「人は人に出逢うために旅をするのか、自分に出逢うために旅をするのか」
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北アフリカにありながら、アラブ諸国としてのルーツも強く持ち、地中海側のスペインやポルトガルと深く歴史を分かち合いながら、この土地にモロッコという国ができる前から息づいてきた砂漠の民、アマジルとも文化を融合している国「モロッコ」。
人口の3分の1を占めるアマジールの人々は、ベルベル人とも呼ばれ(語源が差別的である背景からここではアマジールとして統一する)、主に5つのグループから成り立っている。アラブ人がやってくるまで彼らはそれぞれ独立したライフスタイルを送っていたため、方言のような別言語を今でも話している。
近年はアマジルが公用語として認められたり、アマジルの言語が義務教育に取り入れられるなど、その文化は大切に受け継がれている。
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さて、そんなモロッコのなかの「ザゴラ」というサハラ砂漠へ向かう途中にある小さな町にやってきた。
山脈と砂漠の両方からやってきたアマジールの人々が多く住むこの場所は、人々の優しさとホスピタリティという魅力に溢れている。
何もないと通り過ぎてしまいそうな町だが、道を歩けば「ボンジュール(モロッコはフランスの旧植民地だったため)元気?お茶飲む?」と声をかけられ、全くの異国の地を訪れたよそ者の私を一瞬で家に帰ってきたかのような気分にさせてくれた。
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新しい場所へ辿り着いた時にいつもやることがある。町を練り歩き、市場を探すのだ。ザゴラでも同じように、ルーティンワークへと駆り出した。
当てもなく町を散策していると「そっちは行き止まりだから道はこっちだよ」と声が聞こえた。
逆光の中、ふと顔を上げると、ビニール袋いっぱいの鶏の頭を右手に持ったおじいさんが佇んでいた。
おじいさんの後を追って、赤い土壁に挟まれた小さな小道を進んでいくと、水のない干上がった川が遠くに見える。
振り返るとおじいさんが「アチャイ?(アラビア語でお茶の意)」と手招きしていた。
先を急ぐ旅でもないなと思い、家にお邪魔させていただいた。彼の名は、アブドゥル。ザゴラ近郊の村に育ったアマジールで、彼と同じ年齢の椰子の木と一緒に暮らしていた。
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モロッコの家だとよく見かける縁側のような空間。彼が手作りした麦わらの小物たちが温かみを加えていた。一息つこうとそこにあった椅子に腰掛ける。時折吹く乾いた風は、サハラ砂漠の空気を運んできていた。
静が深く広がる庭に聴こえる、お茶の沸く音。
町の中心から少し奥まったところにある家に、道路の喧騒は届かない。
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ここからびっくりホスピタリティの本領が発揮されはじめる。
驚くことなかれ、急な訪問にも関わらず、お茶と一緒に小さな小皿が次から次へと出てきた。祖父母の家に遊びに来たかのようだ。
オレンジ、デーツ、ウォールナッツ、チーズにパン、オリーブオイルのディップまで、もはやフルブレックファースト。
にも関わらず、ここでアブドゥルおじいさんが「ごめんなあ、今家にタジン鍋の材料がなかったよ」と少し申し訳なさそうに台所から戻ってきた。
思わず笑いを堪えられず吹き出してしまった。
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ツーリズム業界で働いていたアブドゥルは、多言語を巧みに操る強者だ。アマジールの言語まで含めると、基礎レベルで話せるのは6ヶ国語にもなり、そのほとんどを観光客との会話から身につけたというから目が点になってしまった。
オーストラリアに住んでみたいという夢を追いかけ、実際に移住して数年間、仕事をしながら旅をしていたそうだ。
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そして楽しいお茶の時間を彼はこう締めくくった。
「Make it home」
モロッコ人、しいてはアマジールの人々がよく言う言葉の一つだ。
「ここはもうあなたの家だからいつでも帰って来られる場所で、何をして過ごしていてもいいのだ」というなんとも彼ららしい言い回しである。
1ヶ月の滞在中に同じくお茶に呼んでくれ、友達になったムスタファにこの言葉の真意を聞いてみた。
私:「なんでモロッコ人はお茶にすぐ招いてくれる?金曜のクスクスをわけてくれる?(毎週金曜は大きなクスクス鍋を作り、家族や友人と一緒に食べるという文化がある。筆者自身も金曜日にどこかでお茶を飲んでいると、隣の席からぬるりとクスクス用のスプーンが差し出され、食べなさいとご飯を一緒に食べる経験を毎週のようにした)」
ムスタファ:「1人で食べられるパンなら2人でも3人でも食べられる」
ムスタファ:「おなかが膨れることが大事なのではなくて、一緒に食べることが大事。人によっては大きなタジン鍋をシェアすることができるかもしれないし、お茶をシェアする人もいるかもしれない。お金は受け取らない。お金は留まるものじゃないから、生きることに使えばいい。あるから分けるだけだよ」
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サハラ砂漠に住む人たちも同じことを言っていた。水不足や極端な気候など厳しい環境に生きる彼らだからこその考え方なのかもしれない。
夏は50度近くまで上がり、冬にはマイナスにもなるこの場所で、人は物を分け合い、時間を分け合い、音楽を分け合い、暮らしを分け合いながら過ごしてきたのだ。
私が出逢ったそうした砂漠や山などに生きる人々は、「自然環境的な生きる難しさはあれど、静かでシンプルな生活ができるこの場所が好きだ」と話してくれた。そんな彼らを見ていると「美しい」という一言が心に浮かぶ。
そうか。自分にとっての理想郷は自分の「外」の環境にではなく、自分の「内」側に少しずつ創り上げていくものなのかもしれない。
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旅をすると人を視るレイヤー、層のようなものが増える感覚がある。そのレイヤーは自分自身の体験から芽吹き、感情が動くことで成長する。
新しい人との出会いから、新しいレイヤーを手に入れた新しい自分は、
また自らを新しい人との出会いに連れ出し、さらにレイヤーを手に入れて、さらに新しい自分になる。
モロッコにおける1ヶ月の旅では、そんな日々の連鎖が起きていたように思う。
今日も名もなき人々の教えを自分の新たなレイヤーにして、新しい発見を探しに冒険しよう。そう思い立ち、砂糖とミントがたっぷりのモロッカンティーを飲み干して、また街へ繰り出した。
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