼地を棲家にしている野鳥たちの姿に、カマキリなどの昆虫、そして道路には秋の風物詩「栗」や「どんぐり」に「とちの実」など、野生の動植物との出会いのオンパレード。

ときに、木の枝からぶら下がっている「ミノムシ」を頭に乗せてしまったり、蜘蛛の巣を頭に絡めたまま知らずに歩いてしまったりも!それもまた自然との触れ合いの醍醐味。大歓迎だ。

歩道に沿って歩いて行くと島内地域の行き先を示す看板があり、そこに目的の場所「里浜」の文字を発見。同時に看板の奥に目を向けると、縄文時代の歴史を学べる施設「奥松島縄文村歴史資料館」の入口も見え、高鳴る気持ちは『いよいよ縄文時代に近づいてきたぞ!』という状態に。早速、足早に矢印の方向に向かって進んだ。

道案内看板

前述の奥松島縄文村歴史資料館は今年(2023年)の10月30日で30周年を迎える(※1)。施設内では縄文時代の人々の暮らしや、彼らを知るヒントとなる出土品や研究結果などについて学びつつ、その他にも「火おこし体験」や「シカ角」でストラップを作ったり、珍しい「まがたま」作りなどもワークショップとして体験できる(※縄文土器作りなど季節限定のワークショップも多数有り)。大人も子ども達にとっても楽しみながら学べる施設は、とても有り難いし嬉しい!

うんせ、うんせと段々畑の坂道を登り···
途中に民家が建ち並ぶ細道を通り··
そして、ついに縄文人が生活していた場所「さとはま縄文の里 史跡公園」に到着!

縄文人が暮らした土地「さとはま縄文の里 史跡公園」に到着

看板記載のもう一つの名前「里浜貝塚」という部分からは、彼らがこの地で獲った魚や貝を食べ生きて生活していたことを強く物語っている。

縄文人が生活を営んでいた敷地

敷地内はぐるりと緩やかなカーブを描いた形状でとても広く、入口から奥を見上げると小高い丘もあるようだ。

かつて縄文人が見つめていた変わらぬ景色

そして目の前にはすぐ海があるため、漁にも出やすい環境だったことが想像できる。縄文人の歴史をありのまま伝えるため、あえて余計な手を加えず当時の形状のままというのが、貴重であり辿り着くと込み上げてくるものがあった。

海にとても近く風が気持ちいい場所

時計を見ると出発から休憩時間を除けば約1時間30分の歩き旅だったことを知り、一気に足腰に重さを感じてしまい、縄文人になったつもり地面に座り伸びをした。

こうやって縄文人も同じ景色を眺め、地面に腰をかけて誰かと会話していたのかな、と考えると、信じられない気持ちでもあり感動がジワジワと全身を巡っていく。

丘の上へ出発

そして感動冷めやらぬ中、奥に見えた小高い丘へと登ってみることに。気分は当時の縄文人となり多少の虫たちや、土汚れもなんのその!木の枝を片手に蜘蛛の巣を祓いながら、奥へと進んだ。

細い丸太の階段道

段々畑の形状をした坂道に、幅約70センチほどの木造の階段が上へと向かって伸びていて、木の下を潜り抜けながら登っていく。無数の蜘蛛たちに注意しながら、忍者のように中腰になって突き進んでいくと頂上が見えてきた。

重い足を上げながら丘の上に到着すると・・・

縄文人たちが暮らした土地を一望できる丘

そこからの眺めはさっきまで自分が座っていた場所の美しい景色が広がっていた。心地良い山の香りと共にフワリとしたやさしい風が吹き抜け、しばし無心で景色を眺めてしまった。

この小高い丘は、かつて縄文人たちが木の実を収穫して保存していた場所とされていて、現代でも周辺にはたくさんの「どんぐりの木」や「栗の木」などが生育し続けている。足元を見ると丸い木の実がたくさん落ちているのを目の当たりにし、まだまだ里浜地区には縄文人たちのカケラが隠れていそうだ、と感じた。

縄文人たちの名残を感じる木の実の数々

日本人のルーツである縄文人が生活を営んできた大切な時間は、宮城県東松島市「宮戸島」の里浜の地に生き続け、そしてこれからも訪れた人々によって歴史は未来へと繋がっていく。

写真では感じることのできない土地に根付いた歴史や、取り巻く空気感のようなものは実際に足を踏み入れてみて初めて得られるもの。宮戸島には手付かずの大自然が存在し、思った以上に人間をたくましくさせてくれる、そんな不思議な空気があるようだった。

縄文人ゆかりの地を目指し、歩いてきた片道約6キロ(往復約12キロ)のひとり歩き旅。筆者は間違いなく身体も心もたくましく成長した1人だ。

【参照サイト】奥松島縄文村歴史資料館
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Molly Chiba

日本と英国を拠点に活動中のフリーランスライター。東北地方の田園に囲まれ育ちました。東南アジア地域の国際協力活動などを転々としていく中で、言語習得のため英国に短期滞在。それをきっかけにすっかり英国の虜に。日英のSDGsに関連する執筆のほかに、国内の地域文化ニュースやサッカーコラムを書いています。