「年縞(ねんこう)」という言葉を聞いたことがあるだろうか?
「福井県の水月湖(すいげつこ)っていう湖の底には『ネンコウ』ってものがあってね……今、世界中から注目が集まってるんだよ」と聞いた時、恥ずかしながら自分の頭の中にはクエスチョンマークしか浮かんでこなかった。
もちろん今は「ググる」という手段があるので、すぐに検索窓にその言葉を打ち込んでみると、こんな定義がでてくる。
「長い年月の間、湖沼などの底に堆積した土などの層が描く特徴的な縞模様の湖底堆積物のこと。年縞堆積物(ねんこうたいせきぶつ)とも称される」*wikipediaより引用
なるほど。つまり「縞模様の泥の層」のことか、という最低限の理解はできた。
しかし湖の底にたまった縞模様の泥の集まりが、なぜそんなに注目を集めるのか?
そこから何がわかるのか?
なぜ三方五胡にはその層があり、他の日本の湖にはないのか?
頭の中はさらにクエスチョンマークでいっぱいに。
ちなみに年縞という言葉を聞いた直後、僕の周囲の知人(福井県在住の2名を含む)5人ほどに「年縞って知ってる?」と聞いてみた。残念ながら5名全員から「ナニソレ?」という返答が返ってきたことを付け加えておく。
最初に受けた第一印象と、その世界からの注目の集まり方のギャップから、逆に年縞に対する好奇心と疑問が自分の中で強まる。まずは年縞が展示されているという「福井年縞博物館」を訪れるため、福井県へ向かった。
年縞博物館はどこにある?
福井県年縞博物館は、福井県美浜町と若狭町にまたがって広がる5つの湖、「三方五湖」のうちの一つ、水月湖のほとりにある。
若狭三方縄文博物館などがある「縄文ロマンパーク」の敷地内にある、福井年縞博物館にアクセスするには、電車だとJR三方駅からタクシーで5分程度、レンタサイクルだと10分程度。JR敦賀駅」より車で約35分。
もし高速道路を使うなら、舞鶴若狭自動車道「三方五湖スマートIC」から出て約5分くらいの場所にある。
ロマンパーク内の広い駐車場に到着するなり、すぐに目に入るのは緑が濃い山々と三方湖の静かな湖面。
そしてその更に向こうに広がっているであろう日本海を想像すると、ここが明らかに自然による恵みが豊かな場所だということが感覚的にもわかる。さすが縄文時代から人が住み続けてきた地域だけはある。
そんな想像もそこそこに、今回目的とする年縞博物館へ向かい、館内案内人である今川さんに中を案内してもらうことになった。
7万年分の泥の層をステンドグラスに
博物館内の階段を上がって2階に辿り着くと、そこには常設の「水月湖7万年 年縞ギャラリー」がある。そのギャラリーには、水月湖の湖底に垂直の穴を掘り、実際に採取した「泥の縞々=年縞」を、薄く加工しガラスの中に樹脂で閉じ込め、100枚のステンドグラス状にしたものが、45メートルに渡って約7万年分展示されている。
その縞々は、気の遠くなるような時間を物理的に視覚化したものであり、泥に刻まれた長い長い歴史の目盛だ。
「年縞は長い年月の間に湖沼などに堆積した層が描く特徴的な縞模様の湖底堆積物のことで、1年に1層形成されます。縞模様は季節によって違うものが堆積することで、明るい層と暗い層が交互に堆積することでできるものです。それを職人の手により、このように標本のような状態にして展示しています」
──なぜこのような泥の縞々が、水月湖の底に堆積し現在まで残されているのですか?
「『三方五湖』のひとつ『水月湖』は、年縞が形成される環境として『奇跡』と言われるほど理想的な湖です。その環境が維持されるのは、直接流れ込む河川がない、湖底に生物が生息していない、時間が経過しても埋まらない、という3つの環境的要因によるものです」
──この年縞が、なぜ世界的に注目されるのでしょうか?
「遺跡などから発掘される未知の出土品がいつの時代のものかを知る手段の一つが『放射性炭素年代測定法』です。生物の体に含まれ、時間の経過とともに一定のペースで量が減少する『放射性炭素』の残量を測定し、年代を逆算する手法です。
しかしこの放射性炭素年代測定法では、時代によって数百年から数千年のズレがあるのが課題でした。このズレを修正するためには、『年代ごとの正確な放射性炭素の量』を推測する基準となる『ものさし』が必要です。この『ものさし』となるのが年縞です」
この今川さんのお話で、この年縞の価値についてようやくじわじわと理解できてきた。
もし仮にこの水月湖の年縞が存在しなければ、古代人の骨の化石も、縄文土器のかけらも、「たぶんあの頃のものかも?」「いやこっちの時代が正しいのでは」という、曖昧な推測や漠然とした議論しかできないものになってしまう。
そこでこの年縞という年代のものさしを基準に、それらの出土品の炭素量と照らし合わせることで、7万年分の目盛のどこかにそれらの出土品がプロットされる。その結果、はじめて出土品の年代や歴史的な価値がより正しく推測できるようになる、というわけだ。
ある物理学者によると、量子力学の世界では「この世界の中の『存在』は観測者や測定機に依存した概念」であるという。年縞を通して出土品の年代が明らかになる過程を聞いて、そんな言葉を思い出した。
大抵の事実は、観測者の視点や客観的な基準があってこそ、初めて歴史となる。歴史的な事実を正しい順に並べるための「測定器」にあたるものが「年縞」なわけだ。
「加えてこの縞々の中には、かつての地震やそれに伴う津波、そして火山の噴火に関する痕跡や、過去の気候変動による環境の変化などに関するデータも含まれています。そこから今後の災害予測や、気候変動に関する予測などにも年縞を活用できる可能性があります」
過去のことを知るだけでなく、未来の予測にも役立つ貴重なデータが、この7万年分の泥の層に埋まっている。つまり地球規模の気候変動や自然災害の対策にもなり得る手がかりが、今も水月湖の湖底には静かに積もり続けているというわけだ。
未来と過去に想いを馳せることで初めて感じられるもの
ギャラリーに整然と並べられた、年縞をもとにつくられた縞模様のステンドグラス。人の一生も、この7万年分の目盛に照らし合わせれば、ほんのわずか数センチ。そしてこの三方五湖の豊かな環境は、おそらく人間がこの地球に登場する遥か昔から連綿と受け継がれてきた資産だ。
もしいつか仮に人間が居なくなっても、きっと様々な生物がこの豊かな環境の中で共存していくのだろう。
そんなふうに遠い過去と未来に想いを馳せてから、今現在の自分自身にもう一度意識を戻してみる。するとこの豊かな環境が今に残されていることの価値を、以前より少しだけ実感できた気がした。
今ここにいる自分は、長い歴史の中でのごく部分的な「つなぎ手」に過ぎない。先人達から受け取ったバトンを、どうやって後の世代に渡すのか?
この7万年分のものさしは、目にした者にそんなことについて考えさせてくれる。
そんなことを考えているうちに、年縞博物館のステンドグラスの中に納まる泥の層が一気に7万年分の重みを伴って存在感を増した様に感じ、そこでいったんギャラリーを後にした。
ーーー
天然の自然と伝統文化が豊富な福井県三方五湖周辺の楽しみ方は、年縞博物館だけではない。縄文ロマンパーク内で隣接する若狭三方縄文博物館はもちろん、三方五湖の冬を彩る風物詩である伝統漁法「タタキ網」見学、湖でのカヤックツアーなど、地域の風土と伝統を活かしたさまざまな楽しみ方がある。
ただそこに「年縞」という要素が加わることで、風土を通して感じる歴史観、そして三方五湖の豊かな風景と人の営みの捉え方が変わってくるはずだ。
ぜひ福井県三方五湖を訪れた際には、年縞博物館を訪れて7万年の歴史に想いを馳せてみるのはいかがだろうか。
【参照サイト】福井県年縞博物館 公式HP
【参照サイト】福井県海浜自然センター
【参照サイト】若狭三方縄文博物館
【参照サイト】一般社団法人SwitchSwitch
【参照サイト】SiencePotal
【参照サイト】農林水産省
いしづか かずと
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