ニワトリのぬくもりが教えてくれた「食べる」ということ

農遊舎のカレー

「どれを狙うか決めて、焦点を定めるんだよ」

まだ一匹も鶏を捕まえられないでいる私を見て、博さんはそう言う。そろそろ捕まえないと……と焦る私は、どの鶏にしようかと狙いを定め、一歩踏み出した。その途端、鶏たちは、バタバタと小屋中に散らばる。あぁまたダメだ……

「カッカッカ・・・・・・」

その声はだんだんと声量を増す。鶏たちはみな、何としても次の一羽になるまいと、飛び上がって台の上に上ったり羽をばたつかせたりして動き回る。

鶏小屋の鶏たち

私は鶏小屋の中でひとり、しばらく立ち往生。大勢の鶏たちに囲まれたまま時が過ぎた。15分ほど経っただろうか。結局、自力で鶏を捕えることができなかった私は、博さんが捕まえた鶏の足を握り、やっとの思いで外に連れ出した。

私が初めて鶏を捌いたのは、去年の夏。自然の中に身を置き、農業や漁業、狩猟……とにかく何でもやってみたかった私は、千葉県いすみ市にあるカフェ「農遊舎」で鶏捌きを体験できると知り、すぐに足を運んだ。初めての鶏捌き。農遊舎のオーナーである斎藤博さんに手本を見せてもらいながら、見よう見まねで鶏に包丁を入れ続けた。心苦しさや衝撃はもちろんあったが、灼熱の太陽のもとで汗をかきながら、とにかく必死だった。

それから半年以上経ち、二度目の鶏捌きのために私は再び農遊舎を訪れた。鶏捌きの行程は、小屋の中に入り、自分の手で鶏を選んで捕まえるところから始まる。だが、初回同様、私は自分の手で鶏を捕えることができなかった。「今回こそは」と気合いを入れて鶏小屋に入ったものの、逃げ回る鶏たちを眺めていると、足が竦んでしまった。

捕まえてもらった鶏をやっとの思いで連れ出し、鶏の足をロープで木の枝に結びつけた。逆さにつるされた鶏は、次第に目の色を失い、静かになる。その状態で鶏の首元に包丁を突き付け、さっと刃を入れていく。目の前にはぽたぽたと血が滴り、最後の力を振り絞って羽をばたつかせた鶏はやがて息絶えた。

「ごめんなさい」

私は心の中でそうつぶやいた。それから消えることのない申し訳なさを感じつつ、吊されたまま息絶えた鶏の皮を剥いでいった。包丁で皮を少し切っては、手の力で下から上へと皮を引っ張って剥ぐ。慣れない私は小さな毛の塊ばかりをとってしまい、綺麗にするまでに結構な時間を要した。

それから水場に移動し、次は部位ごとに肉を切り分ける。まな板に丸々一羽の鶏を載せ、ささみ、手羽、胸、もも……少しだって無駄にしないように丁寧に捌いていく。なかなか力がいる作業。指に鶏のあたたかさを感じながら、もくもくと切り続けた。

鶏捌きの様子

ようやくスーパーに並ぶお肉の状態まで捌き終えて時計を見ると、時刻は10時半。最初に小屋に足を踏み入れてから1時間半ほど経っていた。無事に終わった、という安堵とともに、疲労感がどっと押し寄せてきた。

鶏を捌いた、と言うと、周りの人たちはみな口をそろえて「すごいね、私にはそんな勇気ないよ」「よくできるね」と言った。自分の手で動物を殺して食べる人がほとんどいない現代では、そんな反応が当たり前だろう。私も少し前までは、自分が鶏を殺して捌くなんて全く想像していなかった。

だけどあるとき、「自分が普段口にしているものが、どのようにしてお皿の上に辿り着いたのか」知るべきだと思った。そう思うようになったのは、田んぼと畑、うるさいほどに鳴き続ける野生動物たちに囲まれた田舎町に引っ越してから。

鳥がカエルを食べ、カエルが虫を食べる。ミツバチが花や野菜の種を受粉させる。人間が肉や魚、野菜を食べるように、他の生き物たちもまた、何かを食べて生きていた。みな誰かの命をもらったりあげたりして生きていた。

そんな景色を間近で見るようになった私は、「食べる」こととちゃんと向き合ってみたいと思った。

ほんの数分前まで自分と同じように生きていた鶏のぬくもりは、食べることが「命を頂く」ことだと気づかせてくれた。ありがとうの気持ちなしでは食べられなかったから。

同時に、鶏や牛、豚などの動物だけでなく、野菜も米も麦も、すべてが「頂き物」であることを思い出させてくれた。食物連鎖という仕組みの中でつながりあって生きている私たちは、日々何かの命をもらって生きている。だからこそ、他の命を過剰に頂きすぎてはいけないし、感謝して食べなければならないと感じた。

一説によると、古ければ江戸時代から使われるようになった「いただきます」という言葉。それは、「肉や魚、野菜、果物にも命があると考え、それらの命をいただいていることへの感謝の気持ち」を表すために生まれたという。食前にはいただきます、食後にはごちそうさま。日本人が当たり前のように口にしているこの言葉を一人ひとりが“ちゃんと”使えるようになったとき、そこには美しい自然が守られながら生物たちが生かし生かされ合う世界が広がっている気がする。

今こそ、古来から日本人が大事にしてきたあり方に立ち返ってみることが大切なのかもしれない。

時間をかけて自分の手で捌いた鶏の肉は、残ったご飯と一緒にリゾットにした。

捌いた鶏のリゾット

「いただきます」

手を合わせ、精一杯の「ありがとう」の気持ちを込めてそう言った。美味しい。今日も明日も元気に生きられそうだ。

【参照サイト】カフェ農遊舎
【関連記事】自分たちのいる場所をもっと心地良く。自給自足カフェ・農遊舎の「パラダイス」な生き方
【関連記事】“狩猟” から食と命の尊さを学ぶ、食育講座「HUNT EAT」

The following two tabs change content below.

伊藤智子

大阪の真ん中で育ったのち、地に足をつけて生きていくため、千葉・外房の山の中で古民家共同生活を始める。いろいろな人の人生に触れること、誰かの想いをじっくりと噛みしめて丁寧に言葉で綴ることが好き。LivhubやIDEAS FOR GOODで記事執筆を行う傍ら、「食」を通した居場所づくりに挑戦中。趣味は、料理と人と話すこと。