全国有数の米どころとして知られている新潟県。長岡市では毎年秋に発酵をテーマにしたイベント「HAKKO trip」を開催している。味噌や醤油を使ったメニューやクラフトビールの飲食など、明治・大正期の建物が残るノスタルジックな町、「宮内摂田屋地区」で発酵・醸造文化を楽しめる。
長岡市には16もの酒蔵がある。イベントの主要開催地である「摂田屋」は市の中心部からほど近く、味噌・醤油・酒蔵が集中して立地する地域。幅広い世代が参画するHAKKO tripも2024年で6回目を迎える。イベントの回を重ねるとともに観光地としても注目され、摂田屋地区への来場者は当初見込みの年間8千人から2023年には12万人に。
この通年で、まちはどのように変わったのか、なぜ「発酵」をテーマにしたのか、イベントを共催する長岡市広報・魅力発信課の佐藤さん、岩崎さん、及びミライ発酵本舗株式会社斎藤さんに話を伺った。
外から見て気づいた長岡市の持ち味
ーなぜ味噌や醤油などの発酵食品ではなく、「発酵」をイベントのテーマにしたのでしょうか?
岩崎さん「2018年(平成30年)から長岡市が地域資源として発酵をPRするようになりました。長岡市の特徴として、全国的に見ても味噌、醤油、酒を造る醸造元が多いこと、加えて研究機関もあるので発酵食品だけではなく、微生物の動きや発酵そのものを含めて『発酵』と考えました。さらに科学的な事象としての発酵だけではなく、『人のつながり』も発酵の1つなんだという概念が生まれました。『人がつながって、まざって発酵する』概念を表現するのにHAKKO tripというイベントのかたちになりました。
「まちの発酵」という考えは、東京の方からの提案がきっかけでした。長岡市が運営しているWebマガジン「な!ナガオカ」編集者として、7年ほど長岡に関わっている方で、長岡を外から見たからこそわかった、中にいる私たちは気づいていなかった長岡市の持ち味を発見することができたんです」
長岡市広報・魅力発信課、主に魅力発信担当の岩崎さんは当時を振り返りそう話してくださった。
岩崎さん「長岡市がイベント開催地である摂田屋を観光拠点として整備するタイミングが重なったこともありました。摂田屋には古い建物が連なっていて人を惹きつける要素になっていますが、ハード面だけでなく、ソフトも盛り上げていく必要がありました。
正直に言うと、最初は『まちの人々がまざりあって発酵する』とは何か?100%理解している人はいませんでした。イベントをやっていくなかでそういうことなのかなとだんだん腑に落ちるようになりました。イベントに関わる人たちも最初は30〜40だったのが、90〜100に増えてきました」
発酵するまち、人
覚醒したまちの人々
–イベントを開催する前と後でどのような変化がありましたか?
斎藤さん「最初は地域の方々は佐藤係長、岩崎さんの人となりを知らないので、行政主体のイベントという認識があり、行政と住民の間に意見の隔たりがありました。佐藤係長と岩崎さんが地域の方々と関係を深めるために摂田屋に足繁く通って、地域振興は行政や企業だけじゃなく、地元の住民、長老や学生や子どもたちもみんなまざって、つながっていくものだとはたらきかけてきました」
宮内摂田屋地区で地域振興に取り組んでいる斎藤さんが当時の様子を説明してくださった。
斎藤さん「そうして2年くらい前から地域住民の方々も参画するようになり、宮内・摂田屋method(※)なる新しい若手主体のまちづくりチームも組成されました。さらに子どもたちの授業にもイベントに関連するテーマを取り入れて、高校や大学も関わるようになり、産学官民が連携し、今や地域をあげての大切なイベントになりました。」
※宮内・摂田屋method(メソッド)… 新潟県長岡市宮内・摂田屋で2022年に設立、この地域を拠点にするまちづくり事業会社「ミライ発酵本舗」の斎藤篤さんを事務局長に、このまちで活動する人々で結成された団体である。
佐藤さん「宮内は以前は本当に大きな商店街でした。私が子どもの頃は土日は歩行者天国のように人が行き交っていて人が溢れていましたが、30年以上経って数えるほどの人しか通らなくなった。HAKKO tripでたくさんの人が町を歩く様子を見て地域の年配の方たちが懐かしがってくれたんです」
岩崎さん「たしかに、ちょっと覚醒したような感じでしたね、昔はこんな光景があったよねと」
佐藤さん「多分、もうこの地域はダメだと諦めていたけど、まだできる、やれると火がぽっとつくような感じはあったのかな。いくらハードがすばらしくてもやっぱり人に魅力がないと意味がない。子どもだったり、おじいちゃん、おばあちゃんだったり、人をつなげていくのがHAKKO tripの一番いいところですね。もし一過性のイベントで1回ぽっきりだったら現実に戻っていったと思います」
広報・魅力発信課で移住やふるさと納税を担当する佐藤さんが嬉しそうに話してくださった。
岩崎さん「HAKKO tripでは地域住民の方が自分たちの持ち場で楽しいことを企画してくださっています。今までHAKKO tripでは来場者が地域を周遊するために景品付きのスタンプラリーをやっていました。一緒にイベントを主催するみなさんの提案で、今年のイベントではスタンプラリーをやめることにしたんです。景品を掲げて歩いてもらうより、それぞれ行きたい場所に行ってもらった方がいいんじゃないかと。私たちは行政なのでやらなきゃと思っていたんですが、やらない選択肢もあることに気が付きました」
スピンオフイベント「あったか横丁」
佐藤さん「あったか横丁もHAKKO tripから偶然生まれたんですよ。昨年のHAKKO trip開催時は土砂降りで寒くて、出店していた酒蔵さんたちともう熱燗でも飲みたいね、という話に。じゃあ寒い冬にだるまストーブ借りて平日に3時間くらいやりますかという話になって、実際にイベントを開催したんです」
岩崎さん「出店者の方々から出た話なので、これは大事にしようと思いました。場所は長岡駅前にあるアオーレのナカドマ(※)で、屋台風の簡素な設えでした」
※アオーレ… 『アリーナ』、『ナカドマ』、『市役所』が一体の市民交流の拠点となっている複合施設。「アオーレ」は長岡地域で「会いましょう」を意味する方言。様々な人と人、人とモノの出会いが生まれるという期待が込められている。小学 5 年生の女の子が命名した。
※ナカドマ… 冬季でも様々な活動ができる屋根付き広場。
佐藤さん「出店者は3〜4つ、椅子は20〜30個、40人集まったらいっぱいくらいの規模でしたね。平日のど真ん中の水曜日だったので、お客さんはあまり来ないと思っていたら大盛況でした。最初に来たのは近所のおじいちゃん、おばあちゃん。午後4時スタートのところ3時に来られて、まだかねと。街中に単身で暮らしているけど、ひとりでお店に入りにくい年配の方に来てもらえたのはよかったです」
岩崎さん「あったか横丁をはじめてから、こんなことをやりたいと自由に言ってくれる方が多いので助かっています。
HAKKO tripは規模が大きくなったので、同じことをほかの地域に横展開するのはなかなか難しいと思います。小規模でも人に会えてつながりをつくれるようなイベントを、他の地域でも試していけるといいなと思っています」
じんわり広がりつつある発酵するまち
佐藤さん「先日ある町内会の会長さんから電話があって、地域の人がつながるイベントをやってみたいというご相談がありました。若い人が多い新興住宅街だけど住民同士のつながりがまったくない。町内の公園でイベントをやりたいけどやり方がわからなくて苦慮されていましたが、長岡市も少し手伝って今年11月に初めてイベントを開催予定です。これもHAKKO tripから飛び火したのかなと思っています」
地域振興で大事にしていること
行政も住民も共同体として、プレーヤーとして、つながって、まざって、生み出していく
斎藤さん「実は前にも宮内摂田屋のイベントはあったんです。でも各自がてんでバラバラでした。HAKKO tripでは岩崎さんや佐藤係長がイベントに『発酵のプロセス』を取り入れてくれたので、各々が好きなようにやりながらもつながって、まざって、HAAKO tripというブランドが生まれました」
佐藤さん「私も以前観光に関する業務を担当したのでわかるのですが、イベントは集客や売り上げが求められます。でもHAKKO tripにはそういうものがまったくない。もちろんたくさんの方に来てもらえたら嬉しいですが、何人来たら万歳ではなく、参加してよかった、関わってよかったという声が重要なんです。その方が持続性が高い。じゃあ来年はこうしようとトライ&エラーで失敗してもいい。まさに発酵のように、どんどんいい方向に変わっていく。それがまちづくりにつながっているんじゃないかと。HAKKO tripは今までのイベントと違って他の世代ともつながれる。これからのイベントのあるべき姿かなと思っています」
斎藤さん「長岡市広報・魅力発信課の方々と私たちが目指すのは「人と人がつながり、まざって、新しい価値を生んでいく、あるいはかつてあった価値を取り戻すこと」だと思います。
地域振興を進めるには行政や企業だけではなく、住民たちがプレーヤーとして能動的に関わらないと本当の意味で持続性のある、すべからく稼げる活動にはならないと思うんです。宮内摂田屋も地方都市が抱えている空き家、空き店舗、空き地などいろいろな問題に直面している。HAKKO tripは地域課題を解決する一つのアクションと捉えています」
佐藤さん「これからのイベントは行政主体や、行政が予算を付けて民間に依頼するのではなく、公民連携で民間の活動を行政が支援するのが一番いいスタイルかなと思っています」
背伸びせず、すでにある豊かな日常を再発見する
斎藤さん「背伸びをした姿を目指している、または実践している観光地もあると思いますが、摂田屋には発酵の文化が根付いているので背伸びをする必要がないんです。地域の個性を自分たちで再発見して、自分たちの日常は実は豊かであることをみんなが知る。結果として地域の魅力に惹かれた人たちがここに集まってきているんですよ。2019年の摂田屋地区の年間入り込み客数は8千人でしたが、2023年度は12万人にのぼりました。
今の風潮としてインバウンドが地方経済を潤すとみんな躍起になっていますが、なんだか間違った方向に、実際のニーズと違う方向に行っているのかなと思います。先日シンガポールや台湾のバイヤー、メガインフルエンサーと話をしました。彼らは日本の伝統文化やローカルなスタイルを学びたい、体験したい気持ちが強い。背伸びをして海外のスタイルを目指すより、むしろあるがままにいてくれた方が嬉しいと多くの方が言っています。我々はあるがままの姿を発信していきたいと考えています」
発酵するまちの未来
佐藤さん「私たち広報・魅力発信課は「魅力発信」がテーマです。移住・定住サポートもしているので、長岡市の魅力を発信して長岡にずっと住みたい、また帰ってきたい人を増やすことがゴールです。長岡が住みたい場所、帰ってきたい場所であると発信することが大きな役割ですね」
岩崎さん「私たちは長岡市役所なので長岡市全体の魅力発信をしますが、なぜ宮内摂田屋に力を入れているかというと、宮内摂田屋で様々な人が関わり魅力的な地域になっていることが長岡市の他の地域にも伝わり、この手法が広がっていくといいなと思っているからです」
斎藤さん「宮内摂田屋には476年の歴史があって、新潟県内では一番古い酒造があるんですね。歴史・文化的な集積がある珍しい地域です。それだけでも価値がありますが、すでにある地域の魅力をもう一度発見しようというのがHAKKO tripです。HAKKO tripの活動によって産業が元気になり、雇用創出にもつながり、優秀な人材が集まる。
長岡市にはアカデミックな要素もあって、4大学1高専、専門学校も数多くあり、高校も普通高校から農業、商業、工業とあります。でも長岡で就職する人はあまりいない。もちろん雇用自体が少ないこともあるかもしれませんが、つまり長岡の魅力を感じられていない。歴史的背景があり、価値ある要素がどんどん生み出されているHAKKO tripに若い人たちが参画することで、それがリクルーティングにもつながりつつあります。
大学卒業後も見据えて、新潟大学の学生たちと一緒にセッタニア(※)を運営しています。1年生から宮内摂田屋の活動に参加してもらっているんですよ」
※セッタニア…キッザニアの摂田屋バージョン。親子で楽しみながら醸造のまち宮内摂田屋の魅力を体験するイベント。
斎藤さん「空き家、空き地、空き店舗に若いプレーヤーが出店してくれているので、いずれ空き家に若い世代が入ってくれたらいいですね。実際に今年の秋にこの地域の空き家が一つお店として生まれ変わります。
宮内摂田屋地区の玄関口、宮内駅は昔は長岡駅と双璧をなすくらい大きな駅でした。高度経済成長期からモータリゼーションが始まり、長岡駅に新幹線が止まるようになって宮内駅を使う人が一気に減りました。そうして宮内摂田屋地区の商店街も衰退していきました。HAKKO tripでは宮内駅をオルタナティブなスペースにして、新たに玄関口の機能を設けて地域振興につなげようと考えています」
HAKKO trip 2024年の注目ポイント
子どもたちが描くまちの未来
–今年のイベントの特徴を教えてください。
岩崎さん「いろいろあるのですが、2024年度のイベントに向けて2つの新しいプロジェクトを紹介します。ひとつは宮内摂田屋のマップ作りです。地域の長老たちに当時のにぎわっていた商店街の様子を聞いて作る思い出マップと、それに呼応する未来のマップ作りが進んでいます。子どもたちが将来どんなまちになったらいいかを自分で考えて、1人ひとりが1つずつモチーフを作ってそれをマップの上に落としていきます。HAKKO trip当日にはイベント中心地の発酵ミュージアム米蔵でお披露目します」
斎藤さん「長老たちが作ってくれたかつてのまちの姿を知って、子どもたちが未来を想像して描く。10年後、20年後のHAKKO tripのときに想像した未来がひとつひとつ実現していることを確かめる。子どもから長老までみんなが共同体として、実践者として能動的に活動するミュニシパリズムの理想的な姿です。現実はだいたいどこか欠けているので、行政や企業が嫌われ役になることがありますが、みんなでやればいいんです。マップの他に歌も作っていて、未来のまちをみんなで作っていこう、というフレーズもあるんですよ」
当日までの『発酵プロセス』も楽しむ
岩崎さん「もうひとつ、地元の長岡農業高校が考案したおにぎりとお団子の販売もあります。地元の蔵の商品と地元の食材を使います。学生さんと摂田屋にある飲食店さんが一緒になって競いながらレシピを開発しているところです。こんな風にいろんな人がつながってイベントの準備をしていくんです。秋のイベント当日だけではなく、春からずっと少しずつ取り組んでいる、そのプロセス自体を大事にしたいなと思っています」
さながら座談会のように3名の立役者から熱い想いが語られた。自分たちが住む街を、人を信じ、温かく支援する姿から長岡への深い愛が伝わってきた。
年々風味を増しながらじわじわ進化するHAKKO trip。つながって、まざって、うまれる、長岡市というまちの「発酵」を、ぜひ現地を訪れて味わってほしい。
イベント情報(2024年度)
HAKKO trip~Hakko×Local×Science~
開催日時:2024年10月13日(日)10:00〜15:00
会場:新潟県長岡市宮内・摂田屋
主催:長岡の発酵ミーティング
共催:長岡市
特別協賛:宮内摂田屋method(一般財団法人 にいがた住宅センター)
お問い合わせ:長岡市 広報・魅力発信課 tel.0258-39-5151
【参照サイト】 HAKKO trip~Hakko×Local×Science~ – 発酵・醸造のまち 発酵・醸造のまち、長岡。
【参照サイト】HAKKOtrip&week 2023 開催レポート① 宮内・摂田屋編
【参照サイト】地域のみんなをプレイヤーにする。「宮内・摂田屋method」が掲げる、住民主導のまちづくりプロセス