「あなたも踊りなさい!さあこっちに来て!」
見知らぬ女性に手を引かれ、私は踊りの輪に飛び込んだ。
お腹の底に深く響く太鼓の音。
全身を使い何かを表現する激しいダンス。
色とりどりのアフリカ布を身に纏った人々。
一面の笑顔と歓喜の声。
全世界の人がイメージする「お祭り」を絵に描いたような光景だ。
ここは西アフリカの一国、ガーナの田舎町。ここではこれが普通の葬式だって言うんだから、本当に信じられない。
チョコレートだけじゃない、ガーナ
ガーナは西アフリカに位置する一国で、緯度と経度が0度に近いことから「地球のおへそ」とも言われている。日本のチョコレート菓子の名前から、カカオ豆を頭に浮かべる人も多いだろう。
私とパートナーも例に漏れず「カカオ豆を生で見てみたい!」という理由で、次の旅行の目的地をガーナに決めていた。
そしてガーナについて下調べをしている最中、1本の動画を発見する。動画はガーナの葬式の様子を映したもの。そこには葬式だと言うのに踊り、歌い、笑い、楽しむ人々の姿が映っていた。
「もし叶うなら、ガーナで葬式に参加してみたい!でもきっと難しいだろうな…。」
諦め半分の気持ちで、そんなことを考えていた。
旅先での偶然
8月初旬。まだまだ暑いガーナの首都アクラに到着。あらかじめ手配していた民泊のホストと合流し、彼の自宅へ向かう。
カカオ農園への訪問計画を一緒に立てていると、ホストがポツリと独り言を口にする。
「今週末、僕の従兄弟は葬式に参列するからいないんだったな…。」
決して大きな声ではなかったが、私たちは聞き逃さなかった。
「葬式があるの?もし迷惑じゃなかったら、参加させて欲しい!」
驚き半分、疑い半分の顔の彼を目の前に、私たちは参加したい理由を彼に伝えた。
「参加するのは構わないよ。明日の昼に従兄弟のアダムと出発するから、準備しておいてね。」
まさか、まさか無理だと思っていた葬式に参加できるだなんて。夢のような偶然に心が踊った。
私たちは興奮と期待と少しの不安を胸に眠りについた。
ポスターを使って人を集める
次の日、5時間ほどのバスドライブを経て田舎町に到着。葬式が行われるのは土曜日だが、念のため前日のうちに現地入りをしておく。
町に到着するとすぐに、ポスターが目に入る。故人の写真、享年、葬式の日付や場所などが印刷されている。どうやら、葬式の詳細を人々に知らせるためのポスターらしい。
ガーナではとにかくたくさんの人を葬式に呼ぶ。大勢が参加できるように、葬式の日は亡くなってから2、 3ヶ月先の土日に設定されているそうだ。(ご遺体はその間、専用の冷凍庫に保管しておくらしい。)
ポスターだけではなく、彼女の生い立ちや人柄などのストーリーが印刷された小さなパンフレットまで配布されていた。まるでイベント会場のようだった。
タイムスケジュールはない
一晩が経ち、葬式当日の朝。眠い目を擦りながら6時半に起床。宿から町の中心部へ30分ほど歩き、これから始まる葬式に身構える。
しかし、9時、10時、11時になってもさっぱり葬式は始まらない。一緒にいるアダムや親戚たちはひたすらお酒に興じている。
「葬式はいつ始まるの?」私はアダムに聞いてみた。
「4時に棺桶をお墓に運んで埋めるよ。決まってるのはそれだけ。」
どうやら、我々が想像していた葬式とはだいぶかけ離れたものらしい。葬式場と言われる場所などもちろんなく、町の広場を使うだけ。夕方までのタイムスケジュールも存在しない。
送り出しまでの時間は、近所の人や親戚と共に飲み、食べ、踊り、歌いながら過ごす。こんなゆるい時間の過ごし方も、どうやらガーナスタイルらしい。
「生」を感じるパワフルな歌と踊り
待ちくたびれている私たちを見かねて、アダムが踊りを見せに連れ出してくれた。町の広場に行くと、そこにはゆうに100人を超えるほどの人が集まっていた。
中央ではダンスをする数人の子どもたち。華やかな伝統衣装に身を包み、激しいダンスをしている。踊りを楽しむ笑顔が眩しい。その近くには太鼓や歌を披露する器楽隊が見える。内臓まで振動するような大きく深い太鼓の音が広場いっぱいに鳴り響いている。
そしてその周りを囲むのは大人たち。音楽に合わせて体を揺らしながら笑顔で子どもたちに喝采を送っている。
力強い踊りと歌、音楽に魂が震えるような感覚を覚える。
これが「葬式」なのだと何度も、何度も噛み締めた。
ガーナでは死は終わりではなく、新たな生への始まりだと捉えられているそうだ。
確かに、遺された人にとって誰かの死はとても辛く、悲しい出来事である。でも、故人はきっと、泣きたいくらい嫌なことも、逃げ出したいくらい辛いことも乗り越えて人生を生き抜いたのだ。別れは悲しいが、最後の日くらい「よく頑張った!」とみんなで騒いで祝って楽しく終わってもいいんじゃないだろうか。
私はガーナの葬式のスタイルがとても好きだ。
悲しみもそこに在る
溢れるパワーに驚く一方、私の中で一つの疑問が浮かぶ。
「ガーナの人たちは、誰かが亡くなったことを悲しまないのだろうか?」
その答えはすぐに知ることができた。
午後4時。村の人々が数人で棺をかつぎ、踊りの輪の中を通りながら霊柩車まで棺を運ぶ。
その車の前で嗚咽をあげながら泣き崩れる人がいる。その人は自分だけの力では立っていられないほど、悲しみに暮れていた。踊りの輪に私を誘い入れてくれた女性だった。
つい先程まで、あんなに楽しそうに歌い踊っていた彼女。彼女だけでなく、車を見送る人たちの目が潤んでいるのがわかった。
ガーナの葬式にも、悲しみはちゃんと在る。
逝ってしまった人への祝福も。そして遺された者の悲しみも。ガーナの葬式は、全ての人を受け入れる広く深い海のようだった。
私の葬式をあげる日は、うんと騒がしくしよう。思いっきり泣いて、思いっきり笑って、「明日からも頑張って生きていこう」と思えるような日にしよう。そう思えた旅だった。
ー
訪問時の注意事項
・葬式に参加する場合、必ず現地の人の許可を得てください。
・葬式には必ず現地の知り合いと行くようにしてください。
・葬式中には現地の知り合いとはぐれないよう注意してください。(我々は広場で知り合いとはぐれた際、怪しい人に「あちらで話をしよう」と人気のない場所に連れ出されそうになりました。幸運にも現地のおばさんが彼を叱りつけて退治してくれました。)
本記事ライターは、世界中のローカルなヒトと体験に浸る世界一周旅中。
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Ray
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