「今日はここに宿泊してもらいます。ベッドは1つ。狭いけど、仲良く寝てね。」
2023年7月。とある知り合いの紹介で、ケニアに住むマサイ族の家に1週間ホームステイをさせてもらうことになった。参加したのは、7日間でマサイ族の習慣や文化をみっちり学ぶプログラム。最終日前日である今日、私たちはマサイ族の伝統的な暮らしをしている村を訪れていた。
裕福には見えない暮らし
その日までの5日間、私たちは別のマサイ族の家に泊まっていた。そこは豪華な場所ではないものの、普通のベッドやソファがあり、それなりに快適なホームステイをしていた。(シャワーは浴びられなかったのだが)
彼らの暮らしと比べると、今回訪れた村での生活はずいぶん質素で貧相なものに見えた。
その村は、砂だらけの大地の中にポツンとたたずんでいた。村といっても商店などがあるわけではなく、小さな家が数件並んだだけの場所だ。野生動物が家畜たちを襲わないように、家の周りを囲むように木の枝が積み重なっていた。天然のガードレールみたいなものだ。夜寝る時は入り口にも枝を配置することで、ハイエナやライオンなどの襲撃を防げるらしい。
そして家は、なんと牛の糞と泥を混ぜて固めてできているのだという。家全体のサイズは、小さなビジネスホテル1部屋分と等しいくらい。その中に小さな寝床が2つと、キッチンと言う名の暖炉が1つ。トイレは屋外で済ます。シャワーはない。窓はスマホと同じようなサイズのものが1つだけ。これがマサイ族の伝統的な暮らしなのだそう。
私たちが泊めてもらう家に住んでいるのは、家主のジョンと、そのパートナーと、子ども2人。ジョンは私と同じ1996年生まれ、当時27歳だった。
食べ足りないけど、もう食べられない
夜がやってくる前に、夕食を振る舞ってもらうことになった。その日、私たちは過酷なスケジュールをこなして村にたどり着いていたため、腹ペコだった。
出てきたのは、刻んだキャベツを塩で炒めたものと、大量のウガリ(穀物の粉をお湯で練り上げた主食)。正直、ウガリの味は私の口に合わないのだが、文句は言っていられない。黙々とウガリを取ってはキャベツと混ぜて口に運ぶ。しかし、単調な味にすぐに口が飽きてしまい、結局半分ほど皿に残してしまった。お腹はいっぱいではなかったが、もう食べられなかった。私にとって、それはただ栄養を摂るためだけの食事に感じられた。なんだか、すごく虚しい気持ちになった。(もちろん、彼らには彼らの文化がある。これは私の主観的な感想だ。)
人生で一番寝苦しい夜
気づけばあっという間に暗くなり、寝る時間になっていた。
ジョンは私たちを寝床に案内してくれた。そこにあったのはベッドというより「簡易床」だった。
指2本分くらいの太さの木の棒が等間隔に置かれた上に、黒いビニールシートが敷いてあるだけ。幅はシングルベッドほどで、縦は160cmもないくらいだった。横になってみて分かったのだが、私もパートナーも脚を折らないと寝られない。驚くことに、ジョンの家族はいつも4人で1つの寝床に寝ているのだという。
おまけに、私たちの寝床の隣はキッチン。家に小さな窓が1つしかないせいで、キッチンで使った火の熱が全く出て行かない。蒸し風呂状態だ。硬い、暑い、苦しい。食事に虚しさを感じていた私に、追い討ちをかけるように飛んできたパンチだった。
結局私もパートナーもほとんど眠れないまま次の日の朝を迎えてしまった。
同い年の彼から出た言葉
次の日、ジョンや他の若者たちを交えて少し話をする機会があった。
マサイ族の価値観、文化、暮らし方…様々な話を聞く中で、1人の長老が私たちにこんなことを尋ねた。
「君たちは同い年に生まれたんだよね。それぞれ違う国で生まれて、違う人生を送ってきた。今、君たちは人生に満足している?幸せ?」
私の心の中には動揺や迷いが生じていた。
それは、自分の返答について考えているからではなかった。
ジョンを目の前にして「幸せ」と回答することに、後ろめたさを感じている自分がいたからだった。日本に生まれてぬくぬくと育ってきた私。その一方、ケニアで質素なご飯と家で暮らすジョン。そんな対比がこの回答によって浮き彫りになる気がした。
先に口を開いたのはジョンだった。
彼の口から出たのは思いもよらない回答だった。
「僕は幸せだよ。学校も退学せずに卒業できたし、今はこうして自分の家を持っている。奥さんも子どももいる。家畜もたくさん飼っている。うん、僕はとても幸せだと思うよ。」
「えっ」という声が喉のギリギリまで出ていた。
「あんなに質素な食事を毎日食べていても、幸せなの?」
「あんなに硬いベッドで毎日寝ていても、幸せなの?」
聞きたいことが色々あったけれど、それを口にできるほどその時の私は元気じゃなかった。
実際、ジョンの家の食事には必要な栄養素がかなり欠落していたし、寝床も子どもの成長を考えれば適切なものではなかったと思う。客観的に分析してみれば、「健康的な暮らし」の標準に達するまでにはいくつも足りないものがあるだろう。彼の暮らしの裏には「貧しいけれど幸せそうな素晴らしい家族」という美談で済ませてはならない問題が多く潜んでいるように思えた。
これは私の直感だが、彼自身もそのことを理解していたと思う。でも、彼の口から出たのは足りないものを嘆く言葉ではなかった。
現状に満足を示し、幸せを噛み締める言葉だった。
そのことが私の期待を裏切り、驚かせた。
今や、SNSを通じて他人の暮らしと自分の暮らしを毎日のように比較できる時代。
あれが足りない、これが足りない。あれも、これも。もっと、もっと。
ジョンの家からの帰り道。自分がすごく強欲な人間のような気がして、恥ずかしかった。
ー
本記事ライターは、世界中のローカルなヒトと体験に浸る世界一周旅中。
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