「二拠点生活には自分のルーツと向き合う幸せがあった」Steve* inc.代表太田伸志さんインタビュー

Steve*inc.

東北の澄んだ風を浴び、酒や米、教育など地元文化や伝統を継ぐ人びとと現場に立った翌日には、東京の煌びやかな夜景を眺め仕事相手と会食をしている。二拠点生活は正反対と思しき時間を共有できる。

株式会社スティーブアスタリスク(Steve* inc./以下、スティーブ社)代表の太田伸志氏は、東京と東北を行き来する生活を送っている。なぜ今のライフスタイルを選んだのか。

Steve*inc.太田氏プロフィール:太田 伸志 氏

株式会社スティーブアスタリスク 代表取締役社長CEO
https://steveinc.jp/
宮城県丸森町出身。仙台市にてシステムエンジニア、東京でアートディレクター・コピーライターとして勤務したのち、2018年、企業のCI/VI(コーポレートアイデンティティ/ビジュアルアイデンティティ)、ミッション・ビジョンの策定から、商品開発や広告ブランディング、地域などのクリエイティブディレクションを手がける株式会社スティーブアスタリスクを設立。東京・麻布十番の拠点「Steve* TOKYO OFFICE」に続き、2023年には山形市の新拠点「Steve* CREATIVE LOUNGE」を開設。自身は故郷である宮城県丸森町に移住し、現在は東北と東京を行き来する生活を送る。

24年過ごした東北を離れ東京へ

ウェブデザイナーになるため24歳で上京

宮城県丸森町で生まれ、絵を描くのが大好きな子どもだった太田氏。学生時代を地元で過ごし、アートやクリエイティブの分野に関心を寄せながらも、仙台市内の東北学院大学・経済学部に進学し、同じく仙台市内でシステムエンジニアとして就職した。

「当時はまわりにアートやクリエイティブの世界に生きている人がひとりもいませんでした。デザインやアーティストが好きだったので、システムエンジニアとして働いたお金で、趣味としてデザイナーの佐野研二郎さんや佐藤可士和さん、CMプランナーだった佐藤雅彦さんらの作品が載った本を集めるなどしていました」

太田氏がシステムエンジニアを志した背景には、90年代に一気に広がったインターネットの存在がある。1995年にWindows 95が登場し、パソコンは単なる文字を打つワープロではなく、全世界とつながるツールとしてセンセーションを巻き起こした。さらに1999年、仮想世界を舞台としたSFアクション映画「マトリックス」が大ヒットし、アカデミー賞4部門を始めとした映画賞を多数受賞した。

高校、大学在学時、Windows 95発売やマトリックスの世界観に衝撃を受けた太田氏は、次第にコンピュータへの関心が強くなっていった。システムエンジニアとして勤めていたさなか、2000年代に転機が訪れた。新たな職種として「ウェブデザイン」の求人広告が町中に溢れだした。システムとデザインの両軸が求められる職種を、太田氏は初めて目にした。

「チャンスだと思ったんです。今やらなければ一生デザインを仕事にできない。僕は地元の丸森町や大学時代を過ごした仙台市はもちろん、東北が大好きでした。ただ、当時クリエイティブという世界に本気で挑むなら東京に行くしかないという一心で、24歳で上京しました」

Steve*inc.太田氏

実績を積んだのち、独立

広告業界の一線で活躍しているデザイナーらを取り巻く環境とはどのようなものか、興味を惹かれ、自らもギリギリの状況でやってみようと思い上京した太田氏。

システムエンジニアの経験を見込まれ、映画会社のウェブデザインの求人募集に合格。そして、のちに大ヒットとなる魔法使いが主人公の有名ファンタジー映画のウェブサイトをひとりで制作。これを皮きりに、あらゆる仕事が舞いこんだ。実績を積みながら、知り合いづてに「ウェブに詳しい人を探している」と話しがあれば、深夜でもフットワーク軽く出かけて行った。 2010年ごろから、あらゆる企業の広告にウェブはなくてはならない存在になった。

「広告代理店のウェブディレクターに、『明日プレゼンなんだ』と言われると、朝までに案を持って行き、『コンペ通ったからよろしく』というような、そんな時代でした。その日1日がつらくても、あとの3か月やりたい仕事ができることの方がうれしかった」

数多くの仕事を手がけていくうち、課題を感じることも増えていった。当時の広告制作は、売り出したい商品の屋外広告やテレビCMができてから、最終段階でウェブサイト制作という流れが一般的だった。すでに用意された素材を見ているうちに、商品写真やロゴ、商品開発から携わりたい気持ちが大きくなっていった。それには商品メーカーの人の話を聞く必要がある、そうであれば会社を作ろうと思い至った。

クリエイティブの仕事で未来をつくる

東北へ戻ることになったきっかけ

「20代のころ、東京で必死に生きている人を格好いいなと思っていました。でも今では、20年前のように東京が圧倒的に洗練されている感覚はなくなってきています。同じレベルか、それ以上に一生懸命に新しいことをやろうとしている格好いい人が地方にもいる。20年前にもいたのかもしれませんが、当時は東京にばかり目を向けていました」

独立後、太田氏はウェブデザインに特化した会社の代表を務めたのち、2018年に自らが株主となりスティーブ社を設立。オフィスを東京・麻布十番に構えている。

「クリエイティブの仕事というと、どうしてもアウトプットに気持ちが向きがちですが、取締役や役員、顧問など経営陣の信頼関係も、クオリティの高い仕事をし続けるためには同じぐらい大切なことだと30代で認識し、 40代からは自分で株主になるという新しい挑戦も始めました」

そんななか、東京から地元である東北に移り住むきっかけとなったのは、上京して7年目のこと。2011年、宮城県を中心とする震災が起きた。

まず、頭に浮かんだのは「地元に戻らなければ」という直感と強い思いだった。丸2日間実家と連絡がとれず、最短で戻ることができたのは震災から2週間後の高速バスだったという。

「東北は生まれ育った場所であり、そこの水を飲み、食べものを口にして、そこの暮らしや人びとのなかで育った24年間が、僕の体には刻まれています。二拠点生活は、場所にとらわれない自由な生き方、という面もあるかもしれないけれど、僕にとっては、自分のルーツと向き合う幸せがあったのです」

山形の小学校を改築した「Q1」を新拠点に

現在、太田氏は自身の出身地である宮城県丸森町に家族で移住している。 スティーブ社は東京・麻布の「Steve* TOKYO OFFICE」に加え、新たな拠点として山形市に「Steve* CREATIVE LOUNGE」を2023年開設予定だ。

スティーブ社にはグラフィックや映像、プログラム、ウェブサイトといった多方面に得意分野をもつスタッフが集う。案件により企業理念や商品開発から携わることもあり、1プロジェクト10名弱で担当しているという。多岐にわたる能力を採用することで、ひとつの会社できちんと連携しながらそれぞれの能力を高め合い、補い合う。

そのような途ぎれない連続性により、クライアントである企業や地域と5年後、10年後を語り合い、心地よさを探求しつづける「クリエイティブパートナー」という業態を確立したいと太田氏は語った。

太田氏が東北の拠点としたのは、かねて自身が講師としてたびたび訪れていた東北芸術工科大学(以下、芸工大)のある山形県山形市。

その拠点は、山形市立第一小学校の旧校舎をリノベーションした「やまがたクリエイティブシティセンターQ1(キューイチ/以下、Q1)」の一室だ。Q1では、アート関連のイベントが盛んに行われており、芸工大の卒業生が運営するお店やアトリエが入っている。

Q1

やまがたクリエイティブシティセンターQ1内

「リノベーションが秀逸なんですよ。日本でも当時めずらしかった最先端の鉄骨建造物で、鉄骨の柱だけを最終的に残して、最新のガラスを使った建築を取り入れてフルリノベーションしている。格好いいですよね」

出社するだけでコミュニケーションが生まれ、一緒に何かやろうという空気も生まれやすいQ1の空間。東京拠点をフルリモートとしている一方で、山形拠点では出社を原則にしようとしている。

「全員でミーティングするのであれば、オンラインで一気に40人集まるほうが効率がいい。でも、効率ばかり目指すのではなく、あえて出社することでオンラインだけではなくオフラインの意味や価値を再認識したい。そうすることで、会社単位ではなく人単位で、ほんとうに自分に合った働き方が見つかるのだと思っています」

さらに、太田氏は山形の拠点を原則出社にしようと考えた理由について、大人も小学生と同じだと続けた。

「小学校の目的が勉強だけであれば、家で教科書を読んだり、YouTubeを観たりすればいいのかもしれない。しかし行くことによって、来週のマラソン大会の話や、友達の持っているペンの話、ときにはとなり町の小学校でサッカーの試合をやろうなど、自然と会話が生まれ、気づきや刺激につながる」

大人になると、そのような環境を作るのは簡単なことではない。そこで太田氏は、小学校を改築したクリエイティビティに溢れる空間を新たなスティーブ社の拠点として選んだ。

二拠点生活で見えたそれぞれの魅力

二拠点生活を送る太田氏のある日の朝は、オフィスのある麻布十番、夜は銀座で会食し、翌日には丸森町の町内会に出席し、保育園の先生と芋掘りの計画を立てる。目まぐるしい日々のなか、それぞれの「まち」の共通点や、目指している方向が同じことに気がついた。

「同じ東北でも仙台、山形、秋田とそれぞれ文化が違うように、同じ東京の麻布十番、銀座、渋谷、吉祥寺でも、文化はまったくちがいます。そのなかで、それぞれの地元の文化を伝えるというスタートは共通しています」

スタイリッシュで新しいものを追い求める一方で、古くから土地に根づいた技術や文化を伝承するためのアプローチの方法を太田氏は模索している。

スティーブ社では現在、日本酒の製造技術をベースとした新しい酒ジャンル「クラフトサケ」文化を広める「クラフトサケブリュワリー協会」を秋田県や福島県の醸造所等6社と共同で立ち上げたほか、福祉施設に在籍する知的障がいのある作家とアートライセンス契約を結び活動するヘラルボニー社とコラボしたコンセプトホテル「MAZARIUM(マザリウム)」を盛岡市にオープンした。

また、世界同時開催のNASAのオープンデータを活用した公式ハッカソン(ハックとマラソンをかけ合わせた造語)「NASA International Space Apps Challenge」の東北唯一の会場に丸森町が選ばれた2022年に審査員を担うなど、東北の土地を活かした数多くのクリエイティブに携わっている。

東京・原宿でのポップアップストアや、スマホアプリ、SNSでの若年層をターゲットとした広告発信なども行っており、両極端ともいえる動きのなかで、どちらもその土地の特徴や文化を深く知り、もっとも伝わる方法でアプローチするスタートは変わらない。

生まれ育った自然豊かな土地と、夢を叶えるために勝負した土地。それぞれを行き来することで、感覚は偏ることなく循環し、一か所に留まるだけでは見えなかった土地の良さや風土が見えてくる。バランスを養いながら、肩の力をぬいて新たなひらめきを得る。二拠点生活や多拠点生活だからこそ生まれる発想や気づきが、そこにはある。

【関連サイト】Steve* inc.
【関連サイト】やまがたクリエイティブシティセンターQ1
【関連サイト】クラフトサケブリュワリー協会|JAPAN CRAFT SAKE BREWRIES ASSOCIATION
【関連サイト】HOTEL MAZARIUM | まざる、うむ、はじまりのホテル
【関連サイト】NASA Space Apps Challenge | Home- NASA International Space Apps Challenge

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秋山 綾

アパレル企業、女性誌の編集ライターを経て、紙媒体からウェブ媒体へ移行。幼少期に始めた音楽を通じて表現に興味をもち、好奇心の赴くままに不定期に芸術、文学に関する創作活動を行う。