朝の通勤電車。前後左右、四方八方を囲まれ身動きが取れないなか電車に揺られる。停車しドアが開くとともに波のように人が動き、押し出されるか、押し出すことでなんとか降車する。何かのゲームのように次々に現れる障害物に当たらないように、避けながら足早に歩いて地上を目指す。
名古屋で生まれ、東京で仕事をしてきた山口春菜さんも、そんな都会の息苦しさを感じていた一人だ。しかし、とある「出会い」が彼女の人生に温度をもたらし、変化を起こしたのだという。どんな出会いがあったのか。都市部での生活を生きやすくするためのヒントを探るべく話を伺った。
きっかけは、ふとした一言
「名古屋市の都心部に近いところで生まれ育ちました。実家が酒屋を経営していて、そこにお客さんとして来てくれるおじいちゃんおばあちゃんと仲良くなるというようなことはあったんですが、都会なので地域のコミュニティのようなものはなくて、あったのは学校や家というコミュニティだけ。学校では、勉強も生徒会も部活も頑張っていましたが、人の目や評価を気にしてしまうことが多く、いい子でいることに限界を感じていました。」
2011年、どこかそんな不自由さを感じながら学生生活を送っている中で、東日本大震災は起こった。現地から離れた名古屋の自宅で、毎日テレビから流れてくる震災の様子を見ていた高校生の春菜さんに、お母さんがぽろっとこんな言葉をなげかけた。
「春菜、行ってくれば?」
ボランティアをするようなタイプではなかった当時の春菜さんに、その一言は冗談のように聞こえた。だけど、どこか、心の深いところでその言葉は離れずにいた。
そして、長い休校期間を終え、久しぶりに登校した学校で、春菜さんは普段から名古屋市内でボランティア活動をしていた友達に話をした。
「わたし、何かやりたいと思ってるんだよね。」
「私もそう思ってた。」
その会話を発端に、二人は通っていた高校の中に東北のボランティアサークルを作り、活動を始めた。このささいなきっかけからの「はじまり」が、その後の春菜さんの人生を、今居る場所に導いていく。
予期せぬ言葉
「高校で東北のボランティアをはじめて、その後大学に入りました。大学のOBの方が宮城県気仙沼の市役所で働かれていたことをきっかけに、気仙沼の本土にはボランティアの人が来ているけれど、本土から船を使わないと入ることのできない大島という島には、なかなかボランティアが入れていないということを知り、気仙沼大島でのボランティア活動が始まりました。」
一緒に活動を行うメンバーと共に、大学の教授や職員の方にも協力してもらいながら、講義の後に5分時間をもらって広報をしたり、構内にポスターを張り出すなどして、45名程の仲間を集めた春菜さんは、彼らと共にバスに乗り込み、気仙沼大島を目指す。12時間の現地までの道中、春菜さんの胸にはどっと不安が押し寄せていた。
その当時の大島では、水道水が貴重。ゴミ収集も定期的に来られないのでゴミ出しにも慎重にならないといけない状況だった。そんな時に学生が大人数押し寄せることで、より一層負担をかけてしまうのではないか。そんな学生を泊める宿が、住民から非難の対象にはならないだろうか。様々な不安が頭をいっぱいに埋め尽くす。金曜日の夜に出たバスは、土曜日の朝に大島に着いた。不安とともに宿泊先に向かった春菜さんが耳にした第一声は、予期しない言葉だった。
「おかえりなさい。」
–
「衝撃でした。その言葉を聞いた途端、色んな不安が解消されていくのを感じました。ボランティアとしてというよりも、『人』として迎え入れてくれたんだと感じました。」
瓦礫の撤去や、打撃を受けた漁業や農業、観光業の復興のサポートを、年に4回大島に通いながら行う中で、自然と春菜さんは気仙沼のコミュニティの中に入っていった。そこで役職でも肩書きでもない「山口春菜」として、ただただ1人の人間として接してもらえる瞬間を多く経験して、彼女は初めて「自分の居場所」を、生まれ故郷でも、育った場所でもない、気仙沼大島に発見したのだという。
「すごく安心したんですよね。人として接してもらえることが、都会に住んできた私には有り難かった。自分の居場所ができて、心がすごく安定したというか。そういう経験をしました。」
見えてきた、都会と地域の差
そうした大島での豊かな体験を経て、名古屋市内に戻る度に春菜さんの目に留まったのは、大島の人たちとは少し違う会社員や学生の人たちだった。
「電車に乗る瞬間にぶつかっても謝らない。目の前で人が倒れていても、素通りする人もいました。大島では歩いていて、島の人におはようございますって挨拶すると、『あんたどっからきたの』みたいに会話がはずむんです。都市部だとそういうことはあまりないことですよね。同じ日本という国の中に住んでいるのに、なんでこんなに違うんだろうと不思議に思いました。」
「都会では、人が多いからこそ、面識がない人のことを『人』として認識するというよりも『物』として認識してしまうのでは、と思います。けれど、それはその人に問題があるというよりも、その人の背景にある環境がそうさせているんだろうなと感じました。」
「ちょうどその頃は、大学の卒業を控えて、私はこれから何がしたいんだろうと考えていた時でした。そこで、自分の原体験から、私のように都市の生活にどこか生きづらさを感じ、現状に変化を求めている人に対して、心を安定させ、豊かに生きるための選択肢として『地域の人たちとの関わり』を提案していきたいと思ったんです。」
地域と都市をつなげる
地域と都市をつなげ、地域の人の温かさや考え方に都市の人が触れることで、都市に住む人々の心を豊かにしたい。その方法として彼女は新卒で人材会社を選び、新規事業部に所属しながら地域と都市を人材採用の仕事を通してつなげることに命を燃やした。そして、3年前に株式会社パソナに転職をしている。転職後も、彼女の中の軸はずっと同じ場所にある。人の心を豊かにする方法として自分が原体験とともに良いと信じる、地域と都市の人をつなげていくこと。
現在春菜さんは、株式会社パソナグループのグループ会社であり、「旅するように『はたらく』」をコンセプトとした、株式会社パソナJOB HUBのソーシャルイノベーション部で、2つの事業を担当しながら、活動を続けている。
1つは、「JOB HUB LOCAL」。「複業」で、地域の企業と都市部の人々をマッチングする事業。2つ目は、「JOB HUB WORKATION」。「ワーケーション」を通じて、地域と都市部の人々に出会いをもたらす事業。2021年現在は、主に後者のJOB HUB WORKATIONに注力し、サービスマネージャー、ワーケーションプランナーを担当している。
「複業のように、仕事を通じて見える世界は、またボランティアや観光とは違うなと感じています。これを解決してほしいという課題をもらって、それに対して自分が持っている経験やスキルを提供し取り組んでいく。ボランティアをしていた気仙沼大島で、複業をさせていただけるようになって、ボランティアをしていた時は聞けなかった、悩み相談をいただく機会が増えました。それは仕事という関係だったからこそだと思います。複業を通してのつながりができたことで、また一歩心の距離が近づいたように感じました。」
「ワーケーションプログラムの参加者の方々に、しばらくたって再び会うと、あの時の経験が自分の仕事のモチベーションにつながっていると話してくださる方が複数いらっしゃいます。複業は普段の仕事とは異なるとはいえ、仕事なので、地域とのつながりや経験を経て見つめ直すのは、自分が今まで培ってきた『スキルや能力』の部分になるんです。一方でワーケーションは、もう少し抽象的で広く、『自分の働き方、生き方、人生への向き合い方』など、自分は本当は何をしてどう生きたいのかといったことを考え直したり、見つめ直す機会になっていると感じます。」
ワークとバケーションを合わせた言葉で、旅行などで訪れた非日常空間において一部の時間を仕事に当てるといった観光の代替のようなイメージが強いワーケーションという言葉。しかし、春菜さんの企画するJOB HUB WORKATIONが提供するワーケーションはどうやらその概念とは少し異なるようだ。ワーケーションプログラムを作成する際、大切にしていることは。との問いに、春菜さんは3つのポイントをあげた。
「まず、地域の人との交流は欠かさずに絶対入れます。そして、プログラムといっても内容をびっしり詰めるというより、参加者の人たちが自分の時間を持って内省などができるように、余白の時間を取っています。また、複数の地域のプログラム企画を担当していますが、どの地域にも共通しそうな、自然があって、ご飯が美味しくて、人が良いということではなく、その地域にしかない魅力や特徴をしっかり見て企画に盛り込むようにしています。」
人の心の豊かさ
ボランティア、人材採用、複業、そしてワーケーション。様々な形で、地域と都市をつなげてきた春菜さん。つなぎ方に、何かこだわりはあったのだろうか。
「あまり実はそこにこだわりはなくて。複業もワーケーションも、地域に人が人として出会うために『いい方法』だと思うからサービスを立ち上げて担当させてもらっているという感じなんです。」
「さらに言えば、『地域と都市をつなげること』が『人の心の豊かさ』につながっていくはずと今は信じているのでこの仕事をしていますが、もしかすると別のことで『人の心の豊かさ』につながるかもと思える経験を今後したら、別のことをやりたいと思う時がくるかもしれません。」
–
初めて訪れた島で、フェリーの乗組員の方と仲良くなったという春菜さん。これからどこに行く予定なの?何で行くの?と聞かれ、島の裏側に自転車か歩きで行こうと思っていると話すと、ならこの車使っていいよと乗っていた軽トラの鍵を渡されたという。筆者が同じ島に訪れてもきっとそんな展開にはならない…。どうしたらそんなに早く地域の人と仲良くなれるのかと春菜さんに聞くと、「ニコニコしながら大きな声で話しかける」という答えが返ってきた。
人間らしく、人と良質なつながりを持って、豊かに生きたい。そう願う人は多くいるだろう。しかし、つながるためには自分を「開く」必要があるのだ。大島の宿の方は「おかえり」という言葉と共に心を開き手を広げて、春菜さんを迎え入れた。その開かれた優しさや温かさを知っているから、きっと春菜さんも自分を「開く」ことができるようになったのだろう。そして彼女がいるおかげで、彼女を媒介にして地域と都市の人々は心を開き、つながることができているのだろうと彼女の話を聞きながら感じた。
心を開くきっかけをつかむことができれば、本当は住む場所は都市でも地域でも関係ないのかもしれない。
【参照サイト】 パソナ JOB HUB
【参照サイト】JOB HUB LOCAL
【参照サイト】JOB HUB WORKATION
【関連ページ】JOB HUB WORKATION
【関連ページ】「旅をしながら、その土地で仕事する」地域と人をつなげるおすすめサービス11選
飯塚彩子
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