「アフリカは発展していない場所だから、十分気をつけて行ってきてね…」
今年90になる祖父が、旅立つ孫を心配して弱々しい声でこんなことを言った。
孫である私は自信満々にこう答えた。
「大丈夫!最近はアフリカもすごいらしいよ。もうおじいちゃんの時代とは違うって!」
【1度目の裏切り】発展都市・ナイロビ
約10時間のフライトを経て、飛行機はナイロビ国際空港に降り立った。機体から降りた瞬間、ひんやりとした空気が私を包む。実はナイロビは標高が高くとても寒いのだ。
「アフリカって、全部暑いわけじゃないんだ」
空港を降り立つと寄ってくるタクシードライバーを適当にあしらい、Uberを呼ぶ。10分ほど待つと、ドライバーが姿を現した。
「ケニアは初めて?ケニアの交通は本当にひどいから覚悟したほうがいいよ」
外を見てみればわずか1メートル間隔で並ぶ車、車、車…。クラクション音の嵐。ついには信号待ちで後ろから「ドンッ」と軽く追突される始末。
空港から車で走ること30分。なんとかナイロビの中心地にたどりついた。
窓から外を見渡すと、まるで東京の丸の内かのように高層ビルがあちこちに並んでいる。ビルには、名だたる国際企業や高級ホテルの名前が刻まれていた。
道路に視線を落としてみると、スーツを着たサラリーマンが周辺を闊歩している。その様子はさながらニューヨークやワシントンD.C.を彷彿とさせた。
私が頭の中で思い描いていた「発展したアフリカ」と、実際の「ケニア・ナイロビ」。そこには天と地ほどの差があった。
「こんなにアフリカってすごいのか」
【2度目の裏切り】凶悪都市・ナイロビ
宿泊先にステイして一息ついたところで、近くのスーパーに買い出しに行くことにした。
現地駐在員として働く友人が、こんなことを言っていたのを思い出す。
「ナイロビは治安が悪くて強盗が多いから、タクシー車内でもスマホは触らないように。あと乗車したら車のドアと窓も絶対ロックしてね。」
Uberを手配して少し先のスーパーまで向かう。大通りの交差点近くで、信号待ちのため車が停車する。
ドライバーが正しい道を進んでいるかどうか確認しようとスマホを開いた。その時、太陽に雲がかかったように、窓の外がフッと暗くなった。
誰か人がいる。外から私を覗いている。
身体が一気に硬直する。呼吸が浅くなり、鼓動がドキドキと速まる。全身にじんわりと汗がにじむ。
目を合わせたら何かされるような気がして、窓の方を向くことができない。私は緊張した身体でただ運転席の方向をまっすぐ見つめていた。
しばらくすると、人影が窓から離れ、太陽の光が車内に差し込んだ。身体の緊張がゆるみ、深い呼吸が戻ってくる。
窓の外を横目で見ると、ボロボロの服に身を包んだ長身細身の男性が斜め前の車のドアをガチャガチャと開けようとしていた。もし自分が同じことをされていたらと思うとゾッとした。
やっとのことで到着したスーパーの入り口には、たくましい警備員と金属探知機が並んでいた。近年起こったテロに向けた対策のため、どの店に入るのにも厳重な荷物検査が必須なようだった。
「治安が悪い街って、こういうことなのか」
これまで、さほど危険な都市を旅してこなかった私は、衝撃を受けた。
【3度目の裏切り】キベラスラムのカルチャー
「ナイロビって思ったよりも発展してるでしょ。でもここはそれだけじゃない。キベラスラムのツアーに参加するといいよ」
ナイロビには、キベラスラムと呼ばれるアフリカ最大級のスラム街が存在する。私たちは友人の勧めで、スラム街のウォーキングツアーに参加することになった。
「スラム街なんて歩いているだけで危険な目に遭うかもしれないよ」
「きっとお互い睨み合いながら獲物を狩るような目で生活しているはず」
私の頭は完全に「凶悪都市・ナイロビ」に警戒アラートを鳴らしていた。
ツアー当日、私たちは集合場所であるショッピングモールの受付前に向かった。
10分ほど遅れることを主催者に連絡したが返信はなく、30分後に集合場所に現れた。(ケニアではこのようなことは日常茶飯事らしい)
ツアーの参加者は私と、パートナーと、オーストラリア人の女性の合計3人。
3人のツアーガイドと1人のドライバー、合計4人が一緒に回ってくれる豪華なツアーとなった。
私をガイドしてくれたのは25歳のVincentという青年だった。
彼はキベラスラムで生まれ育ち、現在も住んでいるという。
車に揺られること20分。キベラスラムに到着。そこにはアイロンシートで出来た茶色い家々が並んでいた。
Vincentいわく、キベラスラムには数多くの問題があるという。就職口の不足、貧困、衛生面の問題、教育へのアクセス、若年妊娠など…どれも複雑に絡み合っており、簡単に解決できるものではない。
でも、社会問題で溢れる地域が必ずしも「暗く」「ネガティブな」様相を呈しているかというと、そうではない。
「やあVincent!元気にしているかい?」
「日本からはるばるキベラへようこそ。いいツアーになるといいね!」
Vincentと共に道を歩けば、10メートルごとに見知らぬ誰かが話しかけて挨拶をしてくれる。彼曰くそれらは全て「友人」や「隣人」そして「家族」なのだと言う。
「ここには敵も味方もない。僕たちは一つの共同体なんだ。時に政府や別の組織と揉め事が起こることはあるけど、キベラスラムに住む人たちはみんな助け合いながら生きているんだよ」
住む人たちが時に窃盗などの犯罪を働くこともある。実際、スラムの周辺地域での犯罪は多発している。
でも、それだけがスラム街の真実ではないのだ。
そこには「人」が生きていて、生活があり、繋がりがある。言葉にしてしまえば当たり前のこと。
しかし、数多くの勘違いを重ねていた私にとってその真実は新しく、何度も何度も噛み締めるべきことのような気がした。
「キベラスラムの生活は大変だけど、僕にとってここは故郷なんだ。友達がいて、家族がいて、思い出がある」
Vincentが言っていた言葉が今も忘れられない。
【4度目の裏切り】故郷と自分の将来と
キベラスラムでの生活の様子に衝撃を受けた私は、Vincentへのインタビューを別日に行うことに決めた。Vincentが所属する非営利団体経由で連絡をしたところ、インタビューの許可が出た。
Vincenと再び顔を合わせ、街を歩きながら様々な質問をした。
「キベラスラムのことはもちろん好きだよ。ここに住んでいる人たちは友人や家族だ。お互い助け合うコミュニティなんだ。キベラの外に出ると、何についてもとてもお金がかかる。しかも、人が冷たいなと感じることがよくあるよ」
少なくとも人的繋がりにおいて、彼はここでの生活に満足しているようだった。
そこで「彼は外の世界への不満も述べているし、今の生活でも幸せなのではないか?」という疑問が頭をよぎる。
ふと私は気になって、彼に「将来の夢は何か?」と尋ねてみた。そうすると、返ってきたのは意外な答えだった。
「僕の夢はキベラスラムから出ることだよ。安定した仕事について、十分な給料を得て、キベラスラムの外で生活をする。そのために頑張りたい」
私は「あぁ、そうか」と思った。人々の笑顔や繋がりを目の当たりにして忘れかけていたが、ここの生活はあくまで「抜け出したいもの」なのだ。
大好きだけど、抜け出したい。
故郷をそんな風に捉えるのは、どんな気持ちだろう。恵まれた環境で育ってきた私には、完全に彼の気持ちを理解するのは難しかった。
「スラム街に溢れる温かいコミュニティ」
「愛する故郷を離れることが夢」
今回の滞在では、一見矛盾するような事実をたくさんたくさん突きつけられた。一体どれが本当なのか、混乱することもあった。
しばらく経って、やっとわかったことがある。これらはきっと全部が本当なのだ。
世界も人の気持ちも、とても複雑で、多面的で、時に矛盾していて当然なのだ。
ー
本記事ライターは、世界中のローカルなヒトと体験に浸る世界一周旅中。
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