お金持ちもそうでない人も揃って空腹と渇きを味わう。イスラム教の絶食期間「ラマダーン」体験記 in ウズベキスタン

サマルカンドの青い建造物

ウズベキスタンの首都、タシケントの穏やかな住宅街で私とパートナーを出迎えてくれたのは、パートナーが大学時代を共にした友人とその家族たち。ご両親や弟家族など、総勢十数人が私たちを歓迎してくれた。

「いらっしゃい!今はラマダーン中だから少しいつもと違う様子かもしれないけど、楽しんでいってね」

日本や欧米諸国ではなかなか体験する機会が多くないラマダーン。
せっかくなら…と思い、私とパートナーは1日だけラマダーンに挑戦してみることにした。

ラマダーンとはなにか?

ラマダーンを始めるにあたり、ラマダーンの概要や目的について友人に尋ねてみた。

ざっくり言うとラマダーンとは「日の出から日没まで絶食をして信仰を深める1ヶ月間」のことを指すらしい。
1ヶ月といっても毎年決まった時期ではない。イスラム教の暦である「ヒジュラ暦」は、日本で使われている暦とは異なるため、ラマダーンは春夏秋冬いつになるかはその年によって変わる。

絶食をする目的は、欲望や悪を遠ざけたり、身分に関係なくみんなで空腹や飢えを味わって恵まれない人々の気持ちを考える…など様々だという。1ヶ月間みんなでそろって苦しみに耐えるのだから、イスラム教徒同士の連帯感も高まるのだそう。また、食事だけでなく水を飲むことや喫煙、性的な営みも禁止されている。しかし、時期や仕事によっては水を飲まないのは人体に危険が及ぶため、飲むようにしている人もいるそうだ。

この期間に清く正しい行いをした場合、自分の魂のレベルを高めることができると聞いた。言うなれば、イスラム教徒にとってラマダーン期間は「ボーナスステージ」のようなものだそうだ。(素人が一般のイスラム教徒に尋ねて得た解釈ということを了承いただきたい)

ここからは、ラマダーン最終日を1日体験した際のレポートを書き連ねていく。

朝3時

普段はほぼ起きることのない時間。日が昇る前にお腹に飲食物を入れておくために起床する。もちろん外は真っ暗。

リビングに行くと大人たちが集まっていた。子どもたちは基本的にはラマダーンへの参加は免除されているらしく、この時間に起きているのは大人だけだ。友人の妻や義理の妹がせっせと朝ごはん(というよりは深夜ごはん)の準備をしてくれている。

テーブルに並ぶのはデーツやサラダ、夜ご飯の残りの肉料理やお米、パン、目玉焼きなどだ。この日はラマダーンの最終日であるため、いつもより豪華なご飯を食べるのが決まりだそうだ。友人はいつもデーツを2,3粒と水を飲むだけで済ませると言う。ラマダーンに初挑戦する私たちを思いやってくれたこともあり、すごい量のご飯を出してくれた。食べる前にみんなでお祈りをし、食事をいただく。

友人のお母さんがウズベク語で何かを私たちに話しかける。友人いわく「ラマダーンを一緒に体験してくれて嬉しい」と言っているそうだ。こちらこそ、異教徒のチャレンジを寛大に受け入れてくれて感謝だ。

お腹がパンパンになったところで、二度寝をするために部屋に戻る。

朝8時

ぐっすり寝た後に目覚めると、外はすっかり明るくなっていた。友人やその弟は仕事に出かけ、子どもたちも学校に行ったようだ。家には友人のご両親と妻である女性たちが残っていた。お茶でも飲もうかなと頭に浮かぶが、飲んではいけないことを思い出した。飲食って日常に染み付いている行為だな。

もう今から夜までご飯は食べられない。食べられないと言われるとお腹が空くかな…と思ったが、朝3時に大量にご飯を食べたのでまだ全然お腹は空いていない。ウズベキスタンの料理は油をたくさん使うため、少し胃もたれしているくらいだ。胃腸のためにも空腹状態を作るのは良いのかもしれない。

私は脱水症状になるのが怖かったので、水は最低限摂取するようにした。厳格な教徒の方々は唾液すらも飲み込まないのだと言う。ごくんと一口水を飲み、喉を潤して身支度を整える。

昼13時

朝の身支度を済ませてから向かったのはタシケントで一番大きなマーケットであるチョルスーバザール。ここでは食料や生活雑貨、樹木や花から洋服まで何でもそろう。ラマダーン明けには知り合いや家族同士でプレゼントを贈り合ったりすることが多いそうで、バザールは溢れんばかりの人で賑わっていた。食器やブランド品、夕飯に向けた食材調達など、それぞれがラマダーン明けに向けた準備を進めている様子が見られた。

市場には食材はもちろん、屋台や食堂も併設されている。食堂の前を通るとこんがりと肉の焼ける香りが漂う。まだお腹には早朝に食べたご飯が残っているが、いい香りを前にして少しだけ食欲が湧いてきた。

チョルスーバザール
夕方18時

バザールを堪能して夕方18時ごろに帰宅する。日の入りは19時過ぎなので、まだあと食事まで1時間ほど時間がある。そろそろお腹が空いてきた上に、夕飯の準備で家中にご飯のいい香りが漂っている。

「お腹すいた?具合は大丈夫?何か食べる?」

私たちのラマダーン挑戦を心配している家族が、何度も私たちに尋ねてくれた。お腹は空いているが、朝ごはんをたくさん食べたので耐えられないほどではない。でも友人は通常の朝ごはんはデーツと水だけと言っていた。その食事量だけでは夕方まで空腹を感じずにはいられないだろう。

今日の晩御飯はウズベキスタンの有名料理である「ピラフ」だ。ピラフとはウズベキスタン風炊き込みご飯のこと。中央アジアが原産であるにんじん、玉ねぎ、ひよこ豆、レーズン、そして羊肉や牛肉が入った盛りだくさんの米料理である。

幼稚園から帰ってきた子どもたち総勢10人ほどと遊びながら陽が沈むのを待つ。

夜19時すぎ

友人も仕事から帰ってきて、やっとみんなで食卓につく。時間になるまでまだみんなは食べ物に手をつけない。すると、友人がスマートフォンでとあるアプリをチェックし始めた。画面には「19:04」という時間が刻まれている。これはなんと「ラマダーン専用アプリ」で「現在地の今日の日の入り時間」がチェックできるものだそうだ。世界各国に存在するイスラム教徒のために、正確な日の入り時間を場所に応じて教えてくれるらしい。当たり前といえばそうなのだが、ここまで厳格に日の入り時間を管理していることに私は少し驚いた。

日の入り時間を過ぎたところで、みんなでお祈りをして食事を始める。日没後の食事は「イフタール」と呼ばれ、まずはデーツ(ナツメヤシの実)と水を口にするのが鉄板なのだそう。デーツは、イスラム教の預言者のムハンマドが好んで食べた物らしい。私たちも最初にデーツを口にする。ほんのりとした甘みとねっとりした食感が口の中に染みていく。美味しい。

ちなみにイフタールのやり方は様々であり、家で食事をする人もいれば、近所のコミュニティでみんなでご飯を食べる人もいるらしい。私たちも旅の途中で、街の中の市民ホールのような場所にずらりと豪華な食卓が並んでいるのを見かけた。友人の両親も、ラマダーン期間のうち何日かはコミュニティのイフタールに招かれていたようだ。

ピラフ

食事を済ませ、お茶やお菓子を楽しんだら眠りにつく。急にたくさん食べたので、またお腹が悲鳴をあげている。ラマダーン期間中は痩せる人もいるが、太る人も多いと聞いた。夜にみんなで楽しく団欒していると、つい反動でたくさん食べたくなってしまう気持ちはわからなくもない。

翌朝

翌日は朝から豪華な料理やお菓子、フルーツが煌びやかな食器と共に食卓に並んだ。これらの器は、イスラム教徒の嫁入り道具としてよく購入されるものだそうだ。友人の家の中にもいくつもの食器セットが飾られていた。(画像の食器は友人の家ではなく、近所の別の場所のものだ)

豪華な食器

リビングでゆっくりとお茶を楽しんでいると、次から次へとお客さんがやってきた。みんなラマダーン明けの挨拶をしに来ているらしい。友人も近所の親戚の家に挨拶に行ってくると言っていた。豪華な食事、家族の団欒、親戚や近所の挨拶…どうやらラマダーンは日本でいう「お正月」のような立ち位置のようだ。

子どもたちもおめかしをしてプレゼントをもらっていて、とても楽しそうだった。その様子を見て笑顔になる友人や弟夫婦、そしてその両親たち…「しあわせ」のイメージを最大限詰め込んだような空間だった。

駆け込みではあったものの、私たちはこうしてラマダーンを体験することができた。中でも私が感銘を受けたのは、お金持ちもそうでない人も揃って空腹と渇きを味わい、恵まれない人を思いやるという視点だ。彼らの収入はいくらで、食事はこれだけで、毎日こんな生活をしている…貧しい人たちのことを「言語化」して頭にインプットすることもできるのが現代社会だ。でも、私たちは言語と頭だけで日々を送っているのではない。日々「身体」を使って生きている。今回の旅では人間の「身体知」の重要性を感じることができた。

【参照サイト】プラネットピーポージャーニー🌍世界一周ローカル体験&人間観察の旅
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Ray

世界のヒトを深く知れば、きっとちょっぴり世界に優しくなれるはず。そんな考えから、世界中のローカルなヒトと体験に浸る旅に出発。デンマークや逗子葉山でワークとライフのバランスを探った経験あり。ヒトと同じくらいネコが好き。