ライフを起点に居場所を選ぶ、あたらしい移住のかたち「教育移住」とは?

世の中には、自由に選べない選択肢がある。

その代表的なものは「〇〇ガチャ」などの言葉で表現されることもあり、そこには時代のフラストレーションのようなものを感じることも。

ところで「義務教育を受ける場所」、つまり小中学校についてはどうだろう。

自分が通う学校をいくつかの選択肢から選ぶ子供は、世の中にどれくらいいるのだろうか? 子供が通う学校は、住んでいる地域にある程度左右されることも多く、ある意味「学校ガチャ」であるとも言える。

ただ最近では、子供のための理想の教育や学校を求めての移住、つまり「教育移住」という選択をする人がいると耳にすることがある。

まさに理想の教育を求めて、住んでいた都市圏から長野県伊那市に教育移住をしたのが、在庫分析システムを提供する企業「フルカイテン株式会社」のCEOをつとめる瀬川 直寛(せがわ なおひろ)さんだ。

話者プロフィール:瀬川 直寛さん

慶應義塾大学理工学部で天然ガスの熱力学変化に関する予測モデルを研究。卒業後は、外資系IT企業、日本のスタートアップ数社に勤務。2012年にベビー服EC事業で当社を起業。経営者として、在庫問題が原因で3度の倒産危機に直面。それを乗り越える過程で外的要因や予測不能な変化に強い小売経営モデルを生み出し在庫分析システム「FULL KAITEN」を開発。2017年11月、FULL KAITENをクラウド事業化し販売を開始。2018年9月にはEC事業を売却し、小売企業・卸売企業にFULL KAITENを提供する事業へ経営資源を集中している。

目次

住んでいた地域の教育に感じた違和感

瀬川さんは、住んでいた地域の教育方針に触れる度に、ある違和感が日に日に強くなっていったそうだ。

「学力を中心に評価される場所で子供が育つということに違和感を感じました。実際の社会では価値観って多様じゃないですか。なのに子供たちが学力だけで自己肯定感を育んでしまうことが怖かった。社会にでると、勉強を真面目にやってきたことが評価につながらないこともある。そういう時に、画一的な価値観で育った子供は脆く、逆にいろんな価値観で育った人は強い傾向がある。そういう例をこれまで何度も見てきたので、子供を育てるならいろんな価値観に触れられる環境がいいなと思ったんです」

「大学時代、子供のころから勉強ばかりをしていた人が周囲にいました。ただ世の中には本当の天才がいて、そういう人にはなかなか敵わない。勉強にしか拠り所がない人がその勉強で一度自信をなくすと、一気に意欲を失いやすい。でもその人はもしかしたら歌が上手だったかもしれないし、工作が得意だったかもしれない。なのに勉強という一つの価値観でしか評価されずに大人になってしまうことがある。そして社会に出た時に『誰かに教わったことをうまくやる』能力と『自分で課題を考えて学ぶ』能力はまったく別物なんですよね」

瀬川さんが地域の雰囲気の中で抱いた違和感は、小学校の授業風景を目にして更に強まっていく。

「私の住んでいた地域は、交通の便がよく下町情緒があって人気の町でした。沢山の人が引っ越してきて中古マンションの価格も上昇し、教育熱心な方々がたくさん集まってきました。それと同時に市長が公立学校教員のボーナスを生徒の学力テストの数値で決めるという方針を打ち出したんです。そこから公立学校の先生がさらに学力向上に力を入れるようになり、地域の学力競争が過熱しました。

その頃に当時私の子供が通っていた小学校の見学に行って、違和感を感じました。コロナ禍という状況もあったんですが、生徒全員が透明な仕切りのついた机に同じ方向を向いて座っている。給食も黙食で、他のクラスに行くことも禁止、トイレに行く時は挙手制。そして先生の授業を一方的に聞かされている。まるで工場のように見えました」

伊那小学校との出会い

そんな瀬川さんは、一本の映画に出会い「教育移住」という選択肢を考え始めることになる。

「そんな中でうちの妻が、教育について調べるうちに知人経由で映画「夢見る小学校」の存在を耳にしたんです。その映画には大阪の小学校や長野県伊那市の伊那小学校が登場します。

そこからいくつかの学校を見学したのですが、ずば抜けて伊那小学校が気に入りました。なぜかというと子供たち一人一人が生き生きしていたからです。まず最初に学校のグラウンドに入った時、私と妻に気づいた生徒が大きな声で「こんにちは!」と自然に声をかけてくれました。でも伊那小学校では「挨拶しましょう」と学校から言われているわけではないそうです。

見学では実際に校内を1年から6年まで教頭先生が引率してくれたのですが、全クラス生徒の制作物が廊下に貼り出されていて、学校全体が生きているように感じました。その後、学校の歴史や全体の方針について説明してもらった時に、教頭先生はこうおっしゃっていました。

『60年間変わらない方針があります。子供の可能性を引き出すのが教育であり、子供に知識を詰め込むのは教育ではない』」

その後瀬川さんは、伊那市への移住とお子さんの伊那小学校への転入を決めた。

生徒が自律的に挨拶をし、学校全体が生き生きとしている伊那小学校。なぜそのような雰囲気をつくりだせるのだろうか。その答えの本質は、瀬川さんのお子さんが伊那小学校に実際に入学してから知ることになる。

「伊那小学校では『総合教育』という授業に力を入れていて、毎日誰かがヒーローになれるカリキュラムがあるんです。例えば先日うちの長女が受けたのは、丸一日使って焼き芋を焼く授業。おそらく都会だったら『火を使うのは危ない』という理由で実施できない可能性もある。でも伊那小学校では全部子供たち自身にやらせます。そうすると火の怖さも自分で学べるし、焼き芋の美味しい焼き方も子供たち自身が芋を丸焦げにして失敗しながら、一番適したやり方を考えながら学べる。そしてうまく焼き芋を焼いた子はヒーローになれる。その授業では学力テストの成績は関係ないんです」

教育移住の課題

瀬川さんのように、自分の子供のための理想の教育を求めて移住をすることはとても魅力的に思えるが、実際に世の中を見渡すと、一般的には教育移住の事例はまだまだ少ないようだ。教育移住をする際の課題はあるのだろうか。

「私は企業の代表という立場で、さらに会社も2020年4月からフルリモートで運営しているのもあり、仕事面での課題はありませんでした。でも仮に決裁者の立場ではなかったとしても、もし教育移住が本当に大事な選択肢ならば、働き方や働く企業を変えてもいいはず。

なので課題としてあったのは、地域に馴染めなかった場合の怖さくらいでしょうか。『子供が伊那小に馴染めなかったら』とか『自分が地域に合わなかったら』とか、そういった心配ですね。でも失敗したら元住んでいた場所に戻ればいい、と開き直って考えていました」

こうして親からみた教育移住を考えると、仕事の問題や住む地域への適応をクリアすれば、メリットは多いように思える。ただ実際に学校に通う子供自身の視点では、今回の教育移住はどのように感じられたのだろうか。

「子供は4年生の長女と保育園の年長さんだったんですが、上の子は『転校生』や『引っ越し』というものに憧れがあったようです。下の子は移住というものをまだ理解できていないようでした。それから合計20日伊那市に滞在しながら、伊那小学校を2回見学し、移住というものがどんなものか子供たちなりに感じ取ってもらうようにしました。

そこで2人なりに色々と揺れるものがあったようですが、特に長女に関しては大阪の学校で自分の良さが出せず窮屈なことに気づいているようでした。その後伊那小学校に転校すると、平日に林の中にある川の中でじゃぶじゃぶ遊んだり、ツナギで登校して中庭にいる動物の世話をするような毎日。学校の中でひと遊びしてから授業が始まるんです。娘達も生き生きして楽しそうでした」

小学校や保育園内に動物と気軽に触れ合える環境がある

「伊那小学校の他の特徴として、クラス替えが6年間を通して1回しかなく、3年間で達成する目標を生徒自身が決めるというものがあります。低学年の子は『動物を育てる』という目標になることが多いんですが、そうなると子供たちの話し合いで『小屋が必要になるよね』となり、近所から木を集めてくる。小屋ができると『豚を牧場から借りよう』となる。その必要な資金の為に、生徒の保護者が飲み終わった缶などをリサイクルのために回収して、それをお金に換えます。保護者が授業に関わる仕組みが多いのも良い点ではないでしょうか」

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教育移住後の周囲の反応

このように瀬川さん一家が教育移住を通して得たものは大きかったようだ。ただこの教育移住を周囲が知った時、どんな反応があったのだろうか。そして学力主義の教育に違和感を感じる人と感じない人の違いとは。

「周囲でも教育移住に興味を持つ方はまだ少ないです。地域が生み出す価値観というのは目に見えるものではありませんので、その地域に住んでいると気付かぬうちにその地域の価値観に縛られていきます。

私の場合、都市圏に住んでいたときの価値観が勉強一本の非常に画一的なものでしたが、その地域に住んでいる人たちの中で勉強一本の価値観に自分が縛られていることに気づき違和感を感じている人はとても少なかったのではないでしょうか。

この違和感を感じられるかどうかの分かれ目は、おそらく自分自身が子供だった頃の育ち方に原因の一つがあるような気がします。自分の両親が意図的だったのかはわかりませんが、私は子供のころから重要な意思決定は自分でしてきました。それで成功も失敗もしましたが、その過程を経たことで何事も自分で見て感じて考える習慣がつきました。だから自分の子供の教育環境に対する違和感に敏感になれたのかもしれません。なので私は自分の子供にも、自分で見て感じて考える、そんな環境を用意してあげたいと思ったのです」

今伝えたいメッセージ

今回の教育移住の選択をしたうえで、今瀬川さんが伝えたいメッセージとはどんなものなのだろうか。

2つのアルプスを望む、開放的な「パノラマオフィス伊那」が瀬川さんの伊那市での拠点

「どんなライフステージになっても、その人がベストなパフォーマンスをだせる企業でいられるかどうかはとても大事なことだと思うんです。私は子供が小学校に入ったタイミングで、彼らが画一的な教育を受けているということがとてもストレスでした。しかし今回教育移住という選択をしたことで、生活におけるストレスを減らして仕事のパフォーマンスを上げることができました。この経験を通じて、社員にもライフステージに応じてベストな選択をしていいということを伝えていきたいと思っています」

人生には、選べる選択肢が限られてしまう場面がある。

ただ、ふだん囚われている既成概念から外れてみることで、その「配られたカード」を入れ替えられることもあるのではないだろうか。

そして特に子供は自分で選択肢を広げられないことが多く、大人が選んだ選択肢に左右されがちだ。それだけに大人が選択肢を広くとることは、間接的に子供の未来の自由度にもつながる。

住む場所や働き方、ふだん歩く道や旅の行き先。私たちは無数の選択肢の中から、何気なく自分の「あたりまえ」を選びとっている。とりあえず明日はそんな「あたりまえ」を、ちょっとだけ疑ってみるのはどうだろうか。

【参照サイト】映画「夢見る小学校」公式サイト
【参照サイト】伊那市立伊那小学校
【参照サイト】フルカイテン株式会社

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いしづか かずと

Livhubの編集・ライティング・企画を担当。訪れた場所の風景と自分自身の両方を豊かにする旅を探している。神奈川と長野をいったりきたりしながら、二拠点生活中。今気になっているのは環境再生やリジェネラティブツーリズム。環境再生医初級。