シリーズインタビュー「風の人からの処方箋 #1」 〜 低山トラベラー大内征さんからの3つの旅の処方箋 〜

“Stay home”

もはや少し懐かしくさえ思える言葉。

でも私たちは、いまだに自分を「ホーム(安全で心地良い、いつもの場所)」に囲い込んだままなんじゃないだろうか?

これは、そんな私たちへの「風の人」からの処方箋。

植物の種を運ぶのが風なら、他の場所から異なるものを運び、人々の価値観を混ぜるのが「風の人」。

その土地に根づいているもの「土」と、軽やかに外部から種を運ぶ「風」。

それらが混ざることで新しい価値観や文化が生まれる。

日常から一歩踏み出して、もう一つの誰かの日常を感じるために。

いつものオフィスから。PCの前から。通勤・通学路から。見慣れた街の風景から。

そんな場所から自分をちょっとだけ「ずらして」凝り固まった何かから一歩抜け出す為に。

このインタビューはそのための鍵を探しに出かける前の、ちょっとした処方箋のようなもの。

今回は「低山トラベラー」という唯一無二の肩書きを持つ大内征さんに、人生で最も印象深い3つの旅について語ってもらった。

今回の風の人 : 大内征(おおうち・せい)さん 低山トラベラー/山旅文筆家

土地の歴史や物語を辿って各地の低山を歩き、自然の営み・人の営みに触れながら日本のローカルの魅力を探究。ピークハントだけではない“知的好奇心をくすぐる山旅”の楽しみ方と、歩いた土地・道の魅力について、文筆と写真と小話で伝えている。

NHKラジオ深夜便「旅の達人~低い山を目指せ!」でコーナー担当8年目、LuckyFM茨城放送「LUCKY OUTDOOR STYLE」パーソナリティ。著書に『低山トラベル』、『とっておき!低山トラベル』(ともに二見書房)、『低山手帖』(日東書院本社)など。NHK BSP「にっぽん百名山」には雲取山、王岳・鬼ヶ岳、筑波山に出演。NPO法人日本トレッキング協会常任理事。

◆沖縄・やんばるの森とマングローブカヤック

これは大内征さん(以下、愛称の「征さん」)が「低山トラベラー」という肩書きで活動を始めるよりも、かなり前の話。

20年ほど前のこと。征さんが30代に入るころ、勤めていたのはマーケティング関係の企業だった。小さいながらもスペシャリストで成り立つ少数精鋭集団。プロデューサーとして大企業の課題解決に向き合い、コンペでは大手広告会社と戦う日々。多忙な毎日を送りながらも、好きだった「歩き旅」のために時間をつくることは欠かさなかった。特に世界史が得意科目だった当時の征さんは、海外の都市や自然を歩く旅を楽しんでいた。

あるタイミングで、長期の休みが取れなくなってしまい、海外への長旅計画が中止になったことをきっかけに、それまで行ったことのなかった沖縄へ予定変更した。歴史好きの征さんは、琉球王朝や薩摩藩について調べるなか、同じ日本という国ながらも沖縄の異国情緒のある風景や風土に「こんなに手軽に冒険できる“海外”はない」と感動する。

そこから沖縄通いが始まる。いつの間にか案内や地図も要らないくらいに詳しくなった。なかでもお気に入りだったのが「やんばるの森」のある広大なエリア。沖縄本島北部に位置する太古からの森で、人々から親しみを込めてそう呼ばれている。ここで、子どものころに親しんだ山遊びや川遊びの感覚でジャングルハイクやカヤックに夢中になった。

マングローブの川をさかのぼる最中、人工的なものは目にも耳にも入らない。川のど真ん中でパドルをとめて、目を瞑った。

「………………………………….。」

そこでは、何の音もしない、という音がした。

よく耳を澄ますと、かすかに風がそよぐ音。水辺の生物が吐く、泡の音がする。それ以外は、自分が動かない限り、一切無音。沖縄には、幅はあるものの浅瀬の川が多い。そんな川の下流域は、満潮になって水位が上がるとまるで大河のようにみえる。だから水の流れがあまりなく、静かなのだ。

「その瞬間『そっか』と気づいたわけ。都会の喧騒からは逃げられない環境に暮らしていても、自らそういう場所へ分け入れば、ちゃんと心地よい環境は手に入るんだってこと」

その体験以来、征さんはカヤックにどっぷりはまることに。カヤックの聖地・西表島で沖縄最大の落差の「ピナイサーラの滝」を目指す旅にも出た。

遠いこの僻地でやっと辿り着いた森の先には、ただただ滝があるだけ。でもその滝は本当に力強くて大事なものに思え、言語化できない大きな達成感と満足感を感じた征さん。

その旅で、若い20代前半のガイドと出会う。某大手IT企業を辞めたばかりの彼は「ぼくが思い描いた社会人生活とはあまりにも違いすぎて。そこから逃げるようにして辿りついたのがここ。今は生きていると実感できるし、とても満たされています」と語った。

安定した仕事だと思っていたけれど、そこは満たされる場所ではなかったわけだ。「手に入れたいもの」と「それを得るための手段」のミスマッチ。必死にあがいても得られなかったものが、偶然に辿り着いた場所で『うっかり』手に入る、ということ。

「あらためて、そんなことに気付かされたのも沖縄での旅だった。いわゆる自分探しと一緒で“そこにいる自分”を見つめられない限り、どこかにその答えを見つけに行っても、そうみつかるものじゃない」

では征さんやその若いガイドの青年は、なぜ求めるものに出会えたのだろうか?

「おそらく想定外のこと、期待していた通りにならないこと、そういうことを受け入れられたのが鍵だったんじゃないかな」と征さんは振り返る。当時、海外へ長旅に出る予定が、まったく選択肢になかった沖縄になった。でもその予定外を素直に受け入れて、それでも自分の直感にしたがいながら、ある程度流されるままに旅をする。

「あのやんばるの森と川の静寂の中で、いろんな辻褄がぴたりと合った気がした。世の中、計画通りにいかないことは多い。くよくよ頭の中で考えずにその場で身体を動かしてみて、思ったところで足を止めたり、目を瞑って耳を澄ましてみたり、空を見上げてみたり。そんなことが大事。たくさんのものに囲まれているからといって豊かではないし、森と空と水しかない場所で『すごく、ある』と感じることもある。これまでの自分の価値観とは異なる世界に出会ったり、計画していたことが変わってしまった瞬間、あたらしい旅が始まるんだと思う」

【参照サイト】おきなわ物語(沖縄観光情報webサイト)

◆東京・御岳山(みたけさん)

沖縄のマングローブカヤックで得た感覚を、より身近なところで手に入れたい。そんな動機もあって山に入るようになった征さん。東京からアクセスしやすいところで自然に触れる方法として、登山に熱中した。最初は情報の多い八ヶ岳やアルプスを登り始める。そのうちにもっと身近な場所にも面白そうな山があると知り、奥多摩や丹沢、富士山周辺の低山にも登るようになる。そんな時に出会ったのが、東京の青梅市にある御岳山だった。御岳山は古くから山岳信仰の対象の霊峰として知られる山だ。

「たまたま、オオカミ信仰に関する本で読んだことがあって。当時住んでいた吉祥寺周辺の農家の軒先や神社で御岳山の護符を見かけることが多かった。自分の暮らす大都会東京にも“オオカミ信仰”のようなプリミティブなものがリアルに存在することを知って、興味がわいたんだよね」

御岳山には、オオカミがヤマトタケルノミコトを救うという物語があり、山頂の武蔵御嶽神社の境内の最奥に大口真神として祀られている。吉祥寺から中央線一本で行けるような便利な場所にそんな山があることを知り、低山への探究心が刺激された。

さらに御岳山のことを調べるうちに、多摩川の流域に沿ってそのオオカミ信仰が広がっていったことや、奥多摩の水が吉祥寺や小金井あたりから湧き出しているということを知る。ひとつの山のことを深掘りするだけで、どんどん世界が広がっていく、循環していくような感覚を得た。

「東京の山とその周辺の歴史文化や地理地質について調べると、自然と文化の関係性が見えてくる気がした。ぼくにとって山を歩くことは、自分の暮らす土地ひいては生まれた国をフィールドワークすることと同義だとも感じた。まだまだ知らない日本の深部を探究することを目的に、登山という手段を活用しようと思ったわけ。東京は世界の先端をいく大都会だという先入観を壊してくれた、という意味でも、御岳山はひとつのターニングポイントだったのかもしれない」

いわゆる「遠くの高い山に行くことが登山」だという固定観念を打ち壊して、近くの低くて小さい山にもまだまだ知らないことがたくさんある、ということを認める。もちろん頂上を目指す登山も楽しい。けれど征さんの山旅では「知的好奇心」と「探究」が大きな割合を占めている。

「山が高いか低いかは単なる一つの指標だけれど、それよりも目を向けたいのは“深い”こと。御岳山からは『外見や知名度だけに囚われるなよ』と教えられた」

山も、人も、同じなのだ。

そんなわけで、沖縄のやんばるの森での気づきをより日常的に得るために、山を歩き始めた征さん。会社員をしながら趣味で山旅をしているうちに、それを生業にできないかと思うようになっていく。そして征さんはいつしか「低山トラベラー」と名乗ることになる。

【参照サイト】御岳山ハイキングコース(青梅市観光協会サイト)

◆和歌山・熊野古道

そしてここからは、征さんが「低山トラベラー」となった後の話。ふつうの人よりも多く山を旅して、ひたすら土の上を歩く生活をするようになる中で、熊野古道に出会う。

山があると谷があり、そしてそこには道ができる。もちろん道はやみくもにつくられるわけでなく、そこには必ずグランドデザイン、つまりその道をつくる理由と、どこを通すのが最適なのか、という全体的なデザインがある。和歌山県田辺市を中心に三重県や奈良県までにまたがる世界遺産の道・熊野古道は、そのデザインが優れていると感じた。中世になると、本宮・新宮・那智の熊野三山の信仰が広まり、貴族から庶民にいたるまで、多くの人々が熊野古道を歩いて参詣したという。

「熊野古道のグランドデザインに興味を持つうちに、その道は単純に熊野三山に行くためだけの道ではないのでは?という疑問が湧いた。そこにはもっと大きい“狙い”があったんじゃないかと想像したわけ。熊野三山から放射状に京都や伊勢、高野山や吉野と道が結ばれている理由とは?他の地域の宗教の聖地と結びついていたりする理由は?」

常にそんな疑問を抱きながら山や道を歩く征さん。実際に熊野古道を歩くと、その雰囲気も見聞きする伝承も東北や関東とはまた異なる。そうして征さんはさらに熊野古道に魅せられていく。

「熊野古道って、いろんなところに通じている道。小辺路(こへち)、中辺路(なかへち)、大辺路(おおへち)、伊勢路(いせじ)、紀伊路(きいじ)、大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)といろいろあるけど、なぜこの道筋になっているのか、だれがどう作ったのか、気になることばかり。

日本中が熊野を目指した時代があったとして、でもその『熊野』はどこからやってきて、どう成立したんだろう。考えてみたら、日本全国に熊野神社と呼ばれる神社がいっぱいあるし、鈴木姓のルーツは熊野由来だともいう。熊野は内側に向かわせる力をもつ反面、外側を目指す力も働いていた。

かつて日本中に修行の場を求めた修験者により、山岳の信仰が山から山へと他の地域に伝播して広がっていったいきさつがある。そう考えると『現代、全国の山を旅している自分は、いったい何者なんだろう?』と思うことがある」

自分のルーツや地域とのつながりを意識していない人がいる反面、征さんは知的好奇心を原動力に、自分と地域、そして世界とのつながりを見出そうとしているかのようだ。

「いまだに自分のことをよくわかってないけど、自分の中の気づきや感動を立体的に理解するために旅している気がする。そんなことを見つめ直すきっかけが熊野古道だった。

ひとりで山の中を歩いている時は、歩くことに集中したり、考えごとに集中したり、すべては自分次第。熊野古道は、たとえば中辺路なら絶景ポイントも数える程度。ずっと樹林の中を歩きながら自分の内面に深く入っていく道。そんな場所と長き道は、日本広しといえどなかなかない。とくに都会で暮らしていると、物質と情報に囲まれてしまい、自分の内面を深く見つめる機会はどんどん無くなっていく。熊野古道は、その逆」

ひとり、いま、ここ。そういうことに集中するための時間をつくれる、それが山のよいところ。そして、それを身をもって味わうために「歩く」ことが大事だと征さんは話す。

「足と脳とは直結していて、歩けば歩くほど脳が覚醒していく状態になる、そんな感覚。何かを考えるとか、何かを見つめるとか。べつに何だっていい。そうしたい時にそうできるのが、歩くという行為。でも現代ではそれを手放してしまっている。部屋に閉じこもっていても生活ができるくらい、便利になった。でもそれは、本当に“便利”なのかな?そういうことに向き合うきっかけとして、できるだけ山を歩きたいし、その機会を多くの人と分かち合いたい」

歩くことはどこかに向かう手段であり、あくまで過程だと思いがちだ。でも征さんの話を聞いていると「歩く」こと自体が目的になることがある、と気づかされる。

「まずは山でも、街でも、どこでもいい。ただただ歩く、汗をかく、風や陽射しを感じる。それが至高の感覚。その感覚を得ると、山の高さや低さに関係なく、深いところへと到達したくなる」

ふり返ると、征さんの旅には「歩くこと」「想定外」「知的好奇心」が大事な要素になっているようだ。そんな旅をして、偶然に辿り着いた場所で、何かを掴むのに必要なもの。それは一体なんだろうか?

「土地、人、歴史、文化に対する探究心とリスペクトでしょうか。感じたことを、まずは受け入れて、それから自分なりに考える、この循環をとめない、ということもね」

【参照サイト】熊野古道(田辺市熊野ツーリズムビューロー)

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今回の処方箋の服用法

偶然に身を任せて歩く。そして辿り着いた場所の文化にリスペクトを持ちながら、その場所で起こったことを受け入れる。そんな征さんのあり方は、変化が早く、先行き不透明なこれからの世の中を生き抜くヒントにもなり得る気がする。

ぜひ次の旅では、今回征さんからもらった「旅の処方箋」を思い浮かべながら、いつもよりちょっとスローで、いつもよりちょっと気ままに、自分の知的好奇心を追求しながら歩く旅をしてみるのはどうだろうか。

*大内征さんのSNS
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