ワーケーションと聞いた時に頭に浮かぶのは、旅先としても有名な沖縄・長野・北海道など、自分の住む町から2時間以上は離れたところにある地域という人が大半なのではないでしょうか。もちろん、遠いところまで足を運ぶことで体験できることもありますが、そう簡単に足を伸ばせないよという人も多いかと思います。
そんな方々におすすめしたいのが 「ちょっとそこまで、ワーケーション」 。自宅から1時間以内、通勤時間と同じか、それより少し長いくらいの時間を使って、行ってみたかったけれどなかなか行けていないところ、知っているようで知らない近場の町に出かけていきます。
在宅ワークの日、少し早く家を出て移動してもいいですし、午前中は家で仕事をして昼休みや仕事の合間で移動してもいい。目的は美味しいランチでも、仕事後のひとっ風呂でも、合間のお散歩でも、普段はなかなかできない深い思考をしに行くのでも、何でもいいのです。自分の心や身体に沿った場所に移動できれば。
今回は、東京在住のフリーランスライター朝子さんに 「ちょっとそこまで、ワーケーション」 してきてもらいました。朝子さんの初めてのワーケーションぜひご一読ください。
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週末や休日。時間ができたら、遠出をしてでもいいから「気になっていた本屋に出かけてみよう」と思い立つことが多い。雑誌やWebの記事で見つけた、知らなかった本屋を常にリストアップしておくようにしている。旅先でも観光名所はそっちのけで、本屋を目的地にすることが多いから、全国の有名な本屋を人より多く巡ってきたような気がする。
駅前などにある大型書店よりも、店主の考えや想いが色濃く反映される、いわゆる「個性派本屋」が好きだ。店に入った瞬間に、店主がどんな想いや思想を持っているのか。流行りの書籍を売りたいのか、特定のジャンルを推したいのか、どんなことを私たち客に伝えたいのか……。そんな推理を楽しみながら、ぐるりと一周するのが好きだ。
自分の興味関心の電波と合う本屋に出会うと、幸せのボルテージがググッと上がって、いつも思わずため息が出る。「ああ、幸せだなぁ」と感じる瞬間だ。そうして来店したときの気分に応じて、気になる本との出合いを楽しむ。そのとき心の中で感じている、モヤモヤや悩みを解決してくれる本、知りたいことに応えてくれる本、挑戦したいことへ背中を押してくれる本……。そんな本を、タイトルや装丁、前書き、著者名などを見ながら総合的に判断して、直感で一冊を選ぶ。来店する前から、重たい紙袋を持って家に帰り、本棚に並べるまで。そこまでが私の本屋の楽しみ方だ。本屋を巡ること、店内を巡ること自体が、一種の「旅」のようなものなのだと思う。
そんな私の将来の夢は、自分の本屋を開くこと。夫が飲食店の経営をしているため、いつかその店の傍らに、自分の場所を設けさせてもらうことが夢だ。そのために今からたくさんの本を読んで、世の中にある本への知識を深めたり、選書の仕方を勉強したり。時間があれば好きな本屋でバイトもしたい。文章を書く仕事をいただきながら、そんなことを考えている。
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さて、そんな私が数か月ほど前「ワーケーションについての記事を書いてみないか」と持ちかけられた。今コラムを書かせていただいているWebメディア「Livhub」の編集長、彩子さんからだ。ワーケーションという言葉から連想するのは、海や山などの大自然の中や、ホテルや旅館にこもって、パソコン片手に仕事に集中することだと、ずっと思っていた。そんな安易なイメージしか持ち合わせていない私に、編集長がこう助言してくれた。
「テーマは『ちょっとそこまで、ワーケーション』です。別に遠出したり、大自然の中に身を置くことだけがワーケーションではないと、私は思うんです。大切なのは、『居場所をずらす』という考え方。たった数時間でも、在宅ワークで張り付くように座る椅子から腰をあげて、自分自身が居心地が良い、行ってみたいと感じている場所に移動したら、何かきっと気づきがあるだろうし、自分が普段いる場所の良さにも、改めて気づけると思うんです」
なるほど。それなら私にでもできそうだ。「居心地が良いと感じる場所」へ行っても良いというのであれば、ずっと気になっていた本屋へ行ってみよう。そう思い立ち、2月3週目の木曜日、仕事の合間に移動をして、とある1軒の本屋へ出かけることにした。
気になっていた本屋というのは、東武東上線ときわ台駅から徒歩2分の場所にある「イトマイ」さん。ずっと行きたい本屋の一つにリストアップをしていたものの、きっかけをつかめないでいたお店の一つだ。東京に出てきてからもう13年ほどになるけれど、どうも池袋以西にはなじみがなく、東武東上線・西武池袋線・副都心線などの各線に乗ったことがあるのは、数えるほど。町の名を言われても、パッとはイメージが湧かない。そんな町にあるのも、今回の企画にぴったりだと思った。なぜなら私は本屋が好きであると同時に、知らない町を歩くのが何より好きな、町歩き大好き人間でもあるからだ。いま住んでいる荒川区からときわ台までは、電車でほんの40分ほどで行ける距離なのに、まだまだ見たことのない町並みがあるのだと思ったら胸が高鳴り、前日の夜は遠足の前の子どものような気持ちで布団に入った。
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よく晴れた当日。念のためパソコンと、それから1冊の課題図書を持ってイトマイを訪れることにした。事前に店のことを調べて分かったのだが、店内は書籍が並べられている本屋スペースだけでなく、飲食をしたり読書をしたりするカフェスペースに分かれているらしい。どうやら店内は、店員の方への注文などを除いて、基本的に会話はNGのようだ。二人以上で来店した際にも、筆談具を使って会話をするよう求められている。他ではなかなか見られない本屋のスタイル。一体、どんなものなのだろう。
池袋駅から東武東上線に乗り換える。平日の昼間は乗客もまばらだ。窓から見える景色をぼんやり眺めていた。都会の象徴ともいえる、ターミナル駅の代表格である池袋駅から、たった数駅しか離れていないのに、落ち着いた印象を受けた。田舎のローカル線を思わせるような駅もあった。商店街が充実している町もあり、活気を感じる。今までご縁がなかっただけで、まだまだ知らない風景が東京にはあるのだなぁ。
池袋駅から10分ほど電車に揺られると、ときわ台駅に到着した。イトマイのある北口を目指して改札を出ると、円形の大きなロータリーがあって、日光浴を楽しむ人がベンチに腰かけていたりした。以前どこかで聞いたことがあるけれど、ときわ台は「板橋の田園調布」と称されているらしい。駅舎も昭和レトロなデザインにリニューアルされたばかり。背の高い建物があまりなく、空が広く感じられる、いい駅だ。
さっそくイトマイへ。イトマイはビルの2階にあるので、少し急な階段を上がっていく。階段を上りきるとまずは一面、本の海が目に入る。左手にある厨房にいた店主に、席を予約していたことを告げると、「お好きな席をどうぞ」と案内してくれた。
心地よい静かな音楽が流れる店内には、3名ほどのお客さんがそれぞれの時間を過ごしていた。席は全部で8席ほどだろうか。どの席もゆったりとスペースがとられていた。高さや向きなどの配置がバラバラなので、客同士の視線が合うことがないように設計されている。私は古い木製の学習机のような席を選んだ。座ると目の前には、選書された小説やエッセイ、写真集などが並んでいる。普段自分が選ぶことのない本ばかりだ。
お腹が空いていたので、名物のスパイスカレーとコーヒー、それからプリンを注文することに。待っている間にまずは目の前に置いてあった本を手に取る。パラパラとめくっていると、一節の文章に目が留まった。とある書店の店主が書いた、開業までのドタバタを綴ったエッセイだった。今、この瞬間だから目に留まった文章だと思うと、とてもかけがえのないものに感じる。
食事を終えたら、コーヒーを飲みながら課題図書を読むことにした。持ってきたのは、以前別の書店主に勧められた『これからの本屋読本(内沼晋太郎著)』という本だ。私がいつか本屋を開きたいのだと相談したところ、「あなたのような人のために書かれた本ですよ」と紹介してくれたのだ。本屋のイロハから、仕入れの仕方などのニッチな情報まで載っている。読もう読もうと思いながらも、ずっと本棚で眠っていたこの本。今日こそは時間をかけて読むぞと、重い腰をようやく上げることができた。読み進めながら、時折感じたことや今後のタスクをノートにメモする。自分の将来の夢を持ったり、その夢のために勉強する時間をつくったりするなんて、いつぶりだろう。普段は忙しさや目の前の仕事に追われるばかりで、夢を形にするための努力なんてしようと思ったことがない。イトマイのような、周囲も静かで集中できる場所に身を投じなければ、いつになっていたか分からない。
ふと、顔を上げて周りを見渡してみる。みな読書をしたり、何かノートに書きつけていたり、ときにスマホをいじったりしながら、自分と向き合う時間を楽しんでいるようだ。私はその後本屋スペースをぐるりと周り、また新しい本との出合いを楽しんだ。このとき購入したのは、とある写真家のエッセイと、憧れのブックディレクターの方が書かれた本、喫茶店の店員が来店客とのエピソードを面白おかしく綴った日記のような本。どれもあまり他所の本屋では見かけないものばかり。できるだけそうした、一期一会の出合いを楽しむようにしている。
そうこうしているうちに、来店してから2時間が経っていた。「長くても2時間半ほどの滞在で」とどこかに注意書きが書かれていたのを思い出し、店を後にする。
ときわ台駅周辺を散策しながら、イトマイでの出来事を振り返っていた。「ワーケーション」という、ぼんやりとした正体の輪郭が、自分なりに少しだけつかめたような気がしていた。ワーケーションとは「非日常の時間を、自らつくる」ことなのではないかと。
非日常という言葉からは、どうしても日常から大きくかけ離れた場所や体験を想像してしまうけれど、そうではない。ほんの少し足を延ばしたからこそ見えた景色、普段と違うコトをする時間。そうした環境を自らつくりだすことで得られる、気づきや学びの種。それこそが、日々の仕事や普段の生活にも刺激を与えてくれ、満ちた気持ちになることができるのだ。
なんだ。普段の生活をしていたって、思いついたらいつだって「ワーケーション」はできるじゃないか。想像以上の収穫を胸に、ホクホクとした気持ちでときわ台を後にする。
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家を出てきてから帰ってくるまで、たった4時間ほどの、私の小さな旅。
さて、次はどんな場所で何をしよう。
他の建物よりも一段高いところを走る電車から見える景色が、なんだかいつもと違って見えたような気がした。
【参照サイト】書店と喫茶 本屋イトマイ|ときわ台の静かなカフェ
櫻井朝子
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