午前6時。通りに鳴り響く音楽とともに目覚める。家いっぱいに広がるコーヒーの香り。竹田市の住民が目覚め、賑わっているのを地下一階のカフェの窓から眺めながらボリュームたっぷりの朝食を味わう。
大分県竹田市に佇む趣のあるホステル、たけた駅前ホステルcueの朝の光景だ。大分市から車で約1時間、何百年もの歴史を誇るこの町は、周囲の自然、水、山脈に見守られてきた。堀場貴雄さんとさくらさん率いるホステルcueのメンバーは、一丸となってお客さまをお迎えする。
部屋タイプ:個室、ドミトリー
住所:878-0012大分県竹田市竹田町560-1
最寄り駅:JR豊後竹田駅から徒歩2分
アクセス:大分市内中心部から1.5時間、熊本市内中心部から2時間
URL:https://solairodays.com/
場所:Googleマップ
たけた駅前ホステルcueの始まり
ホステルcueがオープンしたのは2017年4月だ。だが実はその約3年前の2014年に夫妻はすでに竹田市に移住していた。移住した2014年に地域おこし協力隊に加わり、竹田市を訪れる旅行者に宿泊施設を提供したいと考えていた。旅好きな夫妻にぴったりの計画だった。
さくらさんもまた、竹田市に宿泊施設を作ることに可能性を感じていた。町の大きさも人口数もほどよく、タイミングもちょうどよかった。観光客はそれほど多くなかったが、竹田流の生活スタイルをしっかり感じ取ることができた。
「貴雄さんと旅行するとき、地元の人たちと交流する機会を持つのが楽しくて。竹田市には同じ魅力が感じられたし、地元の人たちの生活にも親近感を持つことができました。それも竹田市に引っ越す決め手となりました」
こうして築80年の古い家屋が足掛かりとなるやいなや改築が始まり、ホステルcueが誕生した。
現在、たけた駅前ホステルcueには梨香さんと万莉さんの2名のメンバーがいる。梨香さんは堀場夫妻同様、旅行好きで、地域おこし協力隊にも在籍していた。梨香さんの参入は、互いの興味とタイミングが上手く噛み合った結果と言えるだろう。一方、竹田市出身の万莉さんが加わることになったきっかけは偶然の出会いだった。万莉さんはcueに宿泊する友人の付き添いでたまたま訪れた際、人員募集していたことを知り、メンバーとなった。
お客さまと竹田市のつながりを積極的に構築
ホステルcueが滞在客にとって居心地がよく、再び竹田市を訪れたくなるのには理由がある。
「竹田市の住民とつながって友達になることで、この場所に戻ってくる理由を作ってほしいと思っています。そうすれば、彼らが戻った時、『お帰りなさい!』と迎え入れることができるでしょう」と貴雄さんは話す。
宿泊施設としての役割を果たすことは当然として、cueのメンバーは宿泊者が地域の魅力を発見できる仕掛けを作る努力を惜しまない。まず、宿泊者に、地元住民だけが知っている情報が載っている竹田市の特別な地図を配布する。また、宿泊者が興味を持つと思われるカスタマイズされた情報を提供する。さらに、フレンドリーなホステルcueのメンバーは、ときに宿泊客を興味がある場所に連れて行き、夜には一緒に飲みに行くこともある。これによって、厚い友情が生まれることも少なくない。
「もちろん、宿泊施設として、お客さまの満足度を上げることは大切です。でも、それ以上に大切なのが、竹田市と関わる経験の中で十分に満足していただくことです」とさくらさんは話す。
「そうすれば、1泊しか滞在しない多くのお客さまも、きっと1泊では足りないと感じ、戻ってきてまた2~3日、泊まりにきてくれるでしょう」
ホステルcueは、Uターン移住者のためのものでもある
ホステルcueは町を訪問する宿泊客だけのものではない。そして、ホステルcueのメンバーは、ホステルcueを単なる宿泊施設ではなく、それ以上の存在にしたいと思っている。
恵みの多い竹田市も、日本の多くの農村地帯と同じように過疎化と人口不均衡に直面している。若者の人口を見れば一目瞭然だ。大学で勉強を続けるために、多くの学生が大都市に移住して、卒業してからも大企業に就職口を求める。
「仕事の数、そして種類が十分でないために、多くの若者が竹田市を去るのを見てきました。その多くが竹田市に戻りたいと思っても、仕事で成功したければ大都市に留まるしかありません」と貴雄さんは話す。
地域おこし協力隊在籍中に街づくりに携わった貴雄さんは、若者不足がいかに深刻な問題であるかを知った。大都市での学び、また、仕事を求める若者が多い竹田市は、長いこと人口の不均衡の問題に直面している。ゆえに地元で雇用を生み、仕事の多様性を生むことは計り知れないほど重要だ。ホステルcueが、サービス業に興味を持つ若者に仕事場を提供できれば、「地域に仕事を生むローカル・ビジネスになる」というホステルcueのもう1つのゴールも実現できる。
ホステルcueの揺るぎないビジョンに忍び寄る新型コロナウイルス
こうして地域の活性化に貢献してきたホステルcueだが、新型コロナウイルスの影響による経済的な打撃から逃れることはできなかった。貴雄さんは次のように話す。
「梨香さんと万莉さんのおかげで、今年の3月まではこれまでで一番宿泊客が多い月が続きました。ホステルcueはノリに乗っていました。しかし、残念なことに、翌月のお客さまはゼロになってしまいました」
日本中で新型コロナウイルスが禍根を残し始めた瞬間だった。
「cueのメンバーや町の人たちの健康を第一に考え、一時的にホステルを営業停止にすることを決めました」と貴雄さんは続ける。
「政府が不要不急の業種の自粛を求める前のことです。外からお客さまを招いて、竹田市を感染のリスクにさらすことだけは避けたいと思いました」
ホステルcueは6月に営業を再開したが、宿泊客は80%減少した。ホステルcueにはオンラインストアもあったため、それでいくらかのマイナスを補うことができた。しかし、SNSで呼びかけたところで急速にフォロワー数を獲得できるものでもない。それでもcueのメンバーは、地元の職人と多くのタッグを組み、オリジナル製品や新製品を開発した。
もう一つ、ホステルcueのメンバーが配慮したのは、ホステルに再び戻ってくるお客さまとの関係を維持することだ。早速、オンラインツアーの実施に取り組んだ。
「梨香さんはパナマに滞在したことがあり、そこでガイドとして活動した経験がありました。新型コロナウイルスが広がる前から温めていた計画で、今こそ、オンラインツアーのサービスに取り組み、形にする絶好のタイミングだと思いました」と貴雄さんは話す。
オンラインに慌てない ― 力強い回復力の提示
宿泊施設のみならず、多くの企業がオンラインで利用できるツールを使いこなすのに苦労しているが、チームのリーダーである梨香さんはこれに対して前向きだ。
「『正解』など分からなくてもいいと思います。実際、そんなものは必要ないのかもしれません。ホステルcueが目指しているのは、お客さまを大切にすることです。お客さまに何を売ったらいいか、というようなことではありません。もちろん、事業計画は必要です。でも、お客さまを大切に思う気持ちがあれば、問題に取り組む過程で、迷い、間違えてもいいと思います」
ホステルcueの強みは、もうおわかりいただけただろう。彼らは、自分たちのビジョンや理想を見失うことがない。ホステルcueは、その揺るぎないビジョンで新型コロナウイルスによる危機を乗り越えるはずだ。
「新型コロナウイルスが蔓延する前の時代に戻ることはないと言われていますが、ホステルcueでは、お客さまとコミュニティの距離感をこれからも大切にしていきます。メンバーが安心して仕事に取り組める環境を整えるのと同時に、ホステルcueのためにもオンラインのプラットフォームを最大限活用していきたいと思っています」と貴雄さんは意欲をみせた。
竹田市のSDGs ― 古くからある概念、そして新しい用語
ホステルcueは持続可能な宿泊施設でもある。ホステルcueが「SDGs」の用語を正式に使い始めたのは約1年前のことだ。
「正式に」というのは、当時、世の中では「SDGs」という言葉はまだ目新しいものだったが、堀場夫妻にとってはまったくそうではなかったからだ。堀場夫妻はすでに自然や地域社会に利益をもたらすように行動していた。
「持続可能性」や「廃棄物ゼロ」のような言葉は、都市部で流行っているものだ。一方、日本の小規模な都市や町ではこうした用語はあまり宣伝されていない。「持続可能」という用語に言及したところで、その意味すら知らないこともあるだろう。
しかし、用語に馴染みがなくても、竹田市には何世紀も前からその観念が浸透していた。すでに住民には自然にもったいない、無駄にしないという心持ちがあり、自然にも深く敬意を払っている。
自然は宝 - だから自然に感謝
「貴雄さんと私が竹田市に来たころ、常に私たち自身に投げかけていたのは『本物とは何か』ということです。結局、その答えは自然の中にすべてありました。つまり、自然由来のものはすべて貴重ということです」とさくらさんは話す。
「竹田市の住人は、自然がもたらすものを共有しながら、調和のとれた暮らしをしています。だから、私たちはなるべく環境に利益をもたらすような選択をするようにしています。たとえば、少し高価でもオーガニックのものを購入するといったことです」
これは阿蘇やくじゅうといった周辺地域にある2つの山を例にとってもいえることだ。近隣住人は、高品質な2種類の水を利用することができる。竹田市の住人や職人と話していくと、こうした自然の恵みに深い感謝の念を抱いていることがわかる。
また、毎年恒例の祭り「竹楽」からもこのことがうかがえる。祭りの目的は、100年先を見据えた竹林保全にある。そのため、地元のボランティアが大勢参加し、伐採した竹で2万本の竹灯籠を作って灯す。しかし、使用済みの竹灯籠は、祭りが終わっても捨てることはない。竹は後に燃料として石炭に変えられる。自然とのつながりが強く、「もったいない」という感覚があるからこそ、自然由来のものを無駄にすることはないのだ。
環境への影響を初日から最小限に抑えるホステルcue
こうした背景もあり、堀場夫妻はホステルcueを改装し、開業するにあたり、宿泊施設の環境への影響を確実に減らそうと考えた。たとえば、改装予定の築80年以上の建物の基盤は、新しい建物用に作り変えられ、再び息を吹き込まれた古い建物の木の板で築いた。そして、インテリアには、ホステルの雰囲気に合う古いアンティークを使った。さらに、使い捨てプラスチックを排除し、オーガニック製品を使い、洗濯や洗剤の代替品を模索するなど、日常品にもこの考えを組み込んでいった。
興味深いのは、持続可能に則った生活を送ることが住民にとって当たり前だったために、そのようなライフスタイルがいかに大切かを学びなおし、ことさら積極的に取り入れようとする必要がなかった点だ。「SDGs」という用語について、ホステルcueのメンバーは、梨香さんが加わったことにより初めて知った。自分たちの取り組みが実際にサステナビリティに向かっていることは後からわかった。
つながりを作りたいという思い
ホステルcueの運営は、堀場夫妻にとってはじめの一歩にすぎない。もちろん、まずはホステルの成長を考えているが、堀場夫妻のやりたいことはその先にある。社会に利益をもたらす価値あるビジネスを創出したいのだ。
実は、堀場夫妻は、「空の色の日々」から名付けたsolairodaysという社名で会社を運営している。日々、刻々と変わる空の色合いを指しており、夫妻によると、これは未来の無限の可能性を表すと同時に、それを当たり前に思う「私たち」をも指しているそうだ。そして、この社名は宿泊客やお客さまに人生のさまざまな側面をもたらすという会社のビジョンも反映している。ホステルcueはそのビジョンの表明の一つでもある。
「『cue』という言葉には、『きっかけ』という意味があります。ここでいうきっかけとは、旅のきっかけのみならず、町自体のきっかけも指しています。ホステルcueが作ることができる旅人と竹田市のつながりのことです。美味しい水や会話した地元の人、さらには職人の知識や、竹田市での体験も滞在客の胸にきっと残るでしょう。その思い出は、帰ってもなお、お客さまのライフスタイルに影響するかもしれません」
こうしたつながりは日本では大切にされている。滞在客は「関係人口」と呼ばれることもあり、地域活性化の大きな鍵と考えられている。「関係人口」とは、その地域に住んではいないが、その地域とつながりがある人々のこと。宿泊施設が築くつながりを目の当たりにした堀場夫妻は、solairodaysを拡大し、さらにつながる場や機会を提供したいと考えている。
内外の人間関係の重要性
貴雄さんは、滞在客に限らず、cueのメンバーの環境も同じように重要だと考えている。会議でも、たとえば、自然に囲まれながら好きな場所で働きたいという万莉さんや梨香さんのアイディアを積極的に取り入れるようにしている。
「選択肢はあるに越したことはありませんが、竹田市には仕事の選択肢がさほど多くはありません。そうした環境で、ここで働きたいと思ったときにホステルcueが一つの選択肢になればと思っています。新型コロナウイルスの影響によってワークライフスタイルにも変化がみられたため、好きな場所で働く環境を整えることもできるのではないでしょうか」と貴雄さんは話す。
人との関わりを持ちながら最高の思い出を
堀場夫妻は、従業員であるcueのメンバーを大切にしている。新型コロナウイルスの影響によるホステルcueの一時的な営業停止は、一般にスタッフとの間に距離ができることにもつながりかねない。これでメンバーは解散してしまうのだろうか。しかし、むしろそれは反対で、ある意味このパンデミックによって、互いへの感謝の気持ちが浮き彫りになったようだ。
そして、人間関係の広がりは、cueのメンバーだけにとどまらない。メンバーと顧客の立場が逆転することもある。たとえば、メンバーがスペインを訪問すると、かつて客としてホステルcueを訪れたスペインの人々が、今度はもてなしてくれる。こうした親密な関係が生まれる場面は、宿泊者が出発するときに笑顔を交わすホステルcueの日常の中に頻繁に訪れる。
「旅行や仕事でお越しのお客さま、中でも竹田市とつながりを感じ再び訪れてくれるリピーターのお客さまにはいつも感謝しております。お客様が出かけるときには「お気をつけて!いってらっしゃい!」、戻ってくるときには「おかえりなさい!」と挨拶できれば、それは私たちがお客さまのための家、つまり居場所を作ることができたことになります」とさくらさんは振り返る。
ホステルcueの未来
ホステルcueは、宿泊施設の役割にとどまらず、コミュニティーを築く場所でもある。それこそがホステルcueの存在意義だ。
「自動でチェックインして、デジタルな手段でのみコミュニケーションを取ることもできます。でも、そうしてしまったとき、ホステルcueの存在意義は何だと言えるでしょう」と貴雄さんは気持ちを込めて話す。
関係性を築くことは「関係人口」を増やすうえで、非常に大切なステップだ。ホステルcueはその点をふまえ、まさしく寝床以上の価値を提供してくれる宿泊施設だ。
最近、日本ではようやくエシカル・ファッションの風潮や消費、食品廃棄物をなくすフードロスへの意識など、消費の観点でも持続可能な社会への移行がみられるようになった。しかし、持続可能な宿泊施設という考え方はまだ日本では馴染みがない。それでも、ホステルcueは持続可能な道を歩むことを固く決めている。持続可能な滞在場所を探す人にとって、ホステルcueは理想の場所になるだろう。
【関連ページ】Embraced by people and nature: Taketa Station Hostel Cue | Sustainability from Japan – Zenbird
(著:ロジャー・オング、編:秋山哲一)
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