町が丸ごと宿になる。「まちやど」という、古くて新しい宿の魅力とは | 日本まちやど協会 宮崎 晃吉さんインタビュー

あなたは「まちやど」という言葉を聞いたことがあるだろうか?

たとえば初めて訪れた宿で、ガイドブックに掲載されていない地元の人が集まる美味しい居酒屋を紹介してもらった経験。もしくはたまたま入ったお土産屋さんで、話が盛り上がったついでに穴場の秘湯を教えてもらった経験。

そういったその町でしかできない地元の人々の日常を体験する旅は、とてもかけがえがないもの。それは消費型の観光ツアーとは一味違った味わい深さがある。つまり地域に根づきながら、訪れた人に暮らしに必要な繋がりやその土地のリアルな体験を提供する宿、それが「まちやど」的な宿。

そんなまちやどという宿のあり方は、訪れる側と迎え入れる側の宿と町、その双方にどんなものをもたらすのだろうか。

今回は、日本にあるまちやど同士の地域を越えたネットワークである「日本まちやど協会」代表理事であり、東京谷中のまちやど「hanare」と複合施設「HAGISO」を運営する、HAGI STUDIO 代表の宮崎さんに、まちやどを始めた経緯とその魅力について伺った。

話者プロフィール: 宮崎 晃吉さん


株式会社HAGI STUDIO代表取締役 / 建築家

1982年群馬県前橋市生まれ。2008年東京藝術大学大学院修士課程修了後、磯崎新アトリエ勤務。2011年より独立し建築設計やプロデュースを行うかたわら、2013年より、自社事業として東京・谷中を中心エリアとした築古のアパートや住宅をリノベーションした飲食、宿泊事業を設計および運営している。hanareで2018年グッドデザイン賞金賞受賞/ファイナリスト選出など。

インタビュアー: 石塚和人・飯塚彩子

目次
築60年の木造アパートを「最小複合施設」に再生

僕は群馬出身なんですが、大学の頃から東京都台東区の谷中という町に住み始めました。日暮里からの距離にある東京藝大の建築科に通っている時に、大学の後輩が見つけてきた空き家が、谷中にあった「萩荘」という建物で、そこにその後輩たちと一緒にシェアハウス的に住んでいました。

出典:HAGISO公式サイト

そして卒業後には磯崎新さんという建築家のアトリエに就職しました。

そこで働き出して数年後、2011年に東北大震災が起こります。それまで僕は海外の仕事ばかりしていましたが「日本が大変な時に海外の仕事をしている場合じゃない」と思い、その月に仕事を辞めて震災ボランティアに行きました。でも別に被災地に根付くということもできずに谷中に帰ってきました。

戻ってみると、また震災が起こる可能性も考えて、大家さんから萩荘を壊して駐車場にすると話をされました。僕らも最初は「分かりました」と言ったんですが、一緒に住んでいた仲間と話していたら「萩荘はなくなっちゃうけど、最後にお葬式をやろうか」という話に。それを大家さんに相談したら、お寺の住職でもある大家さんは「お葬式だったらいいよ」と二つ返事で受け入れてくれました。

それが2012年に開催した「ハギエンナーレ」というアートイベント。20人ぐらいの若い建築家やアーティストを集めてつくった、萩荘にあるものを使ったインスタレーションが主な内容でした。蓋を開くと口コミだけで延べ1,500人位の来場がありました。

出典:hanare公式サイト

すると大家さんがこの建物にまつわる関係性も含めて「萩荘をただ壊していいのか?」と考え始めたんです。そこに付け込んで僕の方で今後の事業計画書を作りました。

──どういう事業計画で萩荘を再生しようとしたのですか?

私達が萩荘を借りて、小さな複合施設として再生する計画です。1Fのカフェや自分たちの事務所を初めとして、ほぼ丸ごと自分たちの事業として直接運営する方向でした。これは自分がクライアントでもあり設計者でもあるという、独立後初めてのプロジェクトで、2013年3月に萩荘は、カフェやギャラリー、レンタルスペースなどを備えた最小文化複合施設「HAGISO」として生まれ変わりました。

出典: HAGISO公式サイト

街自体を宿に置き換え、1人1人に体験してもらう旅を

──その後、谷中で宿を始めた経緯は何だったのでしょうか?

1千万円の借金をしてHAGISOの事業を始めたので、自分の家を借りるお金もなかったんです。HAGISOの奥が設計事務所だったんですけど、そこで寝泊まりをしていました。風呂もキッチンもないので銭湯に行って、町の飲食店をハシゴする生活をしてたんですよ。でも町を僕の家と考えてみると、ワンルームマンションで全部完結させるよりも、全然豊かだなと気づいたんです。

ちょっと昔にはそういう暮らしが当たり前にこの町にあったはずなのに、かつて谷中に10軒はあった銭湯は今や3軒に減り、僕らが好きだった昔ながらの飲み屋さんも、谷中が観光地として有名になるに連れてお土産物屋さんに代わって観光地化していきました。

そんな状況もあって、今の谷中の観光のスタイルのままだと、地域が本来持っているいいものがステレオタイプな消費する観光にとって代わられてしまうのではないかという危機感を感じ始めたんです。

僕はいろんなものを町の中でシェアしながら生きていく暮らしがこの町の魅力だと思っていたので、町自体を宿に置き換えて、1人1人にその地域での暮らしを擬似体験してもらう旅がいいと思ったんですね。

その時に「町全体が宿」という見立ての絵を描いて「こういうのがやりたいんですけど」と色んな人に見せてました。

その後色々な経緯があり、HAGISOの近くに空き家を見つけたことがきっかけで、そこを宿泊棟として2015年の11月にオープンさせました。hagisoの中にレセプションとカフェがあり、別棟に宿があって、お風呂は近所の銭湯。そして街中の商店など、そういった場所をつなぐネットワーク全体を「hanare」と呼んでいます。

出典:hanare公式サイト

宿が面白いのは、単純にベッドを貸す商売ではなくて、まずどういう人をこの街に招くかということを工夫できるという点。来た人たちをどこに連れていくか次第で、今までになかった人の流れを生み出すことができる。

──どういう人を呼ぼうと思ったのですか?

hanareのコンセプトに「the whole town can be your hotel(あなた次第でこの街全体が宿になるかもよ)」っていうのがあるんです。

出典:hanare公式サイト

hanareにはサービスを受動的に求めてくるタイプのお客さんじゃなくて、自分でこの街の面白さを発見できる人に来てもらいたい。あえて単純に安いからという理由で選ばれないようにして、ここを見つけ出してくれる人に来てもらうように設計しました。

──2015年のhanareのオープン当時は「まちやど」という言葉はあまり知られていなかったはずですが、当時まちやど的な事業はすでにあったんでしょうか?

すでに成功していたのは岡さんという方が運営している、香川の仏生山のまちぐるみ旅館(❇︎1)で、彼も建築家です。

あとはちょうど震災後の2011年の秋、イタリアのローマで泊まった宿ですね。その宿は移民っぽい人が受付にいるような宿で、宿泊は2、3ブロック先のアパートの一室に泊まる仕組みでした。「朝飯はどうするの?」って聞いたら「そこのカフェで食べられるよ」って教えてくれて。その宿はイタリアのアルベルゴ・ディフーゾ(❇︎2)ではなかったのですが、宿の形態として面白いなと思いました。

地域を越えたまちやどのネットワーク

──その後2017年にまちやど協会が立ち上がったわけですね。

そうです。仏生山の岡さんとはもともと交流があり、他にも日本中で同じような取り組みが同時多発的に生まれつつあるということがわかってきました。そして近い理念で宿を運営する人が集まって、地域を越えたネットワークをつくる為に協会をつくりました。

出典: 日本まちやど協会公式サイト

──まちやど協会に建築家が多いのはなぜでしょう?

まちやどはまちづくりの分脈から来ていて、観光の分脈でまちやどを始める人はほとんどいません。町の中に宿が一つあると、そこがハブになっていろんな要素が繋がるんですよ。その意味でどの町でも最終的に宿をつくることが多くて、そういう精神からまちやどになっていく。自分達だけで1つの旅館を経営するのではなくて、既にある点をつないで編集しながら、その中にまちやどがあることで全部が補完される。たとえばご飯をどこで食べるとかお風呂にどこで入るとか、その町での生活が一通り必要になった時に、まちやどが街のネットワークの中心になる。

──その町の食や住だったり、暮らしの機能のハブになって、それを編集する存在がまちやどだということでしょうか?

そうです。その担い手は建築家に限らず、自分の町をもっと精神的に豊かにしたり、いろんな繋がりを創っていきたいと思っている人たちです。

──協会をつくった目的は?

まずこのまちやどというスタイル自体が、2016年当初は法律的にもあまり認められていなかった。内閣府の会議に協会として参加して、意見したタイミングで旅館業法が少し緩和されたんです。そういったロビイング活動の為が1つ。それから社会的にまちやどを定義したいというのもあります。

それから今は22のまちやどがあるので、まちやどからまちやどにホッピングするツーリズムを生みたいという目的もあります。かつての日本のツーリズムには、街道沿いに宿場町が連続していて、宿場町から宿場町へホッピングするスタイルもあったと思うんですよ。それがいつのまにか施設型の旅館やホテルに行くことだけが目的になっている。そういう点を線にしていくという意味ではまちやどを増やしたほうがいいんですが、むやみに増やさずに、町で自分の生業をつくりながら周りの人たちが元気になる為にやっている人達を仲間にしていきたい。

まちやどの定義とは

──さっきおっしゃっていたようにかつての日本には、自然にまちやど的なものがあったはずですが、日本のまちやどとイタリアのアルベルゴ・ディフーゾでは、成り立ちや仕組みが違うんでしょうか?

アルベルゴ・ディフーゾには何棟以上分散してないといけないとか、宿にこの設備がないといけないとか、設備的なルールがあります。まちやどは別に分散型宿に限ったわけではなくて、街と一体になった宿であるという理念を持っている方が大事。日本のまちやどには分散型ではない宿も一杯あるんです。

──現在、まちやど協会の中でその定義は言語化されているんですか?

まちやどの定義は公式サイト上に書いてあります。

“「まちやど」とは、まちを一つの宿と見立て宿泊施設と地域の日常をネットワークさせ、まちぐるみで宿泊客をもてなすことで地域価値を向上していく事業です”

*日本まちやど協会公式サイトより引用

ただ「おもてなし」はちょっと違うよねということで、最近その定義を変えようという案も出ています。どのまちやどにも共通しているのが、お客様は消費者ではなくて「1日からの住民」だと思っていること。

実際にまちやどは連泊する人が多い。あるまちやどが好きすぎて100泊して、その地域に空き家を買ってそのまま住んでしまった人もいるんですよ。要は町のファンや仲間を集める活動でもあるので、そこに観光産業をつくるというよりは、自分たちが生活できて、かつ地域内での経済的な循環が起きる活動をしている宿が多い。

──「もてなす」というちょっと言葉は違う、という意図について教えてください。つまりまちやどは「消費者とサービス提供者」という関係とは違うものを目指しているということですか?

コロナ禍を経てその目線が強まったと思っています。hanareも以前はそうでしたけど、まちやど協会の中でもインバウンド需要を意識している宿が多かった。今、観光産業の脆弱さがわかったからこそ、もっと長期的に自分たちの地域の価値を上げる活動をしていかなければならない。それもただブランド力を高めるというよりは、自分たちが精神的に豊かに暮らせる状況をつくるとか、町に同じ価値観を持っているお店や住民が増えていくとか、そういうことですね。

──日本まちやど協会が発行する冊子「日常」がそういった価値観を表現していますね。まちやどは「ハレ」ではなく「ケ」の存在ということでしょうか。

出典:日本まちやど協会公式サイト

その街の日常の存在も、外の人にしてみると非日常。国内でもそれぞれの地域文化があって、そういうものに出会うことが旅の本質だと思うんです。当たり前だと思っていた自分たちの日常も、実は当たり前じゃないことに気づくのが、旅の価値だと思います。

コロナ禍以降の豊かさと「観光と暮らしの間」

── 今、観光業界の雲行きがまた不安定なっています。もはやこの状況が常だと思って今後の事業としての生き延び方を探らなければいけない時に、これから協会としてはどのように活動していこうと考えていますか?

この数年はインバウンド系の観光が多かったけれど、これからはそれを当てにはできなくなり、旅行する側も慎重にその意味を考えるようになる。

あとは全世界的に人々が一時的に家に閉じ込められたことで、同時に自分が住む地域に対する解像度が高まったと思うんですね。それによって相当社会が変わると思ってます。

今まで「駅から徒歩何分で、通勤に便利な所」という視点で住む街を選んでいた人は、周りに住宅しかないことの貧しさを初めて実感するわけですよね。一方で谷中は元々職人が働いていたり、商店もお墓もあるし、いわゆる生活のすべてが混ざっているような街なので、地域の豊かさを実感できる。

出典:hanare公式サイト

おそらく旅する時にも地域の豊かさに対する目線が強くなると思っています。「この街って暮らしやすそうだな」とか。それはまちやどにとっては追い風になるし、その意味ではこれからは観光と暮らしとの間を考えていく時代になるはず。

──日常を切り離して非日常として存在していた旅が「日常を連れて旅に出る」という感じになってきているのかなと思いました。ところで宮崎さんとしては今、どんな旅をしたいですか?

観光ガイドのままの旅じゃなくて、地元のタクシーの運転手に教えてもらった地元の人がご飯を食べている所に行って、隣のおっちゃんと「これの方が旨いよ」「旨いですね」みたいな話ができるような所に行きたいですね。そういう町の素顔が見えてくると、その町のことをすごく好きになっちゃうじゃないですか。その土地に暮らしている人たちのソウルフードを食べたり、地元の人が入っている銭湯に行きたい。

──観光ガイド的ではない、日常が染み出ている旅、いいですね。最後に日本まちやど協会やhanareに関して、これからの展望があったら教えてください。

誰かの目線で暮らしが深まるローカルメディア「まちまち眼鏡店」

今「hanare」という宿は、コロナ禍の影響で曜日を限定して営業中なんですが、この春にローカルメディア「まちまち眼鏡店」を始めます。その編集長的ポジションであるメディアの店長を、hanareのマネージャーが担当する予定です。

出典:まちまち眼鏡店クラウドファンディングページ

要は町の人とのつながりを可視化する仕事なんですが、それは宿がやっていることとほぼ同じ。店長は谷中出身なので、今、色んな人との繋がりを結びなおしてくれています。閉めていた宿をまた開けた時にメディアによって地域との繋がりが見やすくなっていると、いろんな形で役に立つのではと思っています。

その場所でしか味わえない体験や偶然の出会いは、町のあらゆる所にパズルのように散らばっている。そこに暮らす人々の視点や関係を借りて、そのパズル同士を一つ一つ繋ぎ合わせながら旅を楽しむ。そんな仕組みがまちやどなのかもしれない。

もしこれからの豊かさや旅の価値について考えてみたくなったら、ふだん住む町とは別な町の「1日からの住人」になるために、まちやどを巡る旅をしてみてはどうだろうか。

(❇︎1)香川の仏生山のまちぐるみ旅館…香川県高松市の中心市街地から8kmほど南にある郊外の仏生山という場所にある、まち全体を旅館に見立てた宿泊施設。

(❇︎2)アルベルゴ・ディフーゾ….イタリア語で「分散したホテル」という意味。町の中に点在している空き家をひとつの宿として活用し、町をまるごと活性化しようというもの(アルベルゴ・ディフーゾ・ジャパン・オフィシャルサイトより引用)

【参照サイト】日本まちやど協会公式サイト
【参照サイト】hanare公式サイト
【参照サイト】株式会社HAGISTUDIO公式サイト
【参照サイト】まちまち眼鏡店クラウドファンディングページ